246・宮本武蔵「風の巻」「菩提一刀(7)(8)」


朗読「246風の巻88.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 16秒

 短檠たんけいくらくなる……
 丁字ちょうじる。
 すぐ、武蔵むさしはまたかがみんで、彫刀こがたなる。
 よいのうちすでに、やまは、深沈しんちんとふかい静寂しじまかこまれていた。サクリ、サクリと彫刀こがたな鋭利えいりさきいでゆくのがかすかにゆきむほどにひびく。
 武蔵むさしはまったく彫刀こがたなさきぼっしきっていた。かれ性情せいじょうはなにへたいしても、一度いちどそれにむかうとただちに没頭ぼっとうしきってしまう。いま――とうって観音像かんのんぞうりにかかっているのをても、からだがへとへとになりはしないかとおもわれるような情熱じょうねつえきっている。
「…………」
 くちのうちでとなえていた観音経かんのんきょうこえが、われわすれて次第しだいおおきなこえになってゆく、がつくときゅうこえおとし、また、っては、一刀三いっとうさんらいのこころをぞうむかってらした。
「……ウム、どうやら」
 ばしたときは、東塔とうとう大梵鐘だいぼんしょうが、二更にこうほうじていた。
「そうだ、挨拶あいさつもせねばならぬし、このぞうも、今宵こよいのうちに、住持じゅうじにおねがいしておこう」
 ざっとした荒彫あらぼりではあった。けれど武蔵むさしにとっては、自分じぶんのたましいをちこめ、慚愧ざんきなみだをもって、一少年いっしょうねん冥福めいふくいのりつつりあげたものなのである。それをてらのこしておいて、ながく、自分じぶん憂愁ゆうしゅうとともに、源次郎げんじろうれいとむらってもらおうと発願ほつがんしたものであった。
 で。――かれげたそれをって、やがて部屋へやった。
 かれるともなく、ちがいに稚児僧ちごそうがはいってて、部屋へやなかちりほうきした。そして夜具やぐまでのべたあとほうきをかついで庫裡くりもどってゆく。
 ――すると、だれもいないはずのそこの障子しょうじが、そのあとで、ズズズとしずかに、すこしひらいて、またしまった。
 やがてのこと――
 武蔵むさしはなにもらずかえってたのである。住持じゅうじからけてたらしい餞別せんべつかさ草鞋わらじなど、旅装りょそうものまくらべにおき、短檠たんけいして、寝床とこについた。
 戸閉とじまりはしないので、かぜはじかに四方しほうにあたる。そと星明ほしあかりに障子しょうじ蒟蒻色こんにゃくいろあかるくて、樹々きぎかげ海原うなばらすさびをおもわせる。
 ……かすかな鼾声いびきごえになってゆく。武蔵むさしねむりについたらしい。
 ねむりのふかくなるほど、寝息ねいきながかぞえられた。と――すみ小屏風こびょうぶはしがすこしうごき、ず……とねこのようにとがった人影ひとかげひざってる。
 ふと、武蔵むさし寝息ねいきむと、人影ひとかげはぺたっと、布団ふとんよりうすべたくなり、じっと寝息ねいき深度しんどはかりながら、根気こんきよく大事だいじをとってっている。
 ――突然とつぜん! ふわりっと、くろ真綿まわたでもかぶさるように、武蔵むさしうえへその人影ひとかげがのしかかったのである――とえたかとおもうやいなや、
「うっ、うぬっ。おもれやっ!」
 いきなり――脇差わきざしさきであった。寝首ねくびのどへ、ちからまかせに、キッとはしる。
 すると、そのさき行方ゆくえわからぬほど――だあんッ――と横手よこて障子しょうじに、その人間にんげんんでった。
 おも風呂敷ふろしきづつみのようにげつけられた人間にんげんは、ひッと一声ひとこえうめいたり、障子しょうじとともにもんどりって、そとやみころがりちた。
 げつけたせつな、武蔵むさしはその曲者くせもの体重たいじゅうかるいのではっとおもった。ねこほどしか重量めかたのない曲者くせものなのである。それにぬのかおつつんでいたが、かみあさのようにしろかったし……。
 だが、かれはそれには一顧いっこもしないですぐ枕元まくらもと太刀たちをかかえ、
てっ」
 とえんり、
折角せっかくおとずれ、ご挨拶あいさつもうすであろう。おかえしなされ」
 いいざま、大股おおまたけて、やみ跫音あしおといかけた。
 しかし本気ほんきではないらしく、みだれあって彼方かなたってしろ刃影はかげ法師頭巾ほうしずきんかげわらってすぐかえしてた。

 げつけられたはずみに、ひどくからだったのであろう、お杉婆すぎばば大地だいちうめいていた。武蔵むさしもどってたとはったが、げることもつこともできなかった。
「……アッ。おばばではないか」
 武蔵むさしこしてみた。
 自分じぶん寝首ねくびねらいに首謀者しゅぼうしゃが、吉岡よしおか遺弟ゆいていでも、このやま堂衆どうしゅうでもなく、いさらぼうた同郷どうきょうともははであったことは、かれにも意外いがいであったとみえる。
「ああ、これでけた。中堂ちゅうどううったて、わしの素姓すじょうや、わしのことを、しざまにげたものは、おばばであったのだな。健気けなげ老婆としよりのことばとき、堂衆どうしゅうたちはいちもなくしんじたにちがいない。また、同情どうじょうもしたであろう……。その結果けっかわしをやまからうことにめ、夜陰やいんじょうじて、おばばを先達せんだつにここへ加勢かせいにきたものとみえる……」
「……ウウム、くるしい、武蔵むさし、もうこうなるうえは、ぜひもない。本位田ほんいでん武運ぶうんがないのじゃ。ばばのくびて」
 苦悶くもんしながら、おすぎはやっとそれだけいった。
 しきりとがくのであったが、武蔵むさしちからこばむだけのちからすらないのだった。ちどころもこたえたにちがいないが、もう三年さんねんざか旅籠はたごをたつころから、おすぎ風邪かぜをこじらしていて、微熱びねつがあったり、足腰あしこしだるかったりして、とかく健康けんこうもすぐれなかった揚句あげくである。
 そのうえさがまつ途中とちゅう、ああして又八またはちからてられてしまったことも、さすがにいのこころおおきな傷手いたでとなり、からだにもいていたに相違そういない。
「――ころせっ、このうえは、ばばのくびれ」
 といま彼女かのじょがもがいていうのもそういう心理しんり肉体にくたいおとろえをかんがえてやると、あながち弱者じゃくしゃのさけぶてばちな狂言きょうげんではなく、真実しんじつことここにいたったとって(もうこれまで)という観念かんねんのもとに、いっそはやにたいとねがって、正直しょうじきわめいたものかもれなかった。
 だが武蔵むさしは、
「おばば、いたいのか。……どこがいたい? ……わしがついているゆえあんじぬがよいぞ」
 りょううでに、軽々かるがると、彼女かのじょのからだをせ、自分じぶん寝床ねどこなかはこんで、その枕元まくらもとすわり、よるけるまで、看護かんごしていた。
 しらみかけるとすぐ、お小僧しょうそうたのんでおいた弁当べんとうをつつんでってきてくれた。――しかし方丈ほうじょうからは、
「おてするようですが、昨日きのう中堂ちゅうどうからやかましくいいわたされておりますゆえ、今朝けさはすこしもはや御下山ごげざんをねがいます」
 という催促さいそく
 もとより武蔵むさしもそのつもりなのである。すぐ旅装りょそうしてちかけたが、さてこまったのは病人びょうにん老婆としよりだった。
 これをてらはかると、てらでも、そんなもののこされてっては迷惑めいわくといったようなかおつきで、
「では、こうなされては如何いかがです」
 便宜べんぎをとってくれた。
 大津おおつ商人あきんどをのせて牝牛めうしがある。その商人しょうにん牝牛めうしてらにあずけたまま、丹波路たんばじ用達ようたしにまわっているから、そのうしりて、病人びょうにんをのせ、大津おおつ下山げざんされたがよかろう。そしてうし大津おおつ渡船場とせんばなりあのへん問屋場とんやばなりへいてってくれればいい――というのであった。