255・宮本武蔵「風の巻」「送春譜(1)(2)」


朗読「255風の巻97.mp3」11 MB、長さ: 約 12分 04秒

送春譜そうしゅんふ

 まだ天地てんちれている。
 いえごとの炊煙すいえんは、けたばかりのまちうえへ、いくさのようにちのぼっていた。大津おおつ宿駅しゅくえきは、湖北こほくから石山いしやままでぼかしているあさがすみと、そのさかんけむりしたえてきた。
 夜来やらい飽々あきあきするほど山道やまみちあるいてて――いやうしあゆみにまかせてて、黎明れいめいともに、人間にんげんのいるさとせっした武蔵むさしは、うしからおもわず、
「オオ」
 と、を、ぬぐってながめた。
 ――おな時刻じこくに、おつう城太郎じょうたろうのふたりも、志賀山越しがやまごえのみちから、この大津おおつ屋根やねながめ、湖畔こはんむかって、希望きぼうあしおどらせているはず――
 とうげ茶屋ちゃやからみねめぐってりてきた武蔵むさしは、いま三井寺みいでら裏山うらやまからはち詠楼えいろうのある尾蔵寺坂びぞうじざかにかかってたが、おつうはどこのみちからりてるのやら。
 湖畔こはん瀬田せたうまでもなく、ひょいと、そこらでつかっても、そう偶然ぐうぜんでないほど、時刻じこくみちも、ほとんどおなじように辿たどってたのであったが、武蔵むさし視野しやまえにはいま彼女かのじょ姿すがたえなかった。
 ――といって、武蔵むさしけっして、失望しつぼうもしないし、いそうなものだともおもっていなかった。
 烏丸家からすまるけへやった茶店ちゃみせ女房にょうぼう返事へんじによれば、おつう烏丸家からすまるけにいないということであり、手紙てがみは、烏丸家からすまるけからおつう養生ようじょうしているさきへこよいのうちにとどけておくという消息しょうそくであった。
 その返事へんじからかんがえると、自分じぶん手紙てがみが、おつうにとどいたのは昨夜ゆうべのうちとしても、あのからだであるし、おんなのことゆえ、身支度みじたくもあろう。――まずはやくても、そこをつのは今朝けさあたり、約束やくそく場所ばしょ姿すがたせるのが、今日きょう夕刻頃ゆうこくごろになるにちがいない。
 そう武蔵むさしは、むねづもりに、想像そうぞうしていた。
 それにいまはまた、これぞといって、さきいそ何事なにごとこころにはないし――うしあゆみもおそいとおもわなかった。
 牝牛めうしおおきなからだは、やま夜露よつゆれていた。あさくさいろると、うししきりにくさった。けれど武蔵むさしは、それもうしのままにまかせていた。
 ――すると、民家みんかむかっている伽藍がらんつじに、なんとかざくらと、名所めいしょめいにでもありそうなさくら老木ろうぼくがあって、そのしたつかに、うたきざんだえる。
 だれ和歌わかか。――おもそうともせず、武蔵むさしは、そこを三町行さんちょうゆぎてからふとおもして、
「そうだ……太平記たいへいきなかで」
 と、つぶやいた。
 太平記たいへいきは、かれ少年しょうねんころ愛読書あいどくしょひとつだったので、箇所かしょは、暗誦あんしょうしているくらいだった。
 で――今見いまみかけたその和歌うたから、少年しょうねんころ記憶きおくよみがえってたのであろう。緩々かんかんたるうし武蔵むさしはなにげなく、その和歌うたっていた太平記たいへいき一章いっしょうを、くちのうちでそらみした。

――志賀寺しがでら上人しょうにんは、一尋ひとひろつえをたずさえ、まゆ八字はちじしもれ、湖水こすいなみ水想観すいそうかんねんじたもうに、りふし、京極きょうごく御息女所みやすどころ志賀しが花園はなぞのかえるさを、上人しょうにんちらとそめたまい、妄想起もうそうおこりて、多年たねん行徳ぎょうとくついえ、火宅かたく執念しゅうねん一切いっさいうしなたもう……

すこわすれたな」
 武蔵むさしはそうおもいながらまた、うろおぼえのまま、

――しばいおいちかえり、本尊仏ほんぞんぶつにむかいたてまつるといえども、観念かんねんゆかには妄想もうそうたちそい、称名しょうみょうのおんこえだに、煩悩ぼんのういきとのみきこえたもう。暮山ぼざんくもをながむれば、きみ花釵かんざしかとこころく、閑窓かんそうつきにうそぶけば、玉顔ぎょくがんわれにたまうかとまようもあさまし。
――今生こんじょう妄念もうねんついにはなれずば、往生おうじょうさわりともなりぬべければ、御息女所みやすどころたてまつり、わがおもいのふかき一端いったんもうして、こころやすく臨終りんじゅうもせばやと、上人杖しょうにんつえをつき、御所ごしょまいりて、まりつぼもとに、一日一夜いちにちいちやちたりける……

「おオいっ、たびしゅううしってゆくおさむれえ」
 だれか、そのときうしろからものがあった。
 いつか、うしまちなかにはいっていたのである。

 問屋場とんやじょう人足にんそくだった。
 けてて、牝牛めうしはなづらをで、うし頭越あたまごしに、武蔵むさしあげて、
「おさむれえさん、無動寺むどうじからなすったな」
 といいあてる。
「ほ、ようっているなあ」
「この斑牛ぶちは、いつぞやせて、やま無動寺むどうじった商人あきんどに、牛方うしかたなしでしたうしだ。おさむれえさん、いくらか牛賃うしちんをおくんなせえ」
「なるほど、おまえが飼主かいぬしか」
「おれの持牛もちうしじゃねえが、問屋場とんやば牛小屋うしごやにいるうしだあな。無賃ただじゃいかねえぜ」
「よしよし、飼料かいりょうをつかわそう。――だが、そのちんさえはらえば、この牝牛めうしは、どこまでいてまいってもよろしいのか」
かねさえはらえば、どこまでってこうと、かまわねえさ。三百里先さんびゃくりさきこうと、道中どうちゅう宿場問屋しゅくばどんやわたしておいてさえくれれば、くだりのおきゃく荷物にもつんで、いつか大津おおつ問屋小屋とんやごやえってることになっているんだから」
「では、江戸表えどおもてまで、いかほどはらったらよいのか」
「じゃあ、とおみちだ、問屋場とんやばって、お名前なまえいてっておくんなさい」
 なにかの支度したくにも好都合こうつごう武蔵むさしはいわるるままにそこへる。
 問屋場とんやば打出うちではま渡口場わたしばちかかった。船着ふねつきからがるものもの、ここは旅人たびびとたむろなので、草鞋わらじをひさぐみせもあるし、たびあかおとしたりかみととのえるそなえもある。武蔵むさしはゆっくり朝飯あさめしをすまし、まだ、早過はやすぎるとはおもったが、もなく、うしひととなって、その問屋場とんやばからふたたさきってく。
 瀬田せたはもう程近ほどちかい。
 湖畔こはんのうららかな風光ふうこうを、うしあしにまかせてっても、大丈夫だいじょうぶひるまでにはそこへく。
(まだ、ていまい)
 武蔵むさしはそうおもい、そして、今度こんどつううことには、なにかしらこころやすんじるものをいだいていた。
 それは、彼女かのじょたいするかれの、安心あんしんであった。さがまつ死地しちえるまえまでは、武蔵むさしは、女性じょせいというものに、かたかまえをっていた。おつうたいしても同様どうよう危惧きぐいだいていた。
 けれど、あのときの、おつうみきった態度たいど聡明そうめい意思いし処理しょりてから、武蔵むさし彼女かのじょたいする気持きもちは、ただの愛以上あいいじょうふかいものにあらたまっていた。
 一般いっぱん女性じょせい危惧きぐするようなで、おつうをも危惧きぐして自分じぶん小心しょうしんさが、彼女かのじょたいしてまなかったようにいまではおもう。
 そういうおとこ気持きもち――やすんじて女性じょせいにゆるしている気持きもち――それはおなじように、おつうも、男性だんせいたいする信頼しんらいとして、あれからあとむねのふかくにいだいていた。
 武蔵むさしはもう、なにもかも、彼女かのじょにゆるしきっていた。今日会きょうあったら、どんなことでも、彼女かのじょねがいなられてやろう。
 けんを、ゆがめないかぎりのことは。修行しゅぎょうみちから堕落だらくしないかぎりのことは。
 いままでは、それがこわかった。おんな黒髪くろかみには、つるぎにぶり、みちうしなってしまうものと、それをおそれていたのである。しかし、おつうのような覚悟かくごのいい、きわけのよい、理性りせい情熱じょうねつ処理しょりあやまらない女性じょせいならば、けっして、男性だんせいみち情痴じょうちいばらよこたえはしない。なんの足手あしでまといになるわけはない。――ただおぼるることをいましめて、自分じぶんさえ、みだれなければ。
(そうだ、江戸表えどおもてまで一緒いっしょって、おつうには、もっと女性じょせいとしてまなぶべき修養しゅうようみちかせ、自分じぶん城太郎じょうたろうれて、さらにたか修行しゅぎょうみちにのぼろう。そして、時節じせつたら――)
 そんな空想くうそうふけってゆく武蔵むさしかおに、湖水こすい波紋はもんひかりが、幸福こうふくみをげかけるように、揺々ゆらゆらえていた。