252・宮本武蔵「風の巻」「道聴途節(3)(4)」


朗読「252風の巻94.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 58秒

 いたみずながすような小次郎こじろう弁舌べんぜつだった。叡山えいざん講堂こうどうでも、このべんをふるって演舌えんぜつしたことであろうとおもわれる。
「――素人しろうとかんがえだと何十人なんじゅうにん一人ひとりたたかいは、容易よういならぬものとおもうだろうが、何十人なんじゅうにんちからは、一人一人ひとりひとり実力じつりょく何十倍なんじゅうばいとなったものではけっしてない」
 という論法ろんぽうから、小次郎こじろう当日とうじつ勝負しょうぶを、専門的知識せんもんてきちしきにかけて、したにまかせて論破ろんぱする。
 岡目八目おかめはちもくという立場たちばからいえば――武蔵むさしのあれほど善戦ぜんせんも、いくらでも非難ひなんすることができた。
 つぎにまたこの小次郎こじろうも、武蔵むさし名目人めいもくにん一少年いちしょうねんまでをったということを、くちきわめて、悪罵あくばした。たんなる罵倒ばとうにととまらず、これを人道的じんどうてきにみて――また武士道ぶしどううえからみて――けん精神せいしんのうえからもゆるしがた人間にんげんであるとだんじつける。
 さらに、かれちや、郷里きょうりでやって行状ぎょうじょうだの――げんいまも、かれかたきとねらっている本位田ほんいでんなにがしという老母ろうぼがあるはずだということにまでおよんで、
いつわりとおもうならば、その本位田ほんいでん老母ろうぼいてみるがよい。わしは中堂ちゅうどうとまっているあいだに、したしくその老母ろうぼともってったことなのだ。もう六十ろくじゅうにもなろうという純朴じゅんぼく老婆としよりから、かたきねらわれているような人物じんぶつがどうしてえらいか。うしろぐら仇持かたきもちの人間にんげんたたえ、それが世道人心せどうじんしんによいかぜおよぼすであろうかどうか。そぞろ寒心かんしんえないものがあるのでわしはいうまでだ。――ことわっておくが、わしは吉岡方よしおかがた縁者えんじゃでもなければ、武蔵むさし意趣いしゅのあるわけでもない。ただ自分じぶんけんあいし、このみちみがくものであるゆえ、ただしい批判ひはんをするまでのものじゃ。――わかったか、職人しょくにんども」
 いいおわって、さすがにのどかわいたか、小次郎こじろう茶碗ちゃわんって、がぶりと一口ひとくちみ、
「アア、だいぶかたむいてましたなあ」
 と、れのものをかえりみる。
 中堂ちゅうどう寺侍てらさむらいたちは、
「そろそろ、おちにならぬと、三井寺みいでらまでゆかぬうち、山道やまみちくらくなりましょう」
 と注意ちゅういしながら、自分じぶんたちも、しびれのきれかけた床几しょうぎはなれた。
 石切いしきり職人しょくにんたちは、どうなることかと一言ひとこともなくこわばっていたが、そのしおると、白洲しらすからかれたように、われがちにって谷間たにま仕事しごとりてゆく――
 その谷間たにまはもうむらさきかげになり、ひよどりのこえがけたたましくこだまぶ。
「では、ご機嫌きげんよう」
「また、ご上洛じょうらくおりには」
 と寺侍てらさむらいたちも、ここに小次郎こじろう旅先たびさき餞別はなむけして、中堂ちゅうどうほうかえってった。
 小次郎こじろう一人残ひとりのこって、
「ばあさん」
 と、おくび、
茶代ちゃだいをここへおくぞ。――それから、途中とちゅうくらくなったとき用意よういに、火縄ひなわ三本貰さんぼんもらってくからの」
 老婆としよりは、夕餉ゆうげものをかけた土泥竈どべっついまえにしゃがみんで、きつけにかかったまま、
火縄ひなわけい。火縄ひなわならそこのすみっこのかべにいくらでもかけてあるで、るだけってかっしゃい」
 と、いう。
 小次郎こじろうはずかずか茶店ちゃみせおくはいって、すみかべにみえる火縄ひなわたばから三本引さんぼんびいた。
 ――と、くぎはずれた火縄ひなわたばが、ばさっとした床几しょうぎちた。何気なにげなくばしたときかれはじめてがついた。その床几しょうぎうえよこたわっている人間にんげん二本にほんあしもとから――かおほうをずっと見上みあげて、どきっと、鳩尾みずおち当身あてみったような衝動しょうどうをうけた。
 ――武蔵むさしは、手枕たまくらうえから、けて、かれかおを、まじまじとていたのである。

 はじかれたように小次郎こじろう退いていた。ぱっと、無意識むいしき敏捷びんしょうさだった。
「……おう?」
 と、いったのは武蔵むさし
 しろせて、にやっとわらいながら、今眼いまめめたように、やおらそのあとからおこしたのである。
 やっと、床几しょうぎがった。そして軒先のきさきにいる小次郎こじろうそばあるいてた。
「…………」
 にこやかな唇元くちもとと、こころおく見透みすかすようなとをって、武蔵むさしった。小次郎こじろうもまた、みをってそれにこたえようとしたが、意思いし反対はんたいに、かおすじみょうこわばってしまって、わらえなかった。
 無意識むいしき退いた自分じぶん敏捷びんしょうを――必要ひつようのないあわてりと――武蔵むさしわらっているようにれたからである。また、自分じぶんが、先刻さっきから石切いしきりたちにむかって演舌えんぜつしていた事々ことごとを、武蔵むさしいていたにちがいない――とおもい、咄嗟とっさにその狼狽ろうばいむねふさいだからであろう。
 で――とにかく、小次郎こじろうかおいろと態度たいどは、すぐいつもの傲岸ごうがんふううちへかえしてしまったが、一瞬いっしゅんは、しどろもどろだった。
「……や。武蔵むさしどの。……これにいたのか」
「いつぞやは」
 武蔵むさしがいうと、
「おう、いつぞやは、ざましいおはたらき、人間業にんげんわざともおもわれなかった。しかも、さしたるお怪我けがもなかったそうな。……祝着しゅうちゃくいたりです」
 しみのそこに、にが矛盾むじゅん肯定こうていしながら、つい、こう小次郎こじろうはいってしまった。そして自分じぶんいた言葉ことば自分じぶん忌々いまいましくおもった。
 武蔵むさしは、皮肉ひにくであった。なぜなのか、この小次郎こじろう風采ふうさい態度たいどめんむかうと、かれ皮肉ひにくろうしたくなった。わざとのように慇懃いんぎんに、
「そのせつは、立会人たちあいにんとして、なにかとご配慮はいりょを。かつまた、ただいまは、いろいろ拙者せっしゃたいして苦言くげんかしていただき、あれにてよそながら、有難ありがたいとおもっていていました。――自分じぶんからかんがえる世間せけんと、世間せけんている自分じぶん真価しんかとはおおきなちがいがあるが、滅多めったにほんとの世間せけんこえかれない。それを其許そこもとが、昼寝ひるねゆめかせてくれたとおもうと、かたじけな心地ここちがする。――わすれずにおぼえておりますぞ」
「…………」
 わすれずにおぼえている――かれ一句いっくに、小次郎こじろう全身ぜんしん鳥肌とりはだになった。これはおだやかな挨拶あいさつているが、小次郎こじろうむねけてけばとお将来しょうらいをかけてつがえて挑戦ちょうせんとして当然とうぜんひびく。
 また。
(ここではいわぬが)
 というふくみも言葉ことばうちにある。
 おたがいが、さむらいだ。虚偽きょぎをゆるさないさむらいであり、くもりをておけないけん修行者しゅぎょうしゃである。是非ぜひしたさきあらそってみたところで、水掛論みずかけろんおわるしかあるまいし、それでむほどちいさい問題もんだいでもない。すくなくとも、武蔵むさしにとってさがまつのあのことは、畢生ひっせい大事業だいじぎょうであり、みち参進さんしんするもの浄行じょうぎょうともかたしんじているのである。そこに一点いってん不徳ふとくいちごうやましさもいだいていない。
 だが小次郎こじろうからそれをみれば、あのような観察かんさつおこるし、小次郎こじろうくちからいわしめると、いまいったような結論けつろんになる――とすると、この解決かいけつは、どうしても、武蔵むさし言外げんがいふくめたように、
いまはいわぬが、わすれぬぞ)
 という、言葉ことばあじをもって、未来みらいつがえておくほかにあるまい。
 複雑ふくざつ感情かんじょうはたらいていたにしても、佐々木小次郎ささきこじろうもまた、まったく根底こんていのないたらめを放言ほうげんしたつもりではない。かれ自分じぶんたところから公正こうせい判断はんだんくだしたまでだとおもっているし、いかに武蔵むさし実力じつりょくをあの程度ていどても、その武蔵むさし自分以上じぶんいじょう人間にんげんだとはいまもなおけっしておもっていないかれであった。
「……ウム、よろしい。おぼえているといった其許そこもと一言ひとこと小次郎こじろうたしかおぼえておこう。きっとわすれるなよ、武蔵むさし
「…………」
 武蔵むさしだまったまま、また微笑びしょうしてうなずいた。