1・宮本武蔵「地の巻」「鈴(1)(2)」


朗読「地の巻1.mp3」25 MB、長さ: 約10分59秒


宮本武蔵みやもとむさし
まき
吉川英治よしかわえいじ

すず

 ――どうなるものか、この天地てんちおおきなうごきが。
 もう人間にんげん個々ここ振舞ふるまいなどは、あきかぜのなか一片いっぺんでしかない。なるようになッてしまえ。
 武蔵たけぞうは、そうおもった。
 かばねかばねのあいだにあって、かれ一個いっこかばねかのようによこたわったまま、そう観念かんねんしていたのである。
「――いまうごいてみたッて、仕方しかたがない」
 けれど、じつは、体力たいりょくそのものが、もうどうにもうごけなかったのである。武蔵自身たけぞうじしんは、づいていないらしいが、からだのどこかに、ふたみっつ、銃弾たまはいっているにちがいなかった。
 ゆうべ。――もっとくわしくいえば、慶長五年けいちょうごねん九月十四日くがつじゅうよっか夜半よなかからがたにかけて、このせき原地方はらちほうへ、土砂どしゃぶりに大雨おおあめおとしたそらは、今日きょうひるすぎになっても、まだひく密雲みつうんかなかった。そして伊吹山いぶきやまや、美濃みの連山れんざん去来きょらいするそのくろ迷雲めいうんから時々ときどき、サアーッと四里四方しりしほうにもわたる白雨はくう激戦げきせんあとあらってゆく。
 そのあめは、武蔵たけぞうかおにも、そばの死骸しがいにも、ばしゃばしゃとちた。武蔵たけぞうは、こいのようにくちひらいて、はなばしらかられるあめしたいこんだ。
 ――末期まつごみずだ。
 しびれたあたまのしんで、かすかに、そんなもする。
 たたかいは、味方みかたけとまった。金吾中納言秀秋きんごちゅうなごんひであきてき内応ないおうして、東軍とうぐんとともに、味方みかた石田三成いしだみつなりをはじめ、浮田うきた島津しまづ小西こにしなどのじんへ、さかさにほこけて一転機いってんきからのそうくずれであった。たった半日はんにちで、天下てんか持主もちぬしさだまったといえる。同時どうじに、何十万なんじゅうまんという同胞どうぼう運命うんめいが、えず、刻々こっこくとこの戦場せんじょうから、子々孫々ししそんそんまでの宿命しゅくめいつくられてゆくのであろう。
おれも、……」
 と、武蔵たけぞうおもった。故郷くにのこしてある一人ひとりあねや、むら年老としよりなどのことをふとまぶたかべたのである。どうしてであろう、かなしくもなんともない。とは、こんなものだろうかとうたがった。だが、そのとき、そこから十歩じゅっぽほどはなれたところ味方みかた死骸しがいなかから、ひとつの死骸しがいえたものが、ふいに、くびをあげて、
たけやアん!」
 と、んだので、かれは、仮死かしからめたようにまわした。
 槍一本やりいっぽんかついだきりで、おなむらし、おな主人しゅじん軍隊ぐんたいいて、おたがいがわか功名心こうみょうしんいながら、この戦場せんじょうともたたかっていた友達ともだち又八またはちなのである。
 その又八またはち十七歳じゅうななさい武蔵たけぞう十七歳じゅうななさいであった。
「おうっ。またやんか」
 こたえると、あめなかで、
たけやんきてるか」
 と、彼方むこうく。
 武蔵たけぞうせいいッぱいなこえでどなった。
きてるとも、んでたまるか。またやんも、ぬなよ、犬死いぬじにするなっ」
「くそ、ぬものか」
 ともそばへ、又八またはちは、やがて懸命けんめいってた。そして、武蔵たけぞうをつかんで、
げよう」
 と、いきなりいった。
 すると武蔵たけぞうは、そのを、反対はんたいっぱりせて、しかるように、
「――んでろっ、んでろっ、まだ、あぶない」
 その言葉ことばおわらないうちであった。二人ふたりまくらとしている大地だいちが、かまのようにした。くろ人馬じんば横列よこれつが、喊声ときをあげて、せきはら中央まんなかきながら、此方こなた殺到さっとうしてるのだった。
 旗差物はたさしものて、又八またはちが、
「あっ、福島ふくしまたいだ」
 あわてしたので、武蔵たけぞうはその足首あしくびをつかんで、たおした。
「ばかっ、にたいか」
 ――一瞬いっしゅんあとだった。
 どろによごれた無数むすう軍馬ぐんばすねが、織機はたのように脚速きゃくそくをそろえて、敵方てきがた甲冑武者かっちゅうむしゃせ、長槍ながやり陣刀じんとうわせながら、二人ふたりかおうえを、おどりこえ、おどりこえして、った。
 又八またはちは、じっとしたきりでいたが、武蔵たけぞうおおきなをあいて、精悍せいかん動物どうぶつはらを、何十なんじゅうとなく、ていた。

 おとといからの土砂降どしゃぶりは、秋暴あきあれのおわかれだったとみえる。九月十七日くがつじゅうしちにち今夜こんやは、一天いってんくももないし、あおぐと、人間にんげんにらまえているようなこわつきであった。
あるけるか」
 ともうでを、自分じぶんくびへまわして、うようにたすけてあるきながら、武蔵たけぞうは、たえず自分じぶんみみもとでする又八またはち呼吸いきになって、
「だいじょうぶか、しっかりしておれ」
 と、何度なんどもいった。
「だいじょうぶ!」
 又八またはちは、きかないでいう、けれどかおは、つきよりもあおかった。
 ふたばんも、伊吹山いぶきやま谷間たにま湿地しっちにかくれて、生栗なまぐりだのくさだのをべていたため、武蔵たけぞうはらをいたくしたし、又八またはちもひどい下痢げりをおこしてしまった。勿論もちろん徳川方とくがわがたでは、勝軍かちいくさをゆるめずに、せき原崩はらくずれの石田いしだ浮田うきた小西こにしなどの残党ざんとうりたてているにちがいはないので、この月夜つきよさといだしてゆくには、危険きけんだというかんがえもないではなかったが、又八またはちが、
つかまってもいい)
 というほどなくるしみをうったえてせまるし、居坐いすわったままつかまるのものうがないとおもって決意けついをかため、垂井たるい宿しゅくおもわれる方角ほうがくへ、かれってりかけてたところだった。
 又八またはちは、片手かたてやりつえに、やっとあしはこびながら、
たけやん、すまないな、すまないな」
 ともかたで、幾度いくどとなく、しみじみいった。
なにをいう」
 武蔵たけぞうは、そういって、しばらくしてから、
「それは、おれほうでいうことだ。浮田中納言うきたちゅうなごんさま石田三成様いしだみつなりさまが、いくさおこすといたとき、おれは最初さいしょしめたとおもった。――おれの親達おやたち以前仕いぜんつかえていた新免しんめん伊賀守様いがのかみさまは、浮田家うきたけ家人けにんだから、その御縁ごえんたのんで、たとえ郷士ごうしせがれでも、槍一筋やりひとすじひっさげてけつけてけば、きっと親達同様おやたちどうように、士分さむらいぶんにしていくさくわえてくださると、こうかんがえたからだった。このいくさで、大将首たいしょうくびでもって、おれを、むら厄介者やっかいものにしている故郷くにやつらを、見返みかえしてやろう、んだ親父おやじ無二斎むにさいをも、地下ちかで、おどろかしてやろう、そんなゆめいだいたんだ」
おれだって! ……おれだッて」
 又八またはちも、うなずった。
「で――おれは、日頃仲ひごろなかのよいおぬしにも、どうだ、ゆかぬかと、すすめにったわけだが、おぬしの母親ははおやは、とんでもないことだとおれしかりとばしたし、また、おぬしとは許婚いいなずけ七宝寺しっぽうじのおつうさんも、おれあねまでも、みんなして、郷士ごうし郷士ごうしでおれと、いてめたものだ。……無理むりもない、おぬしもおれも、かけがえのない、あととり息子むすこだ」
「うむ……」
おんな老人としよりに、相談無用そうだんむようと、二人ふたり無断むだんした。それまでは、よかったが、新免家しんめんけ陣場じんばってみると、いくらむかし主人しゅじんでも、おいそれと、士分さむらいぶんにはしてくれない。足軽あしがるでもと、押売おしう同様どうよう陣借じんがりして、いざ戦場せんじょうへとてみると、いつも姦見物かまりやくや、みちごさえのくみにばかりはたらかせられ、やりつより、かまって、くさったほうおおかった。大将首たいしょうくびはおろか、士分さむらいぶんくびおりもありはしない。そのあげくがこの姿すがただ、しかし、ここでおぬしを犬死いぬじにさせたら、おつうさんや、おぬしの母親ははおやなんと、おれはあやまったらいいか」
「そんなこと、だれたけやんのせいにするものか。いくさだ、こうなるうんだ、なにもかも滅茶めちゃくそだ、しいて、ひとのせいにするなら、裏切者うらぎりもの金吾きんご中納言秀秋ちゅうなごんひであきが、おれはにくい」

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