259・宮本武蔵「風の巻」「女滝男滝(5)(6)」


朗読「259風の巻101.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 34秒

 おつうた。
 城太郎じょうたろうつけた。
 ――たきつぼのなかにである。
 たけ飛沫しぶきや、しろきりのために、はじめは、いし人間にんげんかとあやしまれたが、ふたつのゆびを、むねまえにがっきと組合くみあわせ、五丈余ごじょうあまりのたきしたに、じっと、うなじれている裸形らぎょうものは、いしではない、武蔵むさしであった。
 おつうは、此方こなた絶壁ぜっぺきみち中途ちゅうとから――城太郎じょうたろうは、むこがわふちきしから、それとると、われをわすれて、
「あッ、お師匠様ししょうさまっ、お師匠様ししょうさまアっ」
武蔵むさしさまっ――」
 こえかぎりに、わしたが、その二人ふたりさけびにはさまれても、武蔵むさしみみには、もう、えるたきおとのほかは、なにもののこえはいるはずはなかった。
 あおぐろいたきつぼのみずは、武蔵むさしちちのあたりまであった。百千ひゃくせん銀龍ぎんりゅうって、みずかれかおかたみついてくる。千万せんまん水魔すいまって、くるうずかれあしふちきずりもうとした。
「…………」
 ハッと、ただひとつでも、よわ呼吸こきゅうをつくか、こころゆるみがおこれば、途端とたんにそのかかと水苔みずごけそこすべって永久えいきゅうかえれない冥途よみ激流げきりゅうおくまれてしまうかもれないのである。
 しかも、頭上ずじょうからちてたき圧力あつりょくは、何千貫なんぜんかんというおもさをわされているようなかんじだった。はい心臓しんぞうも、大馬籠おおまごめ山々やまやま下敷したじきになったようにくるしかった。
 ――それでもまだ武蔵むさしは、たったいま、そこにててたおつう面影おもかげを、あつなかからわすることができなかった。
 志賀寺しがてら上人しょうにんでさえ、おなっていた。法然ほうねん弟子でし親鸞しんらんも、おななやみをっていた。古来こらいこと人間にんげんほど、きるちからつよ人間にんげんほど、同時どうじに、このうまれながらってくるしみもつよくそしておおきい。
 弱冠十七歳じゃっかんじゅうななさい村童そんどうに、槍一本やりいっぽんかつがせて、せきはら風雲ふううんかわせたのも、このねつである。沢庵たくあん鉄槌てっついかんじ、法情ほうじょう慈悲じひいて、翻然ほんぜん人生じんせい薄眼うすめひらいてこころざしおこしたのも、このちからである。孤剣こけん柳生城やぎゅうじょう伝統でんとうじのぼって、石舟斎せきしゅうさいせまろうとしたあの気概きがいもこの――また、さがまつってにあまるてき白刃林はくじんりんけちらしたのもこのがあればこそであった。
 だが、そのはげしいものが、おつうというゆるされた対象たいしょうとおして、人間にんげん本能ほんのうえつくと、かれ本来ほんらい野性やせいは、ここ数年すうねんあいだに、やっとすこしばかりやしなたところの、修行しゅぎょう理性りせいちからでは、到底とうていせいしきれないほどつよいものとなって、くるし、みだしたのである。
 このてきむかっては、さしものけんも、なんようもなさないのだ。およそ、対象たいしょうは、そとにあって、かたちもあるが、このてきは、自己じこなかにあって、かたちがない。
 武蔵むさしは、狼狽ろうばいしたのだ。あきらかにかれは、自分じぶんこころにあったおおきな陥没かんぼつって、うろたえたのである。
 そして、なくてもこまる、あってもくるしむ、すべての人間にんげんひとしくっているを――こと異常いじょう情熱じょうねつにそれをたかを――どう処理しょりしたらいいのか。まったく、武蔵自身むさしじしんでも、わからなくなって、物狂ものくるわしく、たきつぼのなかに、とうじたのに相違そういない。――城太郎じょうたろう刹那せつなも、おつうむかって、お師匠様ししょうさまげたと呶鳴どなった言葉ことばも、そうあやまりではなかったにちがいない。
「――お師匠様ししょうさまアっ……お師匠様ししょうさまアっ」
 と、その城太郎じょうたろうは、ごえして、なおまださけびつづけていた。
 かれには、武蔵むさしきんとする姿すがたが、どうしてもなんとする姿すがたにしかうつらないのであろう。
ンじゃいやだっ、お師匠様ししょうさまっ、なないでくださいっ」
 自分じぶんもともにたきいたみをこらえているように、両手りょうてゆびかたあわせ、たきとどろきとごえとをあらそっていたが、ふとむこがわ絶壁ぜっぺきながめると、その途中とちゅうにつかまってともにかなしんでいたおつうが、いつのにかどこにもその姿すがたえなくなっていた。

「あらっ、へんだっ。……おつうさんも?」
 咄嗟とっさ城太郎じょうたろうは、しろあわつぶのながれてゆくみずて、かなしげにうろうろした。
 かれ解釈かいしゃくでは――武蔵むさしがなんのゆえか、たきつぼにはいって、ぬまではがってそうもないていなので、おつうさんも、おなながれのすえに、げたのではないかとうたがったのである。
 ――だがそのかなしみのはやまったことはかれづいた。なぜならば、たきつぼのなか武蔵むさしは、依然いぜん五丈余ごじょうあまり瀑布ばくふしたちたたかれていたが、そのかたから満身まんしんみなぎってちから――粗鉱あらがねのようなわか生命いのちちからは――けっして、まりつぼたたずんだ志賀寺しがてら上人しょうにんのように、ねがってっている姿すがたではない。かえって、大自然だいしぜんこけしたから、こころあかあらって、もっと堅実けんじつなおろう、きようとしている姿すがたであることが、城太郎じょうたろうにも、なんとなくわかってたのだった。
 その証拠しょうこには、いつもの武蔵むさしこえが、やがてたきつぼのなかからきこえてきた。もとよりなにさけんでいるのかはわからなかった。経文きょうもんのようでもあるし、自分じぶんののしおこっているようにもえた。
 みねはしからして夕陽ゆうひが、たきつぼの一端いったんにこぼれると、武蔵むさしのもりがっているかたにくから、無数むすうちいさいにじが、八方はっぽうのぼった。なかでもおおきい一条いちじょうにじは、たきよりもたかいて、そらつらぬいた。
「おつうさアん!」
 城太郎じょうたろうあゆのようにんだ。いわからいわつたわって、激流げきりゅうわたえ、此方こなた絶壁ぜっぺきうつってた。
(そうだ、なにも、おつうさんが安心あんしんしてるくらいなら、おいらの心配しんぱいすることはない。お師匠様ししょうさま気持きもちなら、こころおくまで、おつうさんがってるはずだもの)
 絶壁ぜっぺきじて、かれは、先刻さっき滝見小屋たきみごやからすこはなれたところへのぼってた。うし手綱たづなけたとみえ、それをズルズル引摺ひきずりながら、うしはそこらのくさべていた。
 ふと滝見小屋たきみごやほうながめると、そこのひさししたに、おつううしおびだけがちらとえた。――なにをしているのだろう? とうたがいながら、跫音あしおとしのばせて城太郎じょうたろうちかづいてってみると、おつうは、誰見だれみものもないとおもってか、小屋こやはしててあった、武蔵むさし着物きもの大小だいしょう両手りょうてむねきしめ、よよと、こえらしていていた。
「……?」
 ここにもまた、こころわからない人間にんげんがいるぞといわないばかりに、城太郎じょうたろうたたずんだまま、くちゆびててぼんやりしていた。おつうが、むねかかえているものものであるから、城太郎じょうたろうへんかおをしてしまった。それに、ひといている様子ようすつねとはちがい、ただならぬことが童心どうしんにもかんじられたのであろう。こえをかけずに、そっとまた、うしあそんでいるほうへ、あししてもどってった。
 うしは、しろくさはななかそべって、夕陽ゆうひかべていた。
「……いったい、こんなことしていて、何日いつになったら、江戸えどけるんだろうなあ?」
 城太郎じょうたろう仕方しかたなしに、うしのそばへころんだ。