2・宮本武蔵「地の巻」「鈴(3)(4)」


朗読「地の巻2.mp3」22 MB、長さ: 約9分45秒

ほどてから二人ふたりは、曠野こうや一角いっかくっていた、およぶかぎり野分のわきあとかやである、えない、人家じんかもない、こんなところざしてりてたわけではないはずだがと、
「はてな、此処ここは?」
あらためて、自分じぶんたちの天地てんち見直みなおした。
「あまり、喋舌しゃべってばかりたので、みち間違まちがえたらしいぞ」
武蔵たけぞうが、つぶやくと、
「あれは、杭瀬川くいぜがわじゃないか」
と、かれかたにすがっている又八またはちもいう。
「すると、このへん一昨日おとつい浮田方うきたがた東軍とうぐん福島ふくしまと、小早川こばやかわぐんてき井伊いい本多勢ほんだぜいと、乱軍らんぐんになってたたかったあとだ」
「そうだったかなあ。……おれもこのへんを、まわったはずだが、なん記憶おぼえもない」
ろ、そこらを」
武蔵たけぞうは、ゆびさした。
野分のわきしたくさむらや、しろながれや、をやるところに、おとといのいくさたおれた敵味方てきみかたかばねが、まだ一個いっこかたづけられずにある。かやなかくびんでいるのや、仰向あおむけに背中せなか小川おがわひたしているのや、うまかさなりっているのや、二日間ふつかかんあめにたたかれてこそあらわれているが、月光げっこうもとに、どの皮膚ひふも、死魚しぎょのようにいろへんじていて、その激戦げきせんぶりをしのばせるにあまりがあった。
「……むしが、いてら」
武蔵たけぞうかたで、又八またはち病人びょうにんらしいおおきないきをついた、いているのは、鈴虫すずむしや、松虫まつむしだけではなかった、又八またはちからもしろいすじがながれていた。
たけやん、おれんだら、七宝寺しっぽうじのおつうを、おぬしが、生涯持しょうがいもってやってくれるか」
「ばかな。……なにおもして、きゅうにそんなことを」
おれは、ぬかもわからない」
よわいことをいう。――そんなもちで、どうする」
「おふくろのは、親類しんるいものるだろう。だが、おつうひとりぼっちだ。あれやあ、嬰児あかごのころ、てらとまったたびさむらいが、いてきばなしにした捨子すてごじゃといった、可哀かわいそうなおんなよ、たけやん、ほんとに、おれんだら、たのむぞ」
下痢腹くだりばらぐらいで、なんで人間にんげんぬものか。しっかりしろ」
はげまして――
「もうすこしの辛抱しんぼうだぞ、こらえておれ、農家のうかつかったら、くすりももらってやろうし、楽々らくらくかせてもやれようから」
せきはらから不破ふわへの街道かいどうへは、宿場しゅくばもあり部落ぶらくもある。武蔵たけぞうは、要心ようじんぶかくあるきつづけた。
しばらくくとまた、一部隊いちぶたいがここで全滅ぜんめつしたかとおもわれるほど死骸しがいのむれに出会であった。だがもう、どんなかばねても、残虐むごいとも、あわれとも二人ふたりかんじなくなっていた。そうした神経しんけいだったのに、武蔵たけぞうなにおどろいたのか、又八またはちもぎょっとしてあしをすくめ、
「あっ? ……」
かるくさけんだ。
累々るいるいとあるかばねかばねあいだに、だれか、うさぎのようにはや動作どうさで、をかくしたものがあった。昼間ひるまのような月明つきあかりである。じっと、そこをつめると、かがんでいるものがよくわかる。
――野武士のぶしか?
とは、すぐおもったことだったが、意外いがいにもそれはまだやっと十三じゅうさん四歳しさいにしかなるまいとおもわれる小娘こむすめであって襤褸つづれてはいるが金襴きんらんらしいはばのせまいはち木帯きおびをしめ、たもとのまるい着物きものているのである。――そしてその小娘こむすめもまた此方こなた人影ひとかげをいぶかるもののごとく、死骸しがい死骸しがいあいだから、はしこいねこのようなひとみを、じっと、射向いむけているのであった。

いくさんだといっても、まだ素槍すやり素刀すがたなは、このへん中心ちゅうしんに、附近ふきん山野さんや残党狩ざんとうがりにけまわっているし、死屍ししは、随所ずいしょに、よこたわっていて、鬼哭啾々きこくしゅうしゅうといってもよい新戦場しんせんじょうである。年端としはもゆかない小娘こむすめが、しかもよる、ただひとりつきしたで、無数むすう死骸しがいなかにかくれ、いったい、なにはたらいているのか。
「……?」
あやしんでもあやしみりないように、武蔵たけぞう又八またはちとはいきをこらして、小娘こむすめ容子ようすを、ややしばしまもっていた。――が、こころみに、やがて、
「こらっ!」
武蔵たけぞうが、こう怒鳴どなってみると、小娘こむすめのまろいひとみは、あきらかにビクリとうごいて、はしりそうなぶりをしめした。
げなくともいい。おいっ、くことがあるっ」
あわてていいしたが、おそかった。小娘こむすめはおそろしく素迅すばやいのである。あとずに、彼方むこうしてゆく。おびひもたもとけているすずでもあろうか、おどってゆくかげにつれて、なぶるようながして、二人ふたりみみみょうのこった。
「なんだろ?」
茫然ぼうぜんと、武蔵たけぞうが、よる狭霧さぎりていると、
ものじゃないか」
と、又八またはちはふとぶるいした。
「まさか」
わらして、
「――あのおかおかあいだかくれた。ちかくに部落ぶらくがあるとえる。おどさずに、けばよかったが」
二人ふたりがそこまでのぼってみると、たして人家じんかえた、不破山ふわやま尾根おねをひろくみなみいているさわである。えてからも、十町じゅっちょうあるいた、ようやくにしてちかづいてみると、これは農家のうかともえぬ土塀どべいと、ふるいながらもんらしい入口いりぐちった一軒建いっけんだてである。はしらはあるがちていて、とびらなどはないもんだった。はいってゆくと、よくびたはぎなかに、母屋おもや戸閉とざされてあった。
「おたのみもうします」
まず、かるくそこをたたいて、
夜分やぶんおそるが、おねがいのものでござる。病人びょうにんを、すくっていただきたい、ご迷惑めいわくはかけぬが」
――ややしばらく返辞へんじがない。さっきの小娘こむすめと、いえものとが、なにか、ささやきっているらしくおもえる。やがて、内側うちがわ物音ものおとがした。けてくれるのかとっていると、そうではなくて、
「あなたがたは、せきはら落人おちゅうどでしょう」
小娘こむすめこえである。きびきびという。
「いかにも、わたしどもは、浮田勢うきたぜいのうちで、新免しんめん伊賀守いがのかみ足軽組あしがるぐみものでござるが」
「いけません、落人おちゅうどをかくまえば、わたしたちもつみになりますから、ご迷惑めいわくはかけぬというても、こちらでは、ご迷惑めいわくになりますよ」
「そうですか。では……やむをない」
「ほかへってください」
りますが、れのおとこが、じつは、下痢腹くだりばらなやんでいるのです。おそれいるが、おわせのくすり一服いっぷく病人びょうにんけていただけまいか」
くすりぐらいなら……」
しばらく、かんがえているふうだったが、家人かじんきにったのであろう、すずおとにつれる跫音あしおとが、おくのほうへえた。
すると、べつな窓口まどぐちに、ひとかおえた。さっきからそとのぞいていたこのいえ女房にょうぼうらしいものが、はじめて言葉ことばをかけてくれた。
朱実あけみや、けておあげ。どうせ落人おちゅうどだろうが、雑兵ぞうひょうなんか、御詮議ごせんぎ勘定かんじょうにはれてないから、めてあげても、づかいはないよ」