254・宮本武蔵「風の巻」「連理の枝(3)(4)(5)」


朗読「254風の巻96.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 49秒

 烏丸家からすまるけさむらいは、一通いっつう手紙てがみ城太郎じょうたろうさずけて、
「これは、おつうどのが、まだおやかたにいられるものとかんがえて、武蔵むさしどのが、使つかいにたせてよこされたもの。――一応大納言様いちおうだいなごんさまのおみみれると、すぐおつうのもとにとどけてつかわせとのことに、いそいでってまいったのでおざる。――あわせて大納言様だいなごんさまよりもからだいとしめとの御意ぎょい、おつたもうしあげまする」
 すぐ、使つかいはかえってく。
 城太郎じょうたろうはそれをに、
「アア、お師匠様ししょうさまだ。もし、さがまつんでいたらお師匠様ししょうさまももうこの手紙てがみけなかったんだなあ。……おつうどのへ、といてあらあ。……だが、城太郎じょうたろうどのへとはいてない」
 おつうは、おくからってて、
城太じょうたさん。いま、おやかたひとってたのは、武蔵様むさしさまからの手紙てがみではありませんか」
「そうだよ」
 城太郎じょうたろう意地いじげて、手紙てがみうしろにかくしながら、
「でも、おつうさんには、ようはないだろ」
「おみせ」
「いやだい」
意地いじのわるい――そんなことをいわないで」
 れて、きそうになると、城太郎じょうたろう手紙てがみ彼女かのじょきつけながら、
「それ御覧ごらんな。そんなに、たがるくせにして。それを、おいらがいにこうといえば、我慢がまんして、いや気取きどってみたりして」
 おつうにはもう、そんな言葉ことばいているみみはない。
 短檠たんけいしたりひろげている手紙てがみしろ指先ゆびさきは、燈芯とうしんとともにおののいている。
 こころなしか、こよいは、あざやかに、くもりなくともって、なんとなくむねはなやぐようなと、灯占ひうらをたてていたが――

花田橋はなだばしでは
もとたせたが、
こたびは
わしがつであろう
瀬田せた湖畔こはん
うしをつないで

 と、武蔵むさしからの便たより。まざまざと、そのひとふですみのにおい。
 すみひかりまでが、にじいろにえ、彼女かのじょのまつには、きらきらと、たまなみだいていた。
 ――ゆめかとおもう。
 あまりのうれしさに、あたまぼうとして。――おつうは、なんだか、こののことでないような心地ここちがしてならなかった。
 安禄山あんろくざん叛乱はんらんに、兵車へいしゃわだちのもとに楊貴妃ようきひうしなった漢皇かんおうが、のち貴妃きひうのあまり、道士どうしめいじて、魂魄こんぱくをたずねさせ、道士どうしはそれを、かみ碧落へきらくきわみ、した黄泉よみにいたるまでさがしもとめ、ついに、海上かいじょう蓬莱宮ほうらいきゅうちゅうにその花貌雪膚かぼうせっぷ仙子せんし見出みいだして、ていをつたえたというあの長恨歌ちょうごんかうちにある、貴妃きひ驚愕きょうがくよろこびのしょうが――そのまま自分じぶんのことでもあるように、おつう茫然ぼうぜんとして、みじか手紙てがみを、かず、りかえしていた。
「……となると、ときながさ。そうだ、すこしでもはやくおにかかって」
 こう、城太郎じょうたろうむかって、かたりかけているつもりではあったのだが、もう彼女かのじょよろこびは彼女かのじょ顛倒てんとうさせている。――相手あいてへいったつもりでも、それはひとごとひと合点がてんをしていたのである。
 手早てばや身支度みじたくをし、いおり持主もちぬしや、銀閣寺ぎんかくじそうや、世話せわになった人々ひとびとへは、一筆いっぴつずつれいことば置手紙おきてがみにのこし、もう、足拵あしごしらえまでして、さき戸外おもてた。
 そして、いえなかにぶっすわって、ふくがおしている城太郎じょうたろうむかい、
城太じょうたさん、おまえはもう、先刻さっき支度したくをしていたからそれでいいんでしょ。……さ、はやておいで。あとめてかなければならないから」
らない、おいらは。――どこへくのさ」
 でもうごかおつきではない。城太郎じょうたろうは、すっかりおへそをまげてしまった。

城太じょうたさん、おこったの」
おこったさ! あたまえだい」
「どうして」
勝手かってだから、おつうさんは。――おいらが折角捜せっかくさがててて、こうというときには、かないといっておきながら」
「でも、その理由わけは、よくはなしたでしょう。ところがいま武蔵様むさしさまほうからお便たよりがあったんですもの」
「その手紙てがみだって、自分じぶんだけでて、おいらには、ませてくれないじゃないか」
「アアほんとに、それはわるかった。御免ごめんよ、城太じょうたさん」
「もういいよ、もうたくなんかない」
「そう、ぷんぷんおこらないで、この手紙てがみておくれ。ね、なんというめずらしいことでしょう。あの武蔵様むさしさまが、わたしに手紙てがみくだすったことなんか、これがはじめてです。またっているからいなんて、やさしいことをっしゃってくれたのも、これがはじめてです。――それからこんなよろこばしいことは、わたしにとっても、うまれてはじめてではありませんか。……だから城太じょうたさん、機嫌きげんなおして、わたし瀬田せたまでれてってください。……ね、後生ごしょうだから、そんなにふくれていないで」
「…………」
「それとも、城太じょうたさんは、武蔵様むさしさまにもうおにかかりたくないの」
「…………」
 城太郎じょうたろうだまってれい木刀ぼくとうよこし、先刻せんこくつくっておいた風呂敷ふろしきづつみをななめに背負せおい、ぽんと、いおりそとして、まごまごしているおつう剣突けんつくをわせた。
くならくで、はやくおでよっ! 愚図愚図ぐずぐずしてると、戸外そとからめてしまうぜ」
「まあ、こわひと
 それから二人ふたりは、志賀山越しがやまごえのみちを、よるにかけあるしたが、さきおこった手前てまえがある、みちさびしいが、城太郎じょうたろうくちをきかない。
 すたすたと、さきあるいてきながら、そこらのをむしって、葉笛はぶえいてみたり、俗歌ぞっかうたってみたり、いしってみたり、なにか遣場やりばのない気持きもちいているらしいので、おつうがまた、
城太じょうたさん、わたし、いい物持ものもっていたのに、わすれていたのよ。あげましょうか」
「……なにさ」
笹飴ささあめ
「……ふん」
「おととい、烏丸様からすまるさまから、いろいろお菓子かしたせてよこしてくだすったでしょう。それがまだのこっているのだけれど」
「…………」
 くれとも、らないともいわずに、城太郎じょうたろう黙々もくもくあるいてくので、おつうは、くるしいあえぎを我慢がまんして、そばいつき、
城太じょうたさん、べない? わたしもべよう」
 それからやっと、城太郎じょうたろう機嫌きげんがすこしなおった。
 志賀山越しがやまごえをのぼりつめたときは、もう北斗ほくとしろうすれて、くも夜明よあけのたたずまいであった。
草臥くたびれたろ、おつうさん」
「ええ、のぼりばかりだったから」
「もうこれからは、くだみちだから、らくなものだよ。……ああ、湖水こすいえる」
「あれがにおうみね。……瀬田せたはどのへん?」
「あっち」
 とゆびさして、
っているといっても、お師匠様ししょうさまは、こんなにはやっているかしら」
「でも、まだ瀬田せたまでくには、半日以上はんにちいじょうもかかるでしょう」
「そうだ、ここからると、すぐそこのようだけれど」
すこやすまない?」
やすもうか」
 すっかり気持きもちけたとみえ、城太郎じょうたろうはいそいそやす場所ばしょをさがしあるいていたが、
「おつうさん、おつうさん、このしただと朝露あさつゆがなくっていいよ。ここへおでよ、ここへこしかけよう」
 と、手招てまねきした。
 二本にほんおおきな合歓ねむしただった。

 っている二本にほん喬木きょうぼくしたこしをおろして、
「なんのだろ?」
 城太郎じょうたろうがいう。
 おつうも、ひとみげながら、
合歓ねむです」
 とおしえる。そして、
「わたしや武蔵様むさしさまが、まだおさな時分じぶんによくあそんだことのある、七宝寺しっぽうじというおてらにわにも、このがありましたっけ。六月ろくがつごろになると、いとのような淡紅色ときいろはないてね、夕月ゆうづきるころになると、あのがみんなかさなりってねむってしまう」
「だから、というのかしら」
「でも、文字もじくと、ねむるというきません、よろこぶといて、合歓ねむむんですの」
「どうしてだろ?」
「どうしてでしょうね。きっとだれかがこしらえた当字あてじでしょう。……だけど、この二本にほん姿すがたると、そんながなくても、いかにもよろこっているといったような姿すがたじゃありませんか」
なんか、よろこぶもかなしむも、あるもんか」
「いいえ城太じょうたさん、にもこころがあるんです。よく御覧ごらん、このやま樹々きぎのうちにも、よくると、ひとたのしんでいるもあるし、ひといたましそうになげいているもある。また城太じょうたさんのように、うたうたっているのもあれば、大勢おおぜいして、おこっているれもあるでしょう。いしでさえ、ひとけばものをいっているというくらいですもの、なんでにもこの生活せいかつがないといえましょう」
「そういわれてみると、そんなふうにもえてくるなあ。――するとこの合歓ねむなんか、どうおもっているんだろう」
「わたしからるとうらやましいえます」
「どうして」
長恨歌ちょうごんかってるでしょう。白楽天はくらくてんというひとつくった
「ああ」
「あの長恨歌ちょうごんかおわりのほうに――てんってはねがわくは比翼ひよくとりらん、ってはねがわくは連理れんりえだらん――というがあるでしょ。あの連理れんりえだというのは、こんなのことをいうのじゃないかしらと、さっきからおもっているんですの」
連理れんりって? ……なに
えだえだみきみきふたつのものでありながら、ひとつののようになかよくって、天地あめつちなかに、はるあきたのしんでいるのこと」
「なんだあ……自分じぶん武蔵様むさしさまのことをいってるんじゃないか」
「いけない、城太じょうたさん」
勝手かってにおしよ」
「――よるけてきた。なんといううつくしい今朝けさくもだろう」
とりがお喋舌しゃべりをしはじめたね。ここをりたら、おいらたちも、朝飯あさめしべようぜ」
城太じょうたさんもうたわない」
「なんのうた
白楽天はくらくてんといったのでおもしたんです。いつか、城太じょうたさんが、烏丸様からすまるさま御家来ごけらいおそわっていたがあったわね。おぼえている? ……」
長干行ちょうかんこうか」
「ええ、あれ。あのを、かせてくださいな。ほんむようなふし結構けっこうですから」
「……ショウ髪始カミハジメテヒタイオオ

ハナッテ門前モンゼンタワム
ロウ竹馬チクバシテキタ
ショウメグッテ青梅セイバイロウス……」

 城太郎じょうたろうはすぐ口誦くちずさんで、
「このかい」
「そう。もっとつづけて」
「……トモ長干チョウカンサト

両小リョウショウ嫌猜ケンサイナシ
十四ジュウシキミトナッテ
羞顔シュウガンイマカツヒラカズ
コウベレテ暗壁アンペキムカ
センカンイチトシテカエラズ
十五ジュウゴハジメテマユ
ネガワクハチリハイトモニセン
ツネゾン抱柱ホウチュウしん
アニノボランヤ望夫台ボウフダイ
十六ジュウロク君遠キミトオクヘク……」

 城太郎じょうたろうはふいにって、じっとっていたおつううながした。
よりも、おいらは、おなかっちゃったい。はやく、大津おおつへいって朝飯あさめしべようよ」