247・宮本武蔵「風の巻」「乳(1)(2)」


朗読「247風の巻89.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 44秒

ちち

 四明しめいたけ天井てんじょうみねづたいにあるいて、山中やまなか滋賀しがりてゆけば、ちょうど三井寺みいでらのうしろへることができる。
「……ウウム……ウウム」
 ばば時々ときどき陣痛じんつうをこらえるように、うしうめいていた。
 そのばばせた牝牛めうし手綱たづなって、武蔵むさしは、うしさきあるいてゆく。
 振顧ふりかえって――
「おばば」
 武蔵むさしは、なぐさめていう。
くるしければすこやすもうか。――おたがいにいそたびではないからな」
「…………」
 うししたまま、お杉婆すぎばば無言むごんだった。その無言むごんのうちには、かたきおも人間にんげんのために、こういう世話せわになるのをこのまない性来せいらい勝気かちきが――むしろ無念むねんそうにかおそこひそんでいた。
 で――武蔵むさしやさしくいたわればいたわるほど、
(なんの、おのれなどに、不愍ふびんをかけられて、うらみをわすれるようなばばではないぞ――)
 と、いて憎悪ぞうおつとめ、よけいに反感はんかんたかめるのだった。
 けれど、まるで自分じぶんのろうために長生ながいきしているかのようなこの老婆としよりたいして、なぜか武蔵むさしはそれほどつよにくしみも敵愾心てきがいしんたなかった。
 ちからちからとの対立たいりつでは、あまりに弱過よわすぎるてきであるせいもあろうが、そのじつ、きょうまでのあいだに、はかられたり、おとしいれられたり、武蔵むさし一番苦いちばんくるしめられたてきは、このもっと腕力わんりょくのない年寄としよりの敵対行為てきたいこういであった。――にもかかわらず、どういうものか、武蔵むさしにはこの年寄としよりを、しんからてきだとおもうことができないのである。
 では、まったく、眼中がんちゅうにないのかといえば、故郷ふるさとではひどいわされているし、清水寺きよみずでら境内けいだいでは、群衆ぐんしゅうなかで、つばきせんばかり罵倒ばとうされているし――そのほか、きょうまでというもの、どれほどこの老獪ろうかいなばばのために、ことさまたげられたり、すねすくわれるようなおもいをめさせられているかれないので、その折々おりおりには、
(おのれ、どうしてやろう)
 と、きにしてもあきらないほど、にくくもおもい、いきどおりもするのであったが、さて――自分じぶん寝首ねくびかれそこなってみても、心底しんそこから、
悪婆あくばば!)
 と、いかりにまかせて、このほそッこい皺首しわくびにはなれなかった。
 それに今度こんどは、お杉婆すぎばばそのものもまた、いつになく元気げんきがない、ゆうべの打身うちみいたがってうめいてばかりいるし、辛辣しんらつ毒舌どくぜつふるわないので、武蔵むさしひとしお不愍ふびんになり、はやくからだだけでも丈夫じょうぶにしてやりたいがとおもうのだった。
「おばば――うしつらかろうが、大津おおつまでけばなんとか思案しあんがつこうで、もすこしの辛抱しんぼう。……あさから弁当べんとうべていないが、はらいていないかな。……みずでもみとうはないか。なに? ……らぬ……そうか」
 このみねづたいの天井てんじょうからひとみ四顧しこにやると、北陸ほくりくとお山々やまやまから、琵琶びわうみはいうまでもなく、伊吹いぶきもみえ、ちかくは瀬田せた唐崎からさき八景はっけいまでひとひとかぞえられる。
やすもう。――おばばもうしからりて、すこし、このくさうえからだよこにしてはどうか」
 武蔵むさしは、うし手綱たづなを、につないで、お杉婆すぎばばいてろした。

「アいた、アいた
 お杉婆すぎばばかおをしかめ、武蔵むさしこばんで、くさうえした。
 皮膚ひふ土色つちいろに、かみはそそけち、このまま、ほっておけばりそうな重態じゅうたいにもえる。
「おばば、みずしゅうないか。……なんぞ、ものでもすこくちれてみるはないか」
 武蔵むさしはしきりとあんじて、そのでてやりながらたずねたが、強情ごうじょうばばは、かたくなに、くびよこって、みずもいらぬ、ものもほしくないという。
よわったのう」
 武蔵むさし途方とほうれ――
「ゆうべから、水一滴口みずいってきくちれず、くすりをやりたいとはおもうが人家じんかもなし……つかれてしまうばかりじゃないか。……おばば、せめて、わしの弁当べんとう半分はんぶんほどでもべてくれぬか」
「けがらわしい」
「なに。けがらわしいと」
「たとえ、野末のずえだおれて、からすけもの餌食えじきになろうとも、かたきねらうおぬしごとものから、めしなどもろうてくちれようか。馬鹿ばかな――うるさいッ」
 でている武蔵むさしを、自分じぶんから退けて、ばばはまたくさにしがみついた。
「ウム」
 武蔵むさしは、はらたなかった。むしろばば気持きもち共感きょうかんができるのである。このばばいている根本的こんぽんてき誤解ごかいさえのぞくならば、自分じぶん気持きもちばばによくわかってもらえるであろうにと、それだけがただ嘆息たんそくされるのであった。
 自分じぶんははやまいのように、武蔵むさしはなにをいわれてもあまんじてけ、そして病人びょうにん駄々だだなだめるような根気こんきをもって、
「でも、おばば、このままんでしまっては、つまらないじゃないか。又八またはち出世しゅっせなければ……」
「な、なにをいう!」
 みつきそうに、ばばいていった。
「そ、そのようなこと、おぬしの世話せわにならいでも、又八またはち又八またはちでいまに一人前いちにんまえになってくわ」
「……それはなってくだろうとわしおもう。だから、おばばも元気げんきして、ともどもに、あの息子むすこはげましてやらねばなるまい」
武蔵むさし! ……れは、似非えせ善人ぜんにんじゃの。そのようなあま言葉ことばたぶらかされて、うらみをくようなわしではないぞ。……無駄むだなこと、みみうるさいわい」
 とりつくしまもない血相けっそうなのだ。たとえ好意こういにせよ、これ以上いじょうはかえってさからうことになってしまおう。武蔵むさしは、黙然もくねんって、ばば牝牛めうしをそこにのこし、ばばにふれないところへって、弁当べんとういた。
 かしわいてあるにぎめしであった。めしなかにはくろ味噌みそはいっている。武蔵むさしには美味うまかった。その美味うまさにつけても、どうかしてこれを半分はんぶんでもばばべてくれればよいがとおもい――のこりのすこしをまた、かしわでつつんで懐中ふところのこしておいた。
 すると、ばばのそばで、はなごえきこえる。
 いわかげから振向ふりむいてみると、とおりかかったさと女房にょうぼうであろう、大原女おはらめのような山袴やまばかま穿き、かみ無造作むぞうさあぶらけもなくたばねてかたげている。
「なあ、おばあさんよ、わしのいえにも、このあいだから病人びょうにんとまっていての、もうだいぶいが、この牝牛めうしちちをやったらなおよくなろうとおもうのさ。ちょうどつぼっているし、この牝牛めうしちちをすこししぼらせてくれまいかのう」
 おんなはなしが、高声こうせいにひびく。
 ばばかおをあげて、
「ほ、牝牛めうしちちが、やまいによいとはいていたが、そのうしからちちがとれるかの」
 と、武蔵むさしけるときとはちがうまなざしを耀かがやかして、そうたずねていた。
 山家やまがおんなはなおばばとなにかいいわしているあいだに、牝牛めうしはらしたにかがみんで、かかえていた酒壺さけつぼなかしろえき懸命けんめいしぼっていた。