275・宮本武蔵「空の巻」「一夕の恋(3)(4)」


朗読「275空の巻16.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 12秒

 あらたまって、なんのために? と武蔵むさしからかれると、外記げきはじめて、自分じぶんひとりのみみにづいたらしく、
「いや成程なるほど、ご不審ふしんはごもっともじゃ。――しかしべつだん意味いみはないので、いて、なんのために、路傍ろぼうのそれがしが路傍ろぼう尊公そんこうに、かくまでもしたしみをつかとわるるならば――一言ひとこともうさば――れたのでござるよ」
 と、いってまた、
「あははは。おとこおとこに、れたのでござるよ」
 と、いいかさねる。
 石母田いしもだ外記げきは、これで十分じゅうぶん自分じぶん気持きもち説明せつめいしたつもりらしいが、武蔵むさしにとっては、すこしも説明せつめいされたことにはならない。
 おとこおとこれるということはありよう。けれど武蔵むさしはまだ、れるほどおとこった経験けいけんがない。
 れるという対象たいしょうつには、沢庵たくあんすここわすぎるし、光悦こうえつとはなかへだたりすぎ、柳生やぎゅう石舟斎せきしゅうさいとなるともうあまりにさきたかすぎて、きなひとともびかねる。
 かくて過去かこ知己ちき振向ふりむいてみても、おとこれるおとこなどが、そうあるはずのものではない。――それをこの石母田外記いしもだげき無造作むぞうさに、
(あなたにれた)
 と、自分じぶんへいう。
 お追従ついしょうであろうか。そんなことを軽々かるがるしくいうおとこはよほど軽薄けいはくおもってもよい。
 けれど外記げき剛毅ごうき風貌ふうぼうからても、そんな軽薄けいはくではないことは、武蔵むさしにもなんだかわかがするのである。
 そこでかれは、
れたとっしゃるのは、いかなる意味いみでございましょうか」
 愈々いよいよ真面目まじめに、こうなおすと、外記げきはもうつぎにいうことばをっていたように、
「――じつは、一乗寺下いちじょうじさがまつのおはたらきをつたいて、失礼しつれいながら、今日きょうまで、こいにあこがれておったのじゃ」
「ではそのころ京都きょうと御逗留ごとうりゅうでございましたか」
一月いちがつより上洛じょうらくして、三条さんじょう伊達だて屋敷やしきにおりましたのじゃ。あの一乗寺いちじょうじ斬合きりあいがあった翌日よくじつ何気なにげなくいつもまい烏丸光広卿からすまるみつひろきょうをおやかたにたずねてゆくと、そこで種々さまざま尊公そんこううわさ。おやかた一度いちど尊公そんこうともったことがあるとおおせられ、おとしばえや、閲歴えつれきなどもうけたまわって、愈々いよいよ思慕しぼのおもいにられ、どうかして一度いちどいたいものとねんじていたねがいかなって――今度こんど下向げこうに、はからずも尊公そんこうが、このみちくだっているということを――あの塩尻峠しおじりとうげいておかれた立札たてふだ承知しょうちしたのでござる」
立札たてふだで?」
「――されば、奈良井ならい大蔵だいぞうとかをおちになるよしを、ふだいて、みちばたのがけててかれたであろう」
「ああ、あれを御覧ごらんになられたのですか」
 武蔵むさしはふとなか皮肉ひにくをおぼえた。――此方こっちさがもとめるものとはめぐわずに、かえって、おもいがけない無縁むえんひとにこうしてさがてられているとは――
 だが、外記げきこころいてみれば、このひと衷情ちゅうじょうぎて勿体もったいない。三十三間堂さんじゅうさんげんどうはたいといい一乗寺いちじょうじ血戦けっせんといい、武蔵むさしにとっては、むしろ慚愧ざんき傷心いたみおおく、ほこもちなどは毛頭もうとうないが、あの事件じけんは、相当世間そうとうせけん耳目じもく聳動しょうどうして、うわさのなみ天下てんかひろげているらしい。
「いや、それは面目めんぼくないことです」
 武蔵むさしは、こころからいった。そしてこころからずかしかった。こんなひとれられる資格しかくなど自分じぶんにないとおもうのであった。
 ところが外記げきは、
百万石ひゃくまんごく伊達だて武士ぶしのうちにも、よいさむらいはずいぶんいる。また、こう世間せけんあるいてみるに、けん達人上手たつじんじょうずすくなくない。したが、尊公そんこうのようなのはまれでござろう。すえたのもしいというのは尊公そんこうのような若者わかものじゃ。まったくそれがしはれました」
 と、称揚しょうようしてまない。――そしてまた、
「で、今夜こんやは、それがしが一夕いっせきこいげたわけ。ご迷惑めいわくでも、どうかいっこんごしあって、存分ぞんぶん、わがままをいってもらいたいのじゃ」
 と、さかずきあらなおした。

 武蔵むさしこころひらいてさかずきをうけた。そしてれいのごとくすぐあかくなってしまう。
雪国ゆきぐにさむらいは、みなさけつようござるよ。――政宗公まさむねこうがおつよいので、勇将ゆうしょうもと弱卒じゃくそつなしで」
 と、石母田外記いしもだげきは、まだなかなかうほどにっていない。
 さけはこおんなに、幾度いくどか、らせて、
「ひとつ今夜こんやは、かし、かたかそうではないか」
 武蔵むさしこしをすえて、
「やりましょう」
 と、みをふくめ、
「――外記殿げきどの最前さいぜん烏丸からすまるのおやかたへはよくまいるとおおせられたが、光広卿みつひろきょうとご懇意こんいでございますか」
「ご懇意こんいというほどでもないが――主人しゅじん使つかいなどで、しげしげまいるうちに、あのように御気ごきなので、いつのまにか、馴々なれなれしゅううかがっておるので」
本阿弥ほんあみ光悦こうえつどののお紹介ひきあわせで、わたしもいちど、柳町やなぎまち扇屋おうぎやでおにかかりましたが、公卿くげにもあわぬ、快活かいかつ御気性ごきしょううけました」
快活かいかつ? ……それだけでござったかの……」
 と外記げきはすこしそのひょう不満ふまんらしく、
「もっとながはなしてみたら、かならずあのきみいている情熱じょうねつ智性ちせいでもおかんじになったであろうに」
何分なにぶん場所ばしょが、遊里ゆうりでござりましたゆえ」
「なるほど、それではあのきみが、世間せけんかしている姿すがたしかおせなさるまい」
「では、あのかたの、ほんとのすがたはどこにあるのですか」
 何気なにげなく、武蔵むさしうと、外記げきすわなおして、ことばまであらため、
うれいのなかにあるのでござる」
 と、いった。
 そして、なお、
「――そのうれいはまた、幕府ばくふ横暴おうぼうにあるのでござりまする」
 と、いいした。
 湖水こすいのゆるい波音なみおとのあいだに、白々しらじられていた。
武蔵むさしどの。――尊公そんこうはいったい、だれのために、けんみがこうとなされるか」
 こんな質問しつもんは、けたことがない。武蔵むさし率直そっちょくに、
自分じぶんのために」
 と、こたえた。
 外記げきおおきく、
「ム。それでいい」
 とうなずいたが、またすぐ、
「その自分じぶんは、だれのために」
 と、たたみかける。
「…………」
「それも自分じぶんのためか。まさか尊公そんこうほどな精進しょうじんものが、ちいさな自己じこ栄達えいたつだけでは、ご満足まんぞくがなるまいが……」
 はなしは、こんな緒口いとぐちからはじまったのである。いやむしろ外記げきがこんな緒口いとぐち自分じぶんでつくって、自分じぶんはなしたい本心ほんしんひらしたといったほうが適切てきせつかもれない。
 かれはなしによると、いま天下てんか家康いえやすして、一応いちおう四海万民しかいばんみんみな泰平たいへいをたたえているやにえるが、いったい、ほんとにたみのために幸福こうふくなか出来できたろうか。
 北条ほうじょう足利あしかが織田おだ豊臣とよとみ――とながいあいだにわたって、いつもしいたげられてきたものは、たみ皇室こうしつである。皇室こうしつ利用りようされ、たみあたいなき労力ろうりょくのみにこき使つかわれ――両者りょうしゃのあいだにただ武家ぶけ繁栄はんえいだけをかんがえてたのが、頼朝以後よりともいご武家政道ぶけせいどう――それをならった、今日きょう幕府制度ばくふせいどではあるまいか。
 信長のぶながは、ややそのへいづき、大内裡だいだいり造営ぞうえいしてせたり、秀吉ひでよし後陽成天皇ごようぜいてんのう行幸ぎょうこうあおいだり、一般いっぱんにぎわしたのしませる庶民しょみん福祉政策ふくしせいさくったりもしたが、家康いえやす政策せいさく本意ほんいとするところは、くまで徳川家中心とくがわけちゅうしんで、ふたたび庶民しょみん幸福こうふく皇室こうしつ犠牲ぎせいにして、幕府ばくふばかりふとってゆく専横時代せんおうじだいがやってるのではなかろうかと、さきあんじられる――。
「それをあんじているものは、天下てんか諸侯中しょこうちゅうでも、わが主君伊達政宗公しゅくんだてまさむねこうよりほかにはござらぬ。――そして公卿くげでは烏丸光広卿からすまるみつひろきょうなどで」
 と、石母田外記いしもだげきは、いうのであった。