28・宮本武蔵「地の巻」「樹石問答(1)(2)」


朗読「地の巻28.mp3」6 MB、長さ: 約10分25秒

樹石問答じゅせきもんどう

 はるも、ゆうべのあめかぜで、のこりなくあらわれてしまった。今朝けさは、ひかりもおそろしくつよひたいる。
沢庵たくあんどの、武蔵たけぞうはまだきておりますかいの」
 お杉隠居すぎいんきょは、けると、どおしいたのしみでも見物けんぶつたようにてらのぞいてそういった。
「おう、おばばか」
 沢庵たくあんは、えんて、
「ゆうべのあめはひどかったのう」
「よい気味きみあらしでおざった」
「だが、いくら豪雨ごううたたかれたとて、一夜いちや二夜ふたやで、人間にんげんぬまいて」
「あれでもきているのじゃろうか? ……」
 とお杉婆すぎばばは、しわなかはりのようなまぶしげに、千年杉せんねんすぎこずえけて、
雑巾ぞうきんのようにりついたまま、うごきもしていぬが」
からすが、あのかおへたからぬところをれば、武蔵たけぞうは、まだきているにちがいなかろうで」
おおきに――」
 おすぎはうなずきながら、おくのぞいて、
よめえぬが、んでおくれぬか」
よめとは」
「うちのおつうじゃ」
「あれはまだ本位田家ほんいでんけよめではあるまいが」
ちかいうち、よめにする」
むこのいないいえへ、よめをむかえてだれうものか」
「おぬし、風来坊ふうらいぼうのくせに、よけいな心配しんぱいはせぬものよ。おつうは、どこにいますかいの」
「たぶん、ておるじゃろう」
「アアそうか……」
 ひと合点がてんして――
よるは、武蔵たけぞう見張みはりをしておれとわしが吩咐いいつけたゆえ昼間ひるまねむたいも道理どうり……。沢庵たくあんどの、昼間ひるま見張みはりは、おぬしのやくじゃぞ」
 おすぎは、千年杉せんねんすぎしたって、しばらく仰向あおむいていたが、やがてこつこつとくわつえをついてさとりてった。
 沢庵たくあんは、部屋へやはいると、ばんまでかおせなかった。さとがってて、千年杉せんねんすぎこずえいしげたとき障子しょうじをあけて、
はなたれッ! なにをするかっ」
 と一度いちど大声おおごえしかったきり、その障子しょうじは、終日閉しゅうじつしまっていた。
 おなとう幾間いくまかをへだてて、おつう部屋へやがあったが、そこの障子しょうじ今日きょうまったきりであった。納所なっしょそうが、せんぐすりってはいったりかゆ土鍋どなべはこんでったりしていた。
 ゆうべあの大雨おおあめなかを、おつうてらものつかって無理むりやりに屋内おくない引上ひきあげられ、住職じゅうしょくからは、さんざん叱言こごとをいわれたりした。そのあげく風邪かぜぎみのねつはっしてきょうはたきりあたまがあがらないでいるということだった。
 こよいは、ゆうべのそらとはってかわって、つきあかるかった。てらものしずまると、沢庵たくあんは、書物しょもついたように、草履ぞうり穿いて、そとった。
武蔵たけぞう――」
 そうぶと、すぎこずえが、たかところですこしれた。
 バラバラとつゆひかりちてくる。
「――不憫ふびんや、返辞へんじをする元気げんきせたのか、武蔵たけぞうっ、武蔵たけぞうっ」
 すると、すさまじいちからで、
「なんだッ! くそ坊主ぼうず!」
 すこしもおとろえのない武蔵たけぞう呶号どごうだった。
「ホ……」
 と、見上みあなおして、
こえるな。そのあんばいではまだ六日ろくにちつだろう。ときに……はらぐあいはどうだ」
雑言ぞうごん無用むよう坊主ぼうず、はやくおれくびねろ」
「いやいや、うかつにくびられない。さまのような我武者がむしゃは、くびだけになっても、びついてるおそれがあるからな。……まあ、つきでもようか」
 沢庵たくあんは、そこのいしへ、こしをおろした。

「うぬっ、どうするか、ていろっ――」
 武蔵たけぞうは、満身まんしんちからで、自分じぶんいましめている老杉ろうさんこずえをゆさゆさうごかしていう。
 バラバラと、すぎかわや、すぎが、沢庵たくあんあたまへこぼれてる。その襟元えりもとはらいながら沢庵たくあん仰向あおむいて――
「そうだ、そうだ。それくらいおこってみなければ、ほんとの生命力せいめいりょくも、人間にんげんあじも、てはぬ。近頃ちかごろ人間にんげんは、おこらぬことをもって知識人ちしきじんであるとしたり、人格じんかく奥行おくゆきとせかけたりしているが、そんな老成ろうせいぶった振舞ふるまいを、わかやつらが真似まねるにいたっては言語道断ごんごどうだんじゃ、わかものは、いからにゃいかん。もッとおこれ、もッとおこれ」
「オオ! いまに、このなわって、大地だいちちて貴様きさま蹴殺けころしてやるから、っておれ」
たのもしい。それまでっていてやろう。――しかし、つづくか。なわれないうちに、おぬしの生命いのちれてしまいはせぬか」
なにをっ」
「おう、えらいちからがうごく。しかし、大地だいちはびくともせぬじゃないか。そもそも、おぬしのいかりは、私憤しふんだからよわい。男児だんじいかりは、公憤こうふんでなければいかん。われのみのちいさな感情かんじょうおこるのは、女性じょせいいかりというものだ」
なんとでも、存分ぞんぶんざいておれ。――いまにみよ」
駄目だめさ。――もうよせ武蔵たけぞうつかれるだけじゃぞ。――いくらもがいたところで、天地てんちはおろか、この喬木きょうぼく枝一えだひとくことはなるまい」
「うーむ……残念ざんねんだ」
「それだけのちからを、国家こっかのためとまではいわん、せめて、他人たにんのためにそそいでみい、天地てんちはおろか、かみもうごく。――いわんやひとをや」
 沢庵たくあんはこのへんから、やや説教口調せっきょうくちょうになって、
しむべし、しむべし。おぬし、折角人せっかくひとうまれながら、ししおおかみにひとしい野性やせいのまま、一歩いっぽも、人間にんげんらしゅういたらぬに、紅顔こうがん可惜あたらここにおわろうとする」
「やかましいッ」
 つばいたが、つばは、たかこずえから地上ちじょうるまでの途中とちゅうきりになってしまう。
けよ! 武蔵たけぞう。――おぬしは、自分じぶん腕力わんりょくおもがっていたろうが。なかに、おれほどつよ人間にんげんはないとまんじていたろうが。……それがどうじゃ、そのざまは」
「おれはじない。うでさまにけたのではない」
さくけようが、口先くちさきけようが、ようするに、けはけだ。その証拠しょうこには、いかに口惜くやしがっても、わしは勝者しょうしゃとなっていし床几しょうぎこしかけ、おぬしは敗者はいしゃのみじめな姿すがたを、うえさらされているではないか。――これは一体いったいなんか、わかるか」
「…………」
うでずくでは、なるほど、おぬしがつよいにまっている。とら人間にんげんでは、角力すもうにならん。だが、とらはやはり、人間以下にんげんいかのものでしかないのだぞ」
「…………」
「たとえば、おぬしの勇気ゆうきもそうだ、今日きょうまでの振舞ふるまいは、無智むちからている生命いのちらずの蛮勇ばんゆうだ、人間にんげん勇気ゆうきではない、武士さむらいつよさとはそんなものじゃないのだ。こわいもののこわさをよくっているのが人間にんげん勇気ゆうきであり、生命いのちは、しみいたわってたまともいだき、そして、しん死所ししょることが、しん人間にんげんというものじゃ。……しいと、わしがいうたのはそこのことだ。おぬしにはうまれながらの腕力わんりょく剛気ごうきはあるが、学問がくもんがない、武道ぶどうわるいところだけをまなんで、智徳ちとくみがこうとしなかった。文武二道ぶんぶにどうというが、二道にどうとは、ふたみちむのではない。ふたつをそなえて、ひとみちだよ。――わかるか、武蔵たけぞう