261・宮本武蔵「空の巻」「普賢(3)(4)(5)」


朗読「261空の巻2.mp3」15 MB、長さ: 約 16分 52秒

 ――またよけいなことをく。
 もののことをいわなくなったとおもうと、今度こんどくちやすみなくお喋舌しゃべりなのだ。それもよいが、おつう武蔵むさしとのなかを、とやかくと穿うがってみたり、さぐってみたり、からかってみたりする。
子供こどものくせに)
 と、おつうは、むねいたいところであるだけに、真面目まじめこたえるにはなれない。
 こうしてうしをかりてたび出来できるほどには、からだのぐあいもくなってはたが、彼女かのじょやまい以上いじょう問題もんだいは、けっしてまだ解決かいけつはしていない。
 あの馬籠まごめとうげの――女滝めたき男滝おたき滝津瀬たきつせには、まだあのときの、自分じぶんごえと、武蔵むさしおこったこえが、どうどうと、淙々そうそうむせって、そのまま二人ふたりちがった気持きもち百年ひゃくねん千年せんねんも、このこころけあわぬうちは、うらみにのこしていることであろう。
 おもうたびに、いまでもそれが彼女かのじょみみよみがえってくる。
(なぜわたしは?)
 と彼女かのじょはあのおりに、武蔵むさし自分じぶんせまってもとめたはげしいそして率直そっちょく欲望よくぼうを、自分じぶんもまた、満身まんしんちからこばんでしまったことを、いくたびも、
(なぜか? なぜか?)
 とこころなかいてみたり、わかろうとする努力どりょくをしてみたり、あたまからはなれぬものとなっているが、ては、
おとこというものは、だれでもあんなことを、おんないるものなのかしら?)
 と、かなしくなり、あさましくなり、年久としひさしくひとめていたこい聖泉せいせんは、この旅先たびさき女滝男滝めたきおたきやまえてから、その滝水たきみずのようにくるおしくはげしくむねりつづけるものとかわっていた。
 そして、もっと彼女自身かのじょじしんわからなくなっていることは、武蔵むさしつよ抱擁ほうようわしてげたくせに、そのたびでも、こうして武蔵むさし姿すがたえず見失みうしなうまいとしながら、あといて矛盾むじゅんであった。
 勿論もちろん、あれからというものは、へんまずくなって、おたがいにくち滅多めったにきかないし、道中どうちゅうならんではあるかない。
 しかしさき武蔵むさしあしも、あとからうしあゆみにあわせて、はじめの約束やくそくごとく、江戸表えどおもてまでともようといった言葉ことば破棄はきしてしまうかんがえはないらしく、城太郎じょうたろうのため時々道草ときどきみちくさをしておそくなっても、何処どこかでかならっていてくれた。
 五町七辻ごちょうななつじ福島ふくしま出端ではずれると、興禅寺こうぜんじまがかどからのぼりになって、彼方かなた関所せきしょさくえる。せきはらいくさからあとは、牢人調ろうにんしらべやおんな通行つうこうがやかましいといていたが、烏丸家からすまるけからもらって手形てがたがものをいって、ここもなんなくとおり、両側りょうがわ関所茶屋せきしょぢゃやからながめられながらうしられてると、
て、なんだろう。――おつうさん、なんのこったい?」
 と、城太郎じょうたろうがいきなりたずねだした。
いまネ。あそこの茶屋ちゃややすんでいたぼうさんだのたびものが、おつうさんをして、そういったんだよ。――うしったみたいじゃのう……ってね」
普賢菩薩ふげんぼさつのことでしょう」
普賢菩薩ふげんぼさつのことか。じゃあおいらは、文殊もんじゅさまだ。普賢菩薩ふげんぼさつ文殊菩薩もんじゅぼさつは、どこでもならんでいるからね」
いしんぼう文殊様もんじゅさまですか」
むし普賢様ふげんさまとなら、ちょうど似合にあうだろう」
「また!」
 とおつうが、いやがってかおあからめると、
文殊もんじゅ普賢菩薩ふげんぼさつは、どうしてあんなにならんでるんだろう。おとこおんなでもないくせに」
 と、奇問きもんはっする。
 おてらそだったおつうであるから、それについてなら、説明せつめいはできるが、城太郎じょうたろう執拗しつよう反復はんぷくおそれて、ただ手短てみじかに、
文殊もんじゅ知慧ちえあらわし、普賢ふげん行願ぎょうがんあらわしている仏様ほとけさまです」
 といったとき、いつのまにか何処どこからか、はえのようにうし尻尾しっぽへついて一人ひとりおとこが、
「おいっ」
 と、とがったこえめた。
 さっき福島ふくしまで、城太郎じょうたろうがちらとかけたという、本位田ほんいでん又八またはちであった。

 そこらでちうけていたものにちがいない。
 ――卑劣ひれつおとこ
 おつうかれかおるや、すぐこみあげてくる侮蔑ぶべつねんを、どうしようもない。
「…………」
 又八またはち又八またはちで、彼女かのじょのすがたをると、愛憎あいぞうこもごも、めぐって、おのずから眉間みけん感情かんじょうきりち、まったく常識じょうしきというものをいてしまう。
 ましてかれは、武蔵むさしとおつうが、京都きょうとてからっていた姿すがたている。そのあとくちもきかずよそよそしくあるいているのも、畢竟ひっきょう昼間ひるまだけ人目ひとめはばかっているにぎないものとていた。それだけに人目ひとめのない二人ふたりだけのときにはどんなに――と瞋恚しんいほむらえて邪推じゃすいもされる。
りろ」
 めいじるように、かれは、うし俯向うつむいているおつうへやがていった。
「…………」
 おつうにはこたえる言葉ことばもない。うにこころからないひとなのだ。いやもう数年すうねんまえに、さきほうから許嫁いいなずけという未来みらい破棄はきしたあげく、先頃さきごろ京都きょうと清水寺きよみずでら谷間たにまでは、やいばって自分じぶんい、あやうくころされかけたほどおそろしいわせられた人間にんげん
 こたえるならば、
いまになってなんようが――)
 という以外いがい挨拶あいさつがないではないかと、だまっているのうちに、いよいよ、かれたいする憎悪ぞうおさげすみがみなぎってくる。
「おいっ、りないか!」
 又八またはちは、二度にどさけんだ。
 この息子むすこも、あのお杉婆すぎばばという母親ははおやも、むらにいたころからのくちぐせをいまだにって、もう許嫁いいなずけでもなんでもない彼女かのじょへ、ごんぺいに吩咐いいつけがましくいうことが、いまのおつうには、いわれなくおもわれて、っと反感はんかんをあおられてならない。
「なんでございますか。わたくしにはりるようはございませんが」
「なに」
 又八またはちは、そばて、そのたもとをつかみ、
「なんでもいいからりろっ。おまえにはなくても、おれにはようがあるのだ」
 こえおどすように、往来おうらい見得みえもなく、そう呶鳴どなった。
 ――と、それまでは、だまってていた城太郎じょうたろうが、うし手綱たづなてて不意ふいに、
いやだっていうもの、無理むりじゃないか!」
 又八またはちけないこえしていっただけならよいが、して、相手あいてむないたをいたからおさまらない。
「おやっ――此奴こいつ
 又八またはちは、よろめいたあしを、草履ぞうりへかけなおすと、尻込しりごみする城太郎じょうたろうへ、物々ものものしいかたげて、
「なんだか、たようなはなだとおもったら、てめえは北野きたの酒屋さかやにいた小僧こぞうだな」
おおきなお世話せわだ。自分じぶんこそあのころは、よもぎのりょうのおこうっていうおかみさんに、いつもしかられて、っちゃくなっていたくせに」
 これは又八またはちってなにをいわれるよりいたかったにちがいない。ましておつうをそこにおいてはである。
「このチビ」
 つかみかかると、城太郎じょうたろうはすばやく、うし鼻先はなさきからむこがわまわって、
「おいらがはななら、自分じぶんなんかなんだい。はなしたながはなたれだろう」
 もう勘弁かんべんならぬというかおしめして、又八またはちちかづくと、城太郎じょうたろううしたてにして、三度さんど、おつうしたをぐるぐるとまわったが、とうとうえりがみをつかまれてしまい、
「さあ、もう一遍いっぺんいってみろ」
「いうともッ」
 なが木剣ぼっけん半分はんぶんまでいたときかれからだは、並木なみきそとやぶへ、ねこみたいにほうばされていた。

 やぶしたは、あぜ小川おがわであった。城太郎じょうたろう泥鰌どじょうのようになって、もと並木なみきいあがった。
「……おやッ?」
 往来おうらい見廻みまわすと、うしは、おつうせたまま、おもからだって、彼方かなた駈出かけだしているではないか。
 その手綱たづなりながら、手綱たづな一端いったんをムチにり、ともすなげて、けてゆくかげは、又八またはち相違そういない。
「ちっ、畜生ちくしょう
 かれは、それをるや、一時いちどきあたまへのぼって、自分じぶん責任感せきにんかんちいさいちからのみをふるおこし、きゅうほかげて、はやくさくをとることをわすれてしまった。

 うごいているのであろうが、しろくもおびは、うごいているともにはえない。
 雲表うんぴょうにあるこまだけは、そのひろすそひとつのなみともいえるおかあしやすめている一人ひとり旅人たびびとへ、なに無言むごんのことばをかけているように、あざやかにあおがれた。
(はて。おれはなにかんがえていたろう?)
 武蔵むさしはふと、われにかえって、わが見直みなおした。
 やまながら、こころはそこになく、おつうのことばかりがつきまとう。
 かれにはけないのだ。
 いくらかんがえてみても、処女おとめごころのしんすがたがわからない。
 やがては、はらってしまうのだった。なぜ彼女かのじょ率直そっちょくせまったことがいけないか。その自分じぶんむねからしたのは彼女かのじょではないか。自分じぶんは、自分じぶん情熱じょうねつすがたをそのまま彼女かのじょせた。すると彼女かのじょは、あん相違そういして自分じぶん退け、自分じぶん見下みさてたもののように、かわしてしまった。
 あのあと慚愧ざんきずかしさ、もないにがおとこ気持きもち。それをたきつぼにげこんで、こころあかあらげたつもりであったが、つにしたがい、またどうにもならない迷妄めいもうがわいてくる。幾度いくどか、自分じぶんわらって、
おんななど、って、なぜさきってしまわぬか!)
 武蔵むさしは、自己じこめいじてみたが、それはただ、おろかな自分じぶんに、わけ虚飾きょしょくをつけてみるにぎない。
 江戸表えどおもてて、貴女あなたきなみちならえ、自分じぶんこころざところ邁進まいしんして――と、あん未来みらいちかいをあたえて、こうして京都きょうとからってたについては、十分自分じゅうぶんじぶんにも、責任せきにんがある。途中とちゅうててはかれるものではないとおもう。
(――どうなるのだ、こうして二人ふたりは。おれのけんは!)
 やまあおいで、かれくちびるんでいた。あまりにもちいさい自分じぶんじられてくる。そうして、こまだけむかっていることさえくるしくなってくる。
「まだない」
 たまりかねて、ぬっとった。
 それは、もううに、あとからえてなければならないはずの、おつう城太郎じょうたろうへいったつぶやきである。
 今夜こんや藪原やぶはらとまるといってあるのに、宮腰みやこし宿場しゅくばもまだはるかてまえなのに、すでにれかけているではないか。
 ここのおかからていると、十町じゅっちょうさきもりまで、いちぼう街道かいどう見渡みわたされるが、それらしい人影ひとかげはいつまでも見出みいだせない。
「はてな? ……。関所せきしょでなにかひまどっているのだろうか」
 ててこうかとすらまどいながら、そのかげが、うしろにえなくなれば、武蔵むさしはすぐ心配しんぱいになって、一歩いっぽさきへはられなかった。
 そこのひくおかからかれりた。この地方ちほうおおはないの野馬のまが、かれかげおどろいたもののように、薄陽うすひはら八方はっぽうげてぶ。
「もしもし、おさむらいさま。あなたはうしった女子衆おなごしゅうの、おさまじゃございませんか」
 かれが、街道かいどうるとすぐ、往来おうらい一人ひとりが、そういいながらそばってた。
「えっ、そのものに、なにか間違まちがいでもござったか」
 さきのことばをかないうちに、むしらせか、武蔵むさし早口はやくちかえした。