281・宮本武蔵「空の巻」「虫焚き(1)(2)」


朗読「281空の巻22.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 47秒

虫焚むした

 火縄ひなわくちくわえ、一人ひとり二度目にどめ弾込たまごめをしているらしい。
 もう一人ひとりは、かがめて、こっちをている。対岸たいがんがけしたへ、武蔵むさしかげたおれはしたが、なおうたがって、
「……大丈夫だいじょうぶか」
 とささやいているのだった。
 鉄砲てっぽうなおしたのが、
たしかだ」
 と、うなずいて、
手応てごたえがあった」
 という。
 それで安心あんしんして、二人ふたり丸木橋まるきばしたよって、武蔵むさしほうわたってようとした。
 鉄砲てっぽうったほうかげが、丸木橋まるきばしなかほどまでかかってると、武蔵むさしがった。
「――あッ」
 引金ひきがねけたゆびは、もちろん、正確せいかくうしなっていた。どうんと、たまそらはしって、ただおおきなこだまんだ。
 ばらばらっと、二人ふたりかえして、谿川たにがわぞいにした。武蔵むさしいかけてゆくと、業腹ごうはらになったものか、
「やいやい、げるやつがあるものか、相手あいてはひとり、この藤次とうじだけでもかたづくが、かえして助太刀すけだちしろ」
 鉄砲てっぽうたないほうがけなげにもこういってまった。
 自分じぶん藤次とうじ名乗なのっているし、物腰ものごしからても、これが山寨さんさいぞく頭目とうもくであろう。
 かえされて子分こぶんわからぬが、もう一名いちめいぞくは、それにはげまされて、
「おうっ」
 とこたえ、火縄ひなわほうりすてたとおもうと、鉄砲てっぽう逆手さかてにして、これも武蔵むさしへかかってた。
 武蔵むさしはすぐかんじた。これはそうからの野武士のぶしではない。わけても、山刀やまがたなふるっておとこうで多少筋たしょうすじがある。
 ――だが、かれのそばへちかづくと、ぞく二人ふたりとも、一撃いちげきばされたようにえた。鉄砲てっぽうったほうおとこは、完全かんぜんかたから袈裟けさにふかくりこまれて、渓流けいりゅうふちから、だらんと半身落はんしんおちかけている。
 口程くちほどもなく、藤次とうじ名乗なのったぞく頭目とうもくは、小手こてきずおさえながら、逃足早にげあしはやく、さわからうえのぼってゆく。
 ざざざ、とつちちてくるあと辿たどって、武蔵むさし何処どこまでも、ってった。
 ここは和田わだ大門峠だいもんとうげさかいで、山毛欅ぶなおおいままだにばれている。さわのぼりつめたところに、一叢ひとむら山毛欅ぶなにつつまれたいえがあった。そのいえもまた、山毛欅ぶな丸太まるたてたようなおおきな山小屋やまごやぎない。
 ボッと、そこにえた――
 いえうちにもあかりがしているが武蔵むさしえたのは、そのいえ軒先のきさきに、だれか、紙燭ししょくってってでもいるらしいであった。
 ぞく頭目とうもくはばたばたっと、それへむかってげてきながら、
せっ」
 と呶鳴どなった。
 すると、たもとをかばいながら、戸外そとっていたかげが、
「どうしたのさ」
 と、いった。
 おんなこえであった。
「まあ、ひどいになって――。られたのかえ。いまたにほう鉄砲てっぽうおとがしたから、もしやとおもっていたら? ……」
 ぞく頭目とうもくは、うしろからせま跫音あしおとに、振向ふりむきながら、
「ば、ばかっ。はやくそのしてしまえ。いえなかも」
 と、いきって、また呶鳴どなった。
 かれが、土間どまなかころむと、おんなかげも、をふきして、あわてて姿すがたかくしてしまった。――やがて武蔵むさしが、そのまえったときは、いえなかあかりもれず、をかけてみても、はかたくまっていた。

 武蔵むさしおこっていた。
 だが、このいかりは、卑劣ひれつだとかあざむかれたとか、対人的たいじんてきおこっているのではない。もとよりむしけらのような鼠賊そぞくおもいながら、社会的しゃかいてきゆるしておけない気持きもちがする。いわゆる公憤こうふんなのである。
けろっ」
 いってみた。
 当然とうぜんけるはずはない。
 あしってもやぶれそうな雨戸あまどだが、万一まんいちおそれて、武蔵むさしから四尺よんしゃくほどはなれている。それへをかけてたたいたり、がたがたこころみたりするような不用意ふよういは、武蔵むさしでなくとも、多少心得たしょうこころえのある人間にんげんのすべきわざではない。
けないか」
 なかは、なお、しんとしている。
 武蔵むさしかかやす程度ていどいわ両手りょうてった。いきなりそれをむかってほうりつけたのである。
 ねらったので、二枚にまい内側うちがわたおれた。そのしたから山刀やまがたなび、つづいて、一人ひとりおとこが、きて、いえおくまろんでゆく。
 武蔵むさしびかかって、そのえりがみをつかむと、
「あっ、ゆるせっ」
 と、悪人あくにん悪事あくじ失策しくじると、きまってざくもろこえをあげた。
 そのくせ、平蜘蛛ひらぐもになって、あやまるのではなく、間断かんだんなくすきねらって、武蔵むさし肉闘にくとうしてくるのである。最初さいしょから武蔵むさしかんじていたとおり、ぞく頭目とうもくだけに、このおとこ小手技こてわざには、かなりするどいところがある。
 その小手技こてわざを、ぴしぴしふうじて、武蔵むさしゆる気色けしきもなく、せかけると、
「く、くそっ」
 猛然もうぜん、このおとこは、生来せいらい暴勇ぼうゆうをふるいおこし、短刀たんとういて、っかけてた。
 っぱずして、
「この鼠賊そぞく
 とたいすくみ、どんと、つぎ部屋へやまでげつけると、そのあしが、うえ自在鉤じざいかぎへぶつかったのであろう。たけれるひびきとともに、くちから、火山かざんのようなしろはいあがった。
 武蔵むさしちかづけまいとして、その濛々もうもうけむなかから、かまのふただの、たきぎだの、火箸ひばしだの、土器どきなどを、ところきらわずげつけてくる。
 ――ややはい落着おちついたところで、よくると、それはぞく頭目とうもくではない。かれはすでに、どこかつよちつけたとみえて、はしらしたながびているのである。
 ――それなのになお、
畜生ちくしょう畜生ちくしょう
 と、必死ひっしになって、手当てあた次第しだいに、ものっては、武蔵むさしむかってげつけてるのは、ぞくつまらしいおんなであった。
 武蔵むさしは、すぐそのおんないた。――おんなかれながらもまだ、かみこうがい逆手さかていて、
畜生ちくしょう
 と、きかけていたが、そのを、武蔵むさしあしまれてしまうと、
「――おまえさん、どうしたのさ! 意気地いくじのない、こんな若僧わかぞうに」
 と、がみをしながら、もううしなっているぞく良人おっとを、無念むねんそうに、叱咤しったしていた。
「……あっ?」
 武蔵むさしは、そのときおもわずはなした。おんな男以上おとこいじょう勇敢ゆうかんだった。きざま、良人おっとてた短刀たんとうひろって、ふたたび、武蔵むさしりつけてたが、
「……おっ、おばさん?」
 武蔵むさし意外いがい言葉ことばあたえたので、ぞくつまも、
「――えっ?」
 いきをひいて、あえぎながら相手あいてかおをしげしげと――
「あっ、おまえは? ……。オオ武蔵たけぞうさんじゃないか」