25・宮本武蔵「地の巻」「千年杉(3)(4)」


朗読「地の巻25.mp3」6 MB、長さ: 約9分44秒

 やまからりててらへもどって、自分じぶん部屋へやはいると、おつうはそのからきゅうに、ひとりぽっちのさびしくてならなくなった。
(なぜかしら?)
 ひとりぽっちは、今始いまはじまったことではないし、てらには、ともかく、ひともおりもありあかりもともっているが、やまにいた三日間みっかかんというものは、寂寞せきばくたるやみなかに、沢庵たくあんさんとたった二人ふたりであった。――だのに何故なぜてらかえっててからのほうが、こんなにさびしいがするのか?
 自分じぶんもちを、自分じぶんいてみようとするものらしく、この十七じゅうなな処女おとめは、まど小机こづくえほおづえをついたまま、半日はんにちをじっとそうしていた。
(わかった)
 うっすらと、おつうは、自分じぶんこころがした。さびしいというこころえとおなじだ。皮膚ひふそとのものではない、そこに、りないものをかんじるとき、さびしさがせまる。
 てらには、ひと出入でいりがあるし、あかりもあってにぎやかそうだが、そういうかたち現象げんしょうでこのさびしさはいやせるものでない。
 やまには、無言むごんきりやみしかないが、そこにいた一人ひとり沢庵たくあんというひとは、けっして、皮膚ひふそとひとではなかった。あのひと言葉ことばには、をくぐってこころれ、よりもあかりよりもこころにぎやかにしてくれるものがある。
(その沢庵たくあんさんがいないから!)
 おつうは、ちかけた。
 しかしその沢庵たくあんは、武蔵たけぞう処置しょちをしてから姫路藩ひめじはん家来けらいたちとなに客間きゃくま膝詰ひざづめの相談事そうだんごとをしていた。さとりてはとてもいそがしくて、自分じぶんやまなかでのようなはなしなどしていられそうもない。
 そうづくと、彼女かのじょはまた、すわなおした。ひしひしと、知己ちきしいとおもう。かずもとめない、ただ一人ひとりでよい、自分じぶんってくれるもの、自分じぶんちからになってくれるもの、しんじられるもの――それがしい! もうくるうほど、そういうひとがこのしい!
 ふえ。――ふたおやのかたみのふえ。――ああそれはここにあるが、処女おとめ十七じゅうななともなれば、もう、つめたい一管いっかんたけではふせないものがそだっている。もっと切実せつじつな、現実的げんじつてき対象たいしょうでなければりない。
「くやしい……」
 それにつけても彼女かのじょは、本位田又八ほんいでんまたはちつめたいこころうらまずにはいられなかった。塗机ぬりづくえなみだでよごれ、ひとりでおこは、こめかみのすじあおくして、ずきずきと、そのあたりがまたいたんでくる。
 うしろのふすまが、そっといた。
 いつのにか大寺おおでら庫裡くりには暮色ぼしょくいていた。けたふすまごしに、くりやあかえる。
「やれやれ、ここにやったかいの。……一日暇いちにちひまをつぶしてしもうた」
 つぶやきながらはいってたのは、おすぎばばであった。
「これは、おばばさま
 あわてて敷物しきものすと、おすぎは、会釈えしゃくもなく木魚もくぎょのようにすわって、
嫁御よめご
 と、いかめしい。
「はい」
 すくむように、おつうをつかえた。
「そなたの覚悟かくごをたしかめたうえ、ちとはなしがあるのじゃ。いままで、あの沢庵坊主たくあんぼうずや、姫路ひめじ御家来ごけらいたちとはなしていたが、ここの納所なっしょちゃさぬ。のどかわきました。まずさきに、ばばにちゃいっぱいんでおくりゃれ」

「ほかではないがの……」
 おつう渋茶しぶちゃると、ばばはあらたまって、すぐいいした。
武蔵たけぞうめのいうたことゆえ、うかとはしんじられぬが、又八またはちは、他国たこくきているそうじゃよ」
左様さようでございますか」
 おつうややかだった。
「いや、たとい、んでおればとてじゃ、そなたというものは、又八またはちよめとして、このてら和尚おすどのを親元おやもとに、しかと、本位田家ほんいでんけにもらいうけた嫁御よめご、このあとどんな事情じじょうになろうと、それに、二心ふたごころはあるまいの」
「ええ……」
「あるまいの」
「は……い……」
「それでまず、ひとつは安心あんしんしました。ついては、とかく、世間せけんがうるさいし、わしも、又八またはちがまだ当分とうぶんもどらぬとすれば、のまわりも不自由ふじゆう分家ぶんけよめばかり、そうそうこき使つかうてもおられぬゆえ、このおりに、そなたはてらて、本位田家ほんいでんけのほうへうつしてもらいたいが」
「あの……わたしが……」
「ほかにだれが、本位田家ほんいでんけよめとしてるものがあろうぞいの」
「でも……」
「わしとくらすのはいやとでもおいいか」
「そ……そんなわけではございませぬが」
荷物にもつまとめてきやい」
「あの……又八またはちさんが、かえってからでは」
「なりません」
 と、おすぎめつけて、
「せがれがもどるまでのあいだに、そなたのむしがついてはならぬ。よめ素行そこうまもるのは、わしの役目やくめ、このばばそばにいて、せがれがもどるまでに、畑仕事はたけしごと飼蚕かいこのしよう、おはり行儀作法ぎょうぎさほうなにかとおしえましょう。よいか」
「は……はい……」
 仕方しかたなくいう自分じぶんこえが、なさけなくてくように自分じぶんにはきこえた。
つぎに」
 と、おすぎめいじるように、
武蔵たけぞうのことじゃが、あの沢庵坊主たくあんぼうずはらは、ばばには、どうにもせぬ。そなたは、さいわいに此寺ここにいるでもあることゆえ、武蔵たけぞうめの生命いのちおわるまで、おこたらずに、ここで見張みはっていやい――真夜半まよなかなど、をつけておらぬと、あの沢庵たくあんが、なにままにしてのけぬものでもない」
「では……わたし此寺こちらるのは、いますぐでなくともよいのでございますか」
「いちどに、両方りょうほうはできますまい。そなたが、荷物にもつ一緒いっしょ本位田家ほんいでんけうつっては、武蔵たけぞうくびどうはなれたじゃよ。わかりましたか」
かしこまりました」
「きっと吩咐いいつけましたぞよ」
 ねんして、おすぎった。
 すると――その機会きかいっていたように、まどそと人影ひとかげし、
「おつう、おつう
 と小声こごえだれまねく。
 ふと、かおしてみると、どじょうひげ大将たいしょうがそこに佇立たたずんでいる。いきなりまどごしに彼女かのじょつよにぎって、
「そちにも、いろいろ世話せわになったが、はんからお召状めしじょうて、きゅう姫路ひめじへもどらねばならぬことになった」
「ま、それは……」
 をすくめたが、どじょうひげはなおかたにぎって、
御用ごようは、今度こんど事件じけんきこえて、それについてのお取糺とりただしらしい。武蔵たけぞう首級しるしさえれば、わしの面目めんぼく立派りっぱち、ひらきもつくのじゃが、沢庵坊主たくあんぼうずめ、なんといっても意地いじげてわたしおらぬ。……だが、そなただけは、こっちの味方みかたじゃろうな。……この手紙てがみあとでよい、ひとのおらぬところで、んでくれい」
 なにか、つかませると、どじょうひげかげは、あたふたと、ふもとのほうへいそあしにかくれた。