270・宮本武蔵「空の巻」「導母の杖(1)(2)」


朗読「270空の巻11.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 38秒

導母どうぼじょう

 武蔵むさしはふかくねむった。
 いまかれねむっているちいさいほこらひさしには、浅間せんげん神社じんじゃというがくえる。
 そこは高原こうげん一部いちぶから、こぶのようにがっている岩山いわやまうえで、この塩尻峠しおじりとうげでは、さしあたって、ここよりたかところ見当みあたらない。
「おおうい。のぼっていよ。富士山ふじさんえるで」
 ふいに耳元みみもと人声ひとごえがしたので、ほこらえん手枕てまくらていた武蔵むさしは、むっくりときあがって、いきなりまばゆ暁雲あかつきぐもられたが、人影ひとかげえないで、はるか彼方かなたくもうみに、富士ふじのすがたを見出みいだした。
「ああ、富士山ふじさんか」
 武蔵むさし少年しょうねんのように驚異きょういこえはなった。ていた富士ふじむねえがいていた富士ふじを、のあたりにたのは、いまうまれてはじめてなのだった。
 しかも寝起ねおきの唐突とうとつに、それを自分じぶんおなたかさに見出みいだして、むかったのであるから、かれはしばらくわれをわすれ、ただ、
「――ああ」
 というためいきむねなかいて、まじろぎもせずながっていた。
 なにかんじたのであろうか、そのうちに武蔵むさしおもてにはなみだたままろびはしっている。こうともしないで、そのかおあさかれてなみだのすじまであかひかってえた。
 ――人間にんげんちいささ!
 武蔵むさしたれたのである。宏大こうだい宇宙うちゅうしたにあるしょうなる自己じこかなしくなったのであった。
 あきらかにかれむねれば、一乗寺下いちじょうじくだまつで、吉岡よしおか遺弟何十名いていなんじゅうめいというかずを、まったく自己じこ一剣いっけんもと征服せいふくしてからは、いつのまにかかれむねにも、
なかあまいぞ)
 と、ひそかに自負じふきざしていた。天下てんか剣人けんじん名乗なのものかずあっても、およそ何程なにほどのものでもあるまいという慢心まんしんくびもたげかけていた。
 だが。
 たといけんにおいて、のぞむがごとき大豪だいごうとなったところで、それがどれほど偉大いだいか、どれほどこの地上ちじょう生命いのちか。
 武蔵むさしは、かなしくなる。いや富士ふじ悠久ゆうきゅう優美ゆうびていると、それが口惜くやしくなってくる。
 畢竟ひっきょう人間にんげん人間にんげん限度げんどにしかきられない。自然しぜん悠久ゆうきゅう真似まねようとて真似まねられない。自己じこより偉大いだいなるものが厳然げんぜん自己じこうえにある。それ以下いかもの人間にんげんなのだ。武蔵むさしは、富士ふじ対等たいとうっていることがこわくなった。かれはいつのまにか地上ちじょうにひざまずいていた。
「…………」
 そして合掌がっしょうしていた。
 わされたふたつのとおして、かれはは冥福めいふくいのった。国土こくどおん感謝かんしゃした。おつう城太郎じょうたろう無事ぶじいのった。またかみ天地てんちのごとく、偉大いだいなるわけにはゆかないが、人間にんげんとして、しょうならばしょうなりにえらくなりたい――と自己じこ希望きぼうをもこころのそこでいのった。
「…………」
 なお、かれてのひらをあわせていた。
 すると、
 ――ばか、なぜ人間にんげんちいさい。
 と、いうこえがした。
 ――人間にんげんうつってはじめて自然しぜん偉大いだいなのである。人間にんげんこころつうはじめてかみ存在そんざいはあるのだ。だから、人間にんげんこそは、もっとおおきな顕現けんげん行動こうどうをする――しかもきたる霊物れいぶつではないか。
 ――おまえという人間にんげんと、かみ、また宇宙うちゅうというものとは、けっしてとおくない。おまえのさしている三尺さんじゃくかたなとおしてすらとどきうるほどちかくにあるのだ。いや、そんな差別さべつのあるうちはまだだめで、達人たつじん名人めいじんいきにもとおものといわなければなるまい。
 合掌がっしょうのうちに、武蔵むさしがそんなひらめきをむねけていると、
「なアるほど! よくえらあ」
「お富士様ふじさまが、このようにおがめるは、すくのうござりますよ」
 したからがって五名ごめい旅人たびひとたちが、をかざして、ここの景観けいかんたたっていた。その町人ちょうにんたちのなかにも、やまたんなるやまとしているものと、かみとしてあおものと、おのずからふたつあった。

 瘤山こぶやました高原こうげんみちには、もう西にしひがしから旅人たびびとかげが、ありのように見下みおろされる。
 ほこらうらまわって、武蔵むさしは、そのみち見張みはっていた。――やがて奈良井ならい大蔵だいぞう城太郎じょうたろうが、ふもとからのぼってるにちがいない。
 そしてもし此方こちらつけそこねても、先方せんぽうがあれを見落みおとづかいはあるまい――と安心あんしんしていた。
 なぜならば、かれ入念にゅうねんに、この岩山いわやましたみちばたに、板切いたきれをひろって、それへこういてにつくがけてかけていてあるからである。

  奈良井ならい大蔵だいぞうどの
  御通過ごつうかのみぎりは
  おもうしたく、
  うえ小祠しょうしにて、お
  もうしおりそうろう
        城太郎じょうたろう 武蔵むさし

 ところが、往来おうらいおおあさ一刻いっこくぎ、高原こうげんのうえにたかくなるころまでっても、ひととおらないし、かれててきたふだて、したからこえをかけるものもない。
「おかしいなあ?」
 と、怪訝いぶからざるをない気持きもちとらわれてしまう。
ないわけはないが?」
 と、どうしてもおもう。
 この高原こうげんみねさかいにして、みち甲州こうしゅう中山道なかせんどう北国街道ほっこくかいどう三方さんぽうにわかれているし、みずはみなきたはしって、越後えちごうみちてゆく。
 奈良井ならい大蔵だいぞうが、たとい善光寺ぜんこうじだいらるにしても、中山道なかせんどうむかうにしても、ここをとおらないという理窟りくつかんがえられない。
 だが、世間せけんのうごきを、理窟りくつしてゆくと、とんだ間違まちがいが往々おうおうおこる。なにきゅうに、方角ほうがくえたか、まだ手前てまえふもとまっているかもしれない。こし一日いちにち用意よういげているが、朝飯あさめし午飯ひるめしをかねて、ふもと宿場しゅくばまでもどってみようか?
「……そうだ」
 武蔵むさしは、岩山いわやまりかけた。
 そのときである。
 岩山いわやましたから、
「あッ、いたっ」
 と、ぶしつけな呶鳴どなかたをしたものがある。
 そのこえには、殺気さっきがあった。おとといのばん、いきなりをかすめたぼううなりにていた。はっとおもいながら武蔵むさしいわにつかまりながらしたのぞくと、たせるかな、こえげて仰向あおむいているはあのときであった。
「――客人きゃくじんってたぞ」
 こうばわるものは、こまだけのふもとの土民権之助どみんごんのすけで、ると、あの百姓家ひゃくしょうやにいた母親ははおやまでをれている。
 その老母ろうぼうしにのせ、権之助ごんのすけは、れい四尺よんしゃくほどのぼう手綱たづなって、武蔵むさし姿すがためあげていうのだった。
客人きゃくじん! いいところった。だまっておれ宿やどからしたのは、こっちのはらさっして、かわしたつもりだろうが、それではおれがねえ。もういっぺん試合しあいをしろ。おれのじょうをうけてみろ」