284・宮本武蔵「空の巻」「下り女郎衆(1)(2)」


朗読「284空の巻25.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 27秒

くだ女郎衆じょろしゅう

 甲州街道こうしゅうかいどうには、まだ街道かいどうらしい並木なみきととのっていないし、駅伝えきでん制度せいども、すこぶ不完備ふかんびであった。
 そのむかし――というほどとおくもない、永禄えいろく元亀げんき天正てんしょうへかけての武田たけだ上杉うえすぎ北条ほうじょう、そのほか交戦地こうせんちであった軍用路ぐんようろを、そのままのち旅人たびびと往還おうかんしているだけで、したがって、裏街道うらかいどう表街道おもてかいどうもありはしない。
 上方かみがたからものが、もっともよわるのは、旅舎りょしゃ不便ふべんで、一例いちれいをいえば、朝立あさだちのさいに、弁当べんとうひとつこしらえさせても、もちささいたものとか、めしをいきなりかしわ乾葉ほしばでくるんですとか――藤原朝時代ふじわらちょうじだい原始的げんしてきならわしを、いまでもやっているというふう
 ところが、笹子ささご初狩はつかり岩殿いわどのあたりの草深くさぶかいそんな旅籠屋はたごやでも、このごろきゃくみあうさまは、凡事ただごとともおもえない。そしてそのおおくがのぼりよりも、くだりのきゃくだった。
「やあ、きょうもとおる――」
 と、小仏こぼとけうえやすんでいた旅人たびびとたちは、いま自分じぶんたちのうしろからのぼって一団いちだんたびれを、これは観物みものと、みちばたでむかえていた。
 やがて、がやがやとそれへ人数にんずうると、なるほど、これは大変たいへん
 わか女郎衆じょろしゅうだけでも、およそ三十名さんじゅうめいぐらいはいよう。子守こもりみたいな禿かむろばかりでも五人ごにん中年増ちゅうどしまばあさんや、男衆おとこしゅうなどあわせると、総勢四十人そうぜいよんじゅうにんからの大家族だいかぞくである。
 そのほか荷駄にだには、つづらや、長持ながもちや、一方ひとかたならぬ荷物にもつみ、この大家族だいかぞく主人しゅじんえる四十しじゅうがらみのおとこは、
草鞋わらじができたら、草履ぞうりえて、しばってあるけ。なに、もうあるけないと、なにをいう。どもをなさい、どもを」
 と、すわりぐせのついている女郎衆じょろしゅうあるかせるのに、くちっぱくしている。
今日きょうとおる)
 とみちばたでこえのするように、こうした上方かみがた女郎衆じょろしゅう輸送ゆそうは、三日みっかにあげずとおった。もちろんながれてゆくさきは、新開発しんかいはつ江戸表えどおもてである。
 新将軍しんしょうぐん秀忠ひでただ江戸城えどじょうすわってから、いわゆる御新開ごしんかい膝下ひざもとへは、急激きゅうげき上方かみがた文化ぶんか移動いどうしてった。東海道とうかいどう船路ふなじのほうは、ためにほとんど、官用かんよう輸送ゆそうや、建築用材けんちくようざい運搬うんぱん大小名だいしょうみょう往来おうらいでいっぱいで、こういう女郎衆じょろしゅう行列ぎょうれつなどは不便ふべんをしのんで、中山道なかせんどう甲州筋こうしゅうすじえらぶほかなかった。
 きょうこれまで女郎衆じょろしゅう親方おやかた伏見ふしみひとで、どういう了見りょうけんさむらいのくせに、遊女屋ゆうじょや主人しゅじんとなって、目端めはし才覚さいかくくところから、伏見城ふしみじょう徳川家とくがわけづるをもとめ、江戸移住えどいじゅう官許かんきょって、自分じぶんばかりでなく、ほか同業者どうぎょうしゃにもすすめて、続々ぞくぞくと、おんな西にしからひがし移動いどうさせている庄司甚内しょうじじんないというものだった。
「さあ、やすやすめ」
 小仏こぼとけうえまでると、甚内じんないほどよいところつけ、
「すこし早目はやめだが、ついでに、弁当べんとうをつかってしまおう。おなおばあさん、女郎衆じょろしゅう禿かむろたちに、弁当べんとうをくばっておくれ」
 荷駄にだうえから、一行李ひとこうりもある弁当べんとうろされて、乾葉巻ほしばまきめしが、ひとひとわたされると、女郎じょろうたちは、おもおもいにわかれてそれへむさぼりつく。
 どのおんな皮膚ひふいろく、かみは、かさ手拭てぬぐいをかぶっても、みなしろっぽくほこりになっている。湯茶ゆちゃもなく、ぽそぽそと、したつづみっている姿すがたには、すえはだふれんべにはな――などといういろかおりもない。
「アア、お美味いしかった」
 おやいたら、なみだをこぼすであろうようなこえして、しんからさけぶ。
 するとなかおんなさんが、おりふしとおりかけたたびすがたの若衆わかしゅつけて、
「あら、いい恰好かっこうだ」
「ちょっとしてる」
 などとささやっていると、べつなおんなはまた、
「あのひとなら、わたしゃあよくっているよ。吉岡道場よしおかどうじょう門人衆もんじんしゅうと、たびたびたことがあるおきゃくだもの」
 といった。

 上方かみがたから関東かんとうといえば、関東かんとうものが、みちのくをおもうよりとおかった。
(これからどんな土地とちみせるのやら)
 と、心細こころぼそ気持きもちとらわれている彼女かのじょたちは、たまたま、伏見ふしみ馴染なじみきゃくとおるといて、
「どのひとさ」
「どのひとさ?」
 と、たちまかしましいをそばだてた。
おおきなかたな背中せなかけて、威張いばってあるいて若衆わかしゅだよ」
「アアあの前髪まえがみ武者修行むしゃしゅぎょう
「そうそう」
んでごらん、名前なまえはなんていうの」
 おもいがけぬ小仏峠こぼとけとうげうえなどで、自分じぶんがこんなに大勢おおぜい女郎衆じょろしゅう注目ちゅうもくされているとはらず、佐々木小次郎ささきこじろうは、って、荷駄にだ人足にんそくあいだとおけた。
 すると、いろいこえで、
佐々木ささきさん、佐々木ささきさん――」
 それでもまだ、まさか自分じぶんとはおもわず、振向ふりむきもしないでくと、
前髪まえがみさん――」
 と、たので、これはしからぬことだと、まゆをしかめていた。
 荷駄にだ脚元あしもとすわりこんで、弁当べんとうをつかっていた庄司甚内しょうじじんないは、おんなたちをしかりつけて、
なんじゃ、御無礼ごぶれいな」
 といって、小次郎こじろう姿すがたあおぐと、これはいつか、吉岡よしおか門人達もんじんたち大勢おおぜいして、伏見ふしみみせへあがったとき挨拶あいさつおぼえがあるので、
「これはこれは」
 と、くさをはたいて立上たちあがり、
佐々木様ささきさまではございませんか。どちらへおしなさいますか」
「やあ、角屋すみや親方おやかたどのか。わしは江戸えど下向げこうするが、いたいのは、おぬしたちのさき大層たいそうしじゃないか」
「てまえどもは、伏見ふしみ引払ひきはらって、江戸えどほううつりますので」
「なぜあんなふるくるわて、まだどうなるかもれない江戸表えどおもてへなどうつるのだ」
「あまりよどんでいるみずには、えたものばかりいて、水草みずくさきません」
御新開ごしんかい江戸えどったところで、城普請しろぶしんだの弓鉄砲ゆみてっぽう仕事しごとはあろうが、まだ遊女屋ゆうじょやなどの、悠長ゆうちょう商売しょうばいつまい」
「ところが、そうじゃございません。灘波なにわよしひらいたのも、太閤様たいこうさまよりおんなほうさきでございますからね」
なによりも、いえがあるまいが」
いま、どしどしいえてている町中まちなかの、葭原よしわらという沼地ぬまちを、何十町歩なんじゅっちょうぶと、わたしたちのために、おかみからくださいました。――でもうほか同業者なかまが、さきって地埋ちうめをしたり、普請ふしんをいたしておりますから、路頭ろとうまようような心配しんぱいはございません」
「なに、徳川家とくがわけでは、おぬしのようなものにまで、何十町歩なんじゅっちょうぶという土地とちをくれているのか。――それは無料ただか」
「たれが、よしえている沼地ぬまちなど、かねしてうものがございましょう。そればかりでなく、普請ふしん石材木いしざいもくなども、多分たぶんにおげくださるので」
「ははあ……なるほど、それでは上方かみがたから、世帯せたいかついで、皆下みなくだるはずだ」
「あなたさまも、なにか、御仕官ごしかんくちでもあって」
「いいや、わしはなに仕官しかんのぞんでいないが、新将軍しんしょうぐん膝下しっかとなり、あたらしく天下てんか政道せいどう中心地ちゅうしんちともなることだから、見学けんがくをしておかねばならない。もっとも、将軍家しょうぐんけ指南役しなんやくになら、なってもよいとおもっているが……」
 甚内じんないは、だまってしまった。
 世間せけんうら景気けいきのうごき、人情にんじょう種々相しゅじゅそうにくわしいかれからて、剣術けんじゅつ上手じょうずかどうからないが――いま口吻くちぶりでは、かたるにらないとおもったのである。
「さあ、ぼつぼつかけようかな」
 小次郎こじろうよそにして、一同いちどうへこううながすと、女郎衆じょろしゅう人数にんずうんでいたおなおという奉公人ほうこうにんが、
「おや、女郎衆じょろしゅう頭数あたまかず一人足ひとりたらないじゃないか。いないのは一体誰いったいだれだえ。――几帳きちょうさんか、墨染すみぞめさんか。ああそこに、二人ふたりともいるね。おかしいねえ、だれだろう?」