251・宮本武蔵「風の巻」「道聴途節(1)(2)」


朗読「251風の巻93.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 36秒

道聴途説どうちょうとせつ

 武蔵むさしあとのこって、黄昏たそがれをっていた、いや使つかいのもどりをつのだった。
 ひるぎの小半日こはんにちを、さて退屈たいくつおもう。ながいし、あめのようにからだびをほっする。緋桃ひももしたている牝牛めうしにならって、武蔵むさしも、茶店ちゃみせすみ床几しょうぎよこになっていた。
 今朝けさはやかった、昨夜さくやもろくにねむっていない。いつのまにかゆめふたつのちょうになっている。一羽いちわはおつうだとゆめなかおもっている。連理れんりえだめぐっている。
 ――ふとをさますと、いつのまにか、土間どまおくまでんでおり、ているうちに、居場所いばしょでもかわったかとおもったくらい、この峠茶屋とうげぢゃや騒々そうぞうしいこえがしていた。
 このした谷間たにまからいししているので、そこではたらいている石切いしきり職人しょくにんたちが、毎日まいにちれいによって八刻やつというと、ここへあまものをたべにて、一頻ひとしき番茶ばんちゃみながら饒舌じょうぜつたのしむ。
「なにしろ、だらしがねえや」
吉岡方よしおかがたか」
「あたりめえよ」
「ひどく沽券こけんをおとしたものだなあ。あんなに弟子でしがいて、一人ひとり野郎やろうはいなかったのかしら」
拳法けんぽう先生せんせいえらかったので、あま世間せけんいかぶっていたのさ。なんでもえらいやつは初代しょだいかぎるな。二代にだいとなるともうそろそろ生温なまぬるくなり、三代さんだいでたいがい没落ぼつらく四代目よんだいめになっても、てめえと墓石はかいしのつりっているやつアめったにねえ」
「おれなんざ、こうえても、つりってるぜ」
親代々おやだいだい石切いしきりだからよ。おれがいってるのは、吉岡家よしおかけはなしだ。うそだとおもうなら、太閤様たいこうさまあとをみねえ」
 それからまた、はなしはもどり、さがまつはたいのあったあさ、おれはあの近所きんじょだからていたという石切いしきりあらわれる。
 その石切いしきりはまた、自分じぶん目撃談もくげきだんを、もう何十遍なんじゅっぺん何百回なんびゃっかい人中じんちゅうかせているとみえて、おそろしくかたることがうまい。
 百何十名ひゃくなんじゅうめい相手あいててきにまわし、宮本武蔵みやもとむさしというおとこが、こうやって、こうりこんでと、まるで自分じぶん武蔵むさしになったかなにかで、おそろしく誇張こちょうしてはなしている。
 すみ床几しょうぎうえていた本人ほんにんは、まだそのはなしたけなわころには、ふかねむっていたのでしあわせだった。もしがさめていたら、噴飯ふんぱんえないどころか、面映おもはゆくてそこにいられなかったかもれない。
 ところが、それをいてはなは面白おもしろくないかおをしている一組ひとくみが、そのまえから軒先のきさきのべつな床几しょうぎめていていた。
 中堂ちゅうどう寺侍三名てらざむらいさんめいと、その寺侍てらざむらいたちに、この峠茶屋とうげぢゃやまで見送みおくられてて、
(では、ここで――)
 と別辞わかれわしていた好青年こうせいねんである。若衆小袖わかしゅこそで旅扮装たびいでたち凛々りりしくくくり、前髪まえがみ元結もとゆいにおやかに、大太刀おおたちい、こしらえ、まなざしやかまえ、なにしろはなやかにうけられる。
 石切いしきりたちは、その風采ふうさいおそれをなして、床几しょうぎり、むしろほう番茶ばんちゃはこんで、無礼ぶれいのないようにしていたが、さがまつ後日譚ごじつがたりは、そこへうつってから、いよいよ調子ちょうしづいて時々ときどきどっとわらったり、またしばしば武蔵むさしうたわれた。
 そのうちに、だまっていているにえない虫気むしけおこったのであろう、佐々木小次郎ささきこじろうは、石切いしきりたちのほうむかって、
「これ、職人しょくにんども」
 と、びかけた。

 石切いしきり職人しょくにんたちは、小次郎こじろうのほうを振向ふりむいて、何事なにごとかとみな居住いずまいをなおした。
 風采花ふうさいはなやかな若衆武士わかしゅぶしが、先刻さっきからそばには中堂ちゅうどう寺侍てらざむらい三名さんめいえ、威風いふうあたりをはらうがごとうけられていたので、かれらは、
「へい」
 と一様いちようあたまげた。
「これ、これ。唯今ただいまったかりして、喋舌しゃべっていたおとこまえい」
 小次郎こじろうは、鉄扇てっせんをもって、かれらのかしらさしまねき、
「そのほかのものも、ずっとこっちへれ。……なにもこわがらんでもよい」
「へ、へい」
いまいておると、其方そのほうどもは、くちきわめて、宮本武蔵みやもとむさしたたえておるが、左様さようたらめをもうらすと、以後承知いごしょうちせぬぞ」
「……は。……へい?」
「なんで武蔵むさしえらいか。其方そのほうどものうちにも、過日かじつけん目撃もくげきしたものがあるとのことだが、この佐々木小次郎ささきこじろうもまた、当日とうじつ立会人たちあいにんとして、したしくあの試合しあいには双方そうほう実情じつじょうつぶさ検分けんぶんいたしておる。――じつはそのあと叡山えいざんあがり、根本中堂こんぽんちゅうどう講堂こうどうにては、一山いちざん学生がくしょうあつめて、その見聞けんぶん感想かんそう演舌えんぜつし、また、諸院しょいん碩学せきがくたちの招請しょうせいおうじても、自分じぶん意見いけん忌憚きたんなくべてまいったのだ」
「…………」
しかるに――其方そのほうたちが、けん何物なにものなるかもらず、ただかたちだけの勝敗しょうはい衆愚しゅうぐのうわさにまどわされて、武蔵如むさしごともの稀世きせい人物じんぶつだの、無双むそう達人たつじんだのともうすが、それでは、この小次郎こじろうが、叡山えいざん大講堂だいこうどう演舌えんぜつした意見いけんが、みなうそのように相成あいなってしまう。――無智むち凡下ぼんげどもの沙汰さたすること、るにもらんが、ここに居合いあわす中堂ちゅうどう方々かたがたにも一応聞いちおうきいていただく必要ひつようがあるし、また、なんじらのいうあやまった見方みかたは、世上せじょうがいするものだ。――こと真相しんそうと、武蔵むさし人物じんぶつをようかせてやるから、みみあなってけ」
「……へ。……はい」
「そもそも――武蔵むさしとはどんなはらおとこか。あの試合しあいかけたかれ目的もくてきからそれを洞察どうさつすると、あれは武蔵むさし売名ばいめいにやった仕事しごとだ。自分じぶんるために洛内第一らくないだいいち吉岡家よしおかけむかって、うまく喧嘩けんかったもので、吉岡よしおかはそのせられてかれだいになったものとわしはる」
「……?」
「なぜならば、初代拳法時代しょだいけんぽうじだいのおもかげもなく、京流吉岡きょうりゅうよしおかおとろえていることは、だれにだってもうわかっていたことなのだ。なら朽木くちき人間にんげんなら瀕死ひんし病人びょうにんにひとしい。っておいても自滅じめつするものを、たおしたのが武蔵むさしなのだ。――そんなものたおちからだれにでもあるが、それをあえてやらないのは、もう今日きょう兵法者へいほうしゃ仲間なかまでは、吉岡よしおかちからなど眼中がんちゅうにもない情勢じょうせいにあったからと、もうひとつは拳法先生けんぽうせんせい遺徳いとくおもい、さむらいのなさけで、あの門戸もんこぐらいは見遁みのがしておいてやろうという気持きもちもあったに相違そういない。それを武蔵むさしは、わざとこえだいにし、事件じけん拡大かくだいし、みやこ大路おおじ高札こうさつて、ちまたうわさたかめ、おもうつぼに芝居しばいっててたのだ」
「……?」
「その心情しんじょうのいやしいこと、駆引かけひき卑屈ひくつなこと、げていえばかぎりもないが、清十郎せいじゅうろう立会たちあときでも、伝七郎でんしちろうときでも、一度いちどとして彼奴あいつ約束やくそく時刻じこくまもったためしがない。また、さがまつおりなども、正面しょうめんから堂々どうどうたたかわずに、奇道奇策きどうきさくろうしている」
「…………」
「なるほど、かずうえれば、一方いっぽう大勢おおぜいかれ一人ひとりちがいなかった。しかし、そこにかれ狡智こうちと、売名上手ばいめいじょうずひそんでおる。同情どうじょうかれしたとおり、かれ一身いっしんあつまった。――けれどあの勝負しょうぶなどは、わしのからみればまるで児戯じぎにひとしい。武蔵むさしくまで小賢こざかしくずる行動こうどうして、いい汐時しおどきにさっとげてしまった。――しかし、程度ていどまでは、かなり野蛮やばんつよいことはつよい。だが、達人たつじんだなどいう評判ひょうばんはあたらぬもはなはだしい。――いて達人たつじんというならば、武蔵むさしは『げの達人たつじん』だ。あしはやいことだけは、たしかに名人めいじんといってもよい」