27・宮本武蔵「地の巻」「千年杉(7)(8)」


朗読「地の巻27.mp3」6 MB、長さ: 約10分09秒

 げきしやすい処女おとめ感情かんじょうは、あおじろいけんまくをかおにもって、なみだまじりに、あいてのむねへしがみついてった。
「うるさい」
 沢庵たくあんは、いつになくこわかおして、
おんななどがったことか。だまっておれっ」
 と、しかった。
「いいえ! いいえ!」
 つよくかおりながら、おつうも、いつものおつうでなかった。
「わたしにも、このことについては、くち権利けんりがあります。いたどりのまきって、わたしも、三日三晩みっかみばんつとめたのですから」
「いかん! 武蔵たけぞう処分しょぶんは、だれがなんといおうと、この沢庵たくあんがする」
「ですから、るものなら、ったがよいではありませんか。なにも、半殺はんごろしにして、他人ひとむごを、たのしむような非道ひどうをしなくても」
「これが、わしのやまいだ」
「ええ、なさけない」
退いていなさい」
退きません」
「また、強情ごうじょうはじまったな。このおんなめ!」
 ちからづよくはなすと、おつうは、すぎへよろめいてって、わっと、そのままみきへ、かおむねしあててした。
 沢庵たくあんまでが、こんな残酷ざんこくひととは、彼女かのじょおもっていなかった。むらもののてまえ一応いちおうしばっても、最後さいごにはなになさけのある処置しょちるのだろうとおもっていたのに、じつはこういう残虐ざんぎゃくなことをたのしむのがやまいだとこのひとはいうのだ。おつうは、人間にんげんというものに、戦慄せんりつせずにいられない。
 しんじぬいていた沢庵たくあんまでが、いやひとになることは、なかのすべてがいやになるのもおなじだった。あらゆるひとしんじられないとしたら……彼女かのじょ滅失めっしつそこしずんだ。
 だが――
 彼女かのじょは、ふと、かおを、しあてているみきに、あやしい情熱じょうねつおぼえた。この千年杉せんねんすぎのうえにしばられているひと――凛烈りんれつこえてんからげてくるひと――その武蔵たけぞうが、この十人じゅうにんうででもかかえきれないようなふとみきかよっているような心地ここちがする――
 武士さむらいらしい! いさぎよい! そして、なんという信義しんぎのつよいひと沢庵たくあんさんにしばられたあのとき様子ようす先刻さっきからの言葉ことばけば、このひとは、なみだもろい、のよわい、なさけの半面はんめんすらっている。
 いままでは、衆評しゅうひょうにまきまれて、自分じぶん武蔵たけぞうというひとかんがちがいしていた。――どこにこのひとを、悪鬼あっきのようににくむところがあろう、猛獣もうじゅうのようにこわがったり狩立かりたてなければならない性質せいしつがあるだろうか。
「…………」
 にもかたにも嗚咽おえつなみちながら、おつうはひしと千年杉せんねんすぎみききしめるような気持きもちでいた。ほおなみだを、皮膚かわはだへこすりつけた。
 天狗てんぐがゆするように、そらこずえりだした。
 ポッ! とおおきなあめつぶが、彼女かのじょえりもとへも、沢庵たくあんあたまへもこぼれてたのである。
「お! ってたわ」
 あたまへ、をやりながら、
「おい、おつうさん」
「…………」
むしのおつうさん、そなたがくので、そらまでベソをいてたじゃないか。かぜがあるし、これや大降おおぶりになろう、れぬうちに、退散退散たいさんたいさんんでゆくやつにかまっていないで、はやくおで」
 すぽりと法衣ころもあたまからかぶると、沢庵たくあんは、げるように本堂ほんどうなかんでしまう。
 あめは、やにわにりそそいでて、やみのすそが、しろにぼかされた。
 ぽたぽたとちるしずくのつにまかせて、おつうはいつまでもうごかなかった。――こずえうえ武蔵たけぞうはいうまでもない。

 おつうは、どうしても、そこをもちになれなかった。
 あめやしずくが、をとおして、肌着はだぎにまでみてたが、武蔵たけぞうのことをおもえばなんでもないがする。だが、なんで、武蔵たけぞうくるしみとともに自分じぶんくるしみたいのか――それはかんがえている余裕よゆうもない。
 ただにわかに、彼女かのじょには見事みごと男性だんせいかたちがそこにえていたのである。こんなひとこそ、しん男性だんせいではないかとおもうとともに、ころしたくないとねんずるおもいが真剣しんけんにこみあげてくるのであった。
「かあいそうな!」
 彼女かのじょは、をめぐって、おろおろしだした。あおいでも、そのひとかげすらえないあめかぜであった。
「――武蔵たけぞうさあん!」
 おもわずさけんだが、返辞へんじはない。あのひともまたこのわたしを、本位田家ほんいでんけ一人ひとりのように、むら人々ひとびとおなじように、冷酷れいこく人間にんげんているにちがいない。
「こんなあめたれていたら、一晩ひとばんんでしまう。……ああ、だれか、これほど人間にんげんおお世間せけんなのに、一人ひとり武蔵たけぞうさんを、たすけてやろうとするひとはないのか」
 おつうは、突然とつぜんあめなかをまっしぐらにけだした。かぜ彼女かのじょいかけるようにいた。
 てらうらは、庫裡くり方丈ほうじょうも、すべてまっていた。といをあふれるみずが、たきのように穿うがっていた。
沢庵たくあんさん、沢庵たくあんさん」
 そこのは、沢庵たくあんにあてがわれている一室いっしつだった。おつうが、そとからはげしくたたくと、
だれだい?」
「わたしです、おつうです」
「あっ、まだそとにいたのか」
 すぐけて、水煙みずけむりひさししたをながめ、
「ひどい! ひどい! あめがふきむ、はやくおはいり」
「いいえ、おねがいがあってたのです。後生ごしょうですから、沢庵たくあんさん、あのひとを、からろしてあげてください」
だれを」
武蔵たけぞうさんを」
「とんでもないこと」
おんます」
 おつうは、あめなかひざまずいて沢庵たくあんのすがたへ、をあわせた。
「このとおりです……わたしをどうしてもかまいませんから……あのひとを、あのひとを」
 あめおとは、おつうごえちたたいたが、おつうは、たきつぼのなかにある行者ぎょうじゃのように、わせたをかたくして、
「おがみます、沢庵たくあんさん、おすがりいたします、わたしにできることならどんなことでもしますから……あ、あのおかたを、た、たすけて」
 いてさけぶ彼女かのじょくちなかまであめはふきすさんでいる。
 沢庵たくあんは、いしみたいにだまっていた。本尊仏ほんぞんぶつめた厨子ずしとびらのようにまぶたをかたくふさいでいるのである。おおきないきをついて、やがてそのまぶたをくわっとけると、
「はやくなさい。丈夫じょうぶからだでもないのに、雨水あまみずどくじゃということをらんのか」
「もしっ……」
 おつうが、へすがると、
「わしはる。そなたもや」
 雨戸あまどはかたくめられてしまった。
 だがおつうは、あきらめなかった。くっしなかった。
 床下ゆかしたはいってって、沢庵たくあん寝床ねどこかれたあたりへ、
「おねがいです! 一生いっしょうのおねがいです! ……もしッ、きこえませんか、ええ沢庵たくあんさんの人非人ひとでなし……おにッ……あなたにはがかよっていないのですか」
 根気こんきよくだまりこくっていたが、とてもつかれないとみえて、沢庵たくあんはとうとう癇癪かんしゃくおこしたようにきて呶鳴どなった。
「おーいッ、てらしゅうっ、わしが部屋へや床下ゆかしたに、泥棒どろぼうしのんでおるで、つかまえてくれんか」