243・宮本武蔵「風の巻」「菩提一刀(1)(2)」


朗読「243風の巻85.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 54秒

菩提ぼだいいっとう

 大四明峰だいしめいのみね南嶺なんりょうたかくらいしているので、東塔西塔とうとうさいとうはいうまでもなく、横川よかわ飯室いいむろ谷々たにだにながらにえる。三界さんがいのほこりやあくた大河たいがとおかすみしたながめられ、叡山えいざん法燈鳥語ほうとうちょうごもまださむ芽時めどきを――ここ無動寺むどうじ林泉りんせんじゃくとして、くも去来きょらいのうえにあった。
「……与仏有因よぶつういん
 ……与仏有縁よぶつうえん
 ……仏法僧縁ぶっぽうそうえん
 ……常楽我常じょうらくがじょう
 ……朝念観世音ちょうねんかんぜおん
 ……暮念観世音ぼねんかんぜおん
 ……念々ねんねん従心起じゅしんき
 ……念々不離心ねんねんふりしん
 だれか?
 無動寺むどうじおくまった一間ひとまのうちから、じゅすともなくとなうるともない十句じゅっく観音経かんのんぎょうこえが――こえというよりはおのずからつぶやきのようにれてくる。
 そのひとごとは、いつのまにか、われをわすれたかのごとたかくなり、がつくとまた、ひくくなった。
 すみあらったような大床おおゆか廻廊かいろうしろころも稚児僧ちごそうが、粗末そまつ御斎おときぜん眼八分めはちぶにささげ、その経音きょうおんきこえるおく杉戸すぎとうちってはいった。
「お客様きゃくさま
 稚児僧ちごそうは、ぜんすみへおいた。
 そしてまた、
「……お客様きゃくさま
 ひざをついてんだが、ばれたものは、うしきになったままをかがめており、かれはいってたのもづかない様子ようすなのであった。
 数日前すうじつまえあさ――るかげもないまみれな姿すがたして、けんつえに、ここへ辿たどりついて一修行者いちしゅぎょうしゃ
 といえば、もう想像そうぞうがつこう。
 この南嶺なんれいからひがしくだれば、穴太村あなふとむら白鳥坂しらとりさかるし、西にしくだればまっすぐに修学院白河村しゅうがくいんしらかわむら――あの雲母坂きららざかさがまつつじにつながる。
「……お午餐ひるってまいりました。お客様きゃくさま、ここへおぜんをおきいたします」
 やっと、ったように、
「オウ」
 武蔵むさしは、をのばし、りかえってぜん稚児僧ちごそうのすがたをると、
「おそれいります」
 すわなおして、礼儀れいぎをした。
 そのひざには、しろ木屑きくずがちらかっていた。こまかい木屑きくずは、たたみえんにもこぼれている。栴檀せんだんかなにかの香木こうぼくとみえ、かすかににおう心地ここちがする。
「すぐしあがりますか」
「はい、いただきます」
「じゃあ、お給仕申きゅうじもうしましょう」
はばかりさまですな」
 飯椀わんをうけて、武蔵むさしべにかかる。稚児僧ちごそうはそのあいだ武蔵むさしのうしろにキラキラひかっている小柄こづかかれいまひざのうえからろした五寸ごすんほどの木材もくざいをじっとていたが、
「お客様きゃくさま、なにをっておいでになるんですか」
仏様ほとけさまです」
阿弥陀様あみださま?」
「いいえ、観音様かんのんさまろうとしているのです。けれど、のみ心得こころえがないので、なかなかうまくれない。このとおゆびばかりってしまう」
 をだして、ゆびきずせると、稚児僧ちごそうはそのゆびよりも、武蔵むさし袖口そでぐちからえるひじしろ繃帯ほうたいまゆをひそめて、
あしうでのお怪我けがは、どんなでございますか」
「……ア。そのほうも、おかげでだいぶよくなりました。御住持おじゅうじにも、どうかおれいをいっておいてください」
観音様かんのんさまをおりになるなら、中堂ちゅうどうまいりますと、だれとかいう名人めいじんったというさくのよい観音様かんのんさまがありますよ。御飯ごはんがすんだら、それをきませんか」
「それはぜひておきたいが、中堂ちゅうどうまで、みちはどれほどあろうかな」

 稚児僧ちごそうは、こたえていう。
「ハイ。ここから中堂ちゅうどうまでのみちは、わずか十町じゅっちょうほどしかございません」
「そんなにちかいのか」
 そこで武蔵むさしは、食事しょくじおわると、そのお小僧しょうそうともなわれて、東塔とうとう根本中堂こんぽんちゅうどうまでってみるつもりで、十幾日目じゅういくにちめで、ひさしぶりに大地だいちんだ。
 もうすっかりよくなったつもりでも、つちんであるいてみると、ひだりあし刀痕とうこんがまだいたむ。うでにうけた傷痕きずあとにも、山風やまかぜるここちがする。
 けれど、颯々さっさつと、りゆらぐ樹々きぎのあいだに、山桜やまざくらって飛雪ひせつわせ、そらはやがてちかなついろたたえかけている。武蔵むさしは、いず植物しょくぶつ本能ほんのうのように、からだのうちからそとむかってあらわれようとしてまないものに、卒然そつぜんと、筋肉きんにくがうずいてくるのをおぼえた。
「お客様きゃくさま
 と、稚児僧ちごそうは、そのあたまあげ――
「あなたさまは、兵法へいほう修行者しゅぎょうしゃでいらっしゃいましょう」
「そうだ」
「なんで観音様かんのんさまなんかっているんですか」
「…………」
「お仏像ぶつぞうることをならうよりも、そのひまに、なぜ、けん勉強べんきょうをなさらないのです?」
 童心どうしんいはときによると、肺腑はいふす。
 ――武蔵むさしは、あしうで刀痕とうこんよりも、その言葉ことばに、ずきんとむねいたむようなかおをした。まして、そううこのお小僧しょうそう年頃としごろ十三じゅうさん
 さがまつ根元ねもとで、たたかいにはいろうとするやいなさきてたあの源次郎少年げんじろうしょうねんと――ちょうどとしばえもからだおおきさもえる。
 あの
 幾人いくにん傷負ておいと、幾人いくにん死者ししゃつくったろうか。
 武蔵むさしは、いまも、おもすことができない。――どうったか、どうあの死地しちだっしたのか、それもきれぎれにしか、記憶きおくがない。
 ただあれからあとねむりについても、ちらついてくるのは――さがまつもとで、敵方てきがた名目人めいもくにんである源次郎少年げんじろうしょうねんが、
(――こわいっ)
 と、一声ひとこえさけんだのと、まつかわといっしょにられて大地だいちへころがった、あのいたいけな可憐かれん空骸なきがらだ。
仮借かしゃくはいらぬ、れ!)
 という信念しんねんがあったればこそ、武蔵むさしだんじてさきったのであるが――ってそしてこうしてきているのち彼自身かれじしんは、
(なぜ、ったか)
 と、そぞろにい、
(あれまでにしないでも)
 と、自分じぶん苛烈かれつ仕方しかたが、自分じぶんでさえにくまれてならない。
 われことにおいて、後悔こうかいせず
 旅日誌たびにっしはしに、かれはかつて、自分じぶんでこういてこころちかいにてていた。――けれど源次郎少年げんじろうしょうねんのことだけは、いくらそのとき信念しんねんをよびかえしてこころってみても、ほろにがく、うらがなしく、こころいたんでたまらなかった。けんというものの絶対性ぜったいせいが――また修行しゅぎょうみちというものの荊棘けいきょくには、かかることもえてゆかねばならないのかとおもうと、あまりにも自分じぶん蕭条しょうじょうとしている。非人道的ひじんどうてきである。
(いっそ、つるぎろうか)
 とさえおもった。
 ことに、こののりやまって幾日いくにち迦陵頻伽かりょうびんがにもなか心耳しんじまし、しおのいからめ、われとわがにかえってみると、かれむねには、菩提ぼだいしょうじないではいられなかった。
 手脚てあしきずえるつつれづれに、ふと、観音像かんのんぞうりかけてみたのは、源次郎少年げんじろうしょうねん供養くようのためというよりは、彼自身かれじしん自身じしんのたましいにたいする慚愧ざんき菩提行ぼだいぎょうであった。