242・宮本武蔵「風の巻」「霧風(5)(6)(7)」


朗読「242風の巻84.mp3」13 MB、長さ: 約 14分 44秒

 どこかで駄馬だばがいなないた。さとにもやまにも、もう往来おうらいはあるはずの時刻じこく
 ことにこのへんは、あさはや法師ほうしたちが、叡山えいざんからりてるし、叡山えいざんのぼってくし、よるさえければ、木履ぼくり穿いて、かたをいからしてある僧侶そうりょ姿すがたないはない。
 そういう僧侶そうりょらしいものだの、木樵きこりだの、百姓ひゃくしょうだのが、
斬合きりあいだっ」
「どこで」
「どこで」
 ひとさわすと、さとにわとりうままでがさわてた。
 八大神社はちだいじんじゃうえにも一群ひとむれかたまってていた。えずながれているきりは、やまとともに、その見物人けんぶつにんかげを、しろりつぶしてしまったかとおもうと、またすぐ視野しやひらいてせた。
 ――その一瞬いっしゅん武蔵むさしのすがたはかげもなくかわっていた。鬢止びんどめにめているひたいぬのは、あせで、桃色ももいろにじんでいた。かみくずれてそのあせりついてえる。ために、かれ形相ぎょうそうは、たださえおそろしくなっているところへ、魔王まおうくまえがいたように、にもあるまじき物凄ものすごさにえるのだった。
「…………」
 さすがに、呼吸こきゅう全身ぜんしんでつきはじめてきた。黒革胴くろかわどうのような肋骨あばらおおきななみつ。はかまはやぶれ、ひざ関節かんせつ一太刀斬ひとたちきられていた。その傷口きずぐちから柘榴ざくろ胚子たねみたいなしろいものがえている。やぶれたにくしたからほねているのである。
 小手こてにも一箇所いっかしょかすりきずっていた。さしたるきずではないらしいが、したたしおがむねから小刀しょうとう帯前おびまえまでしゅめているので、さながら満身まんしん纐纈染しぼりぞめになってしまい、墓場はかばしたからがった人間にんげんでもあるかのごとく、ものおおわしめた。
 ――いや、それよりも酸鼻さんびなのは、かれかたなにあたって、処々しょしょうめいたり、ったりしている傷負ておい死人しにんだ。その山裾やますそはらかれがり、七十名ななじゅうめいもの人間にんげんが、どっとかれ襲撃しゅうげきしてったとおも途端とたんにもう五名ごめいたおれていた。
 吉岡方よしおかがた傷負きずおいたおれている位置いちは、けっして一所ひとところにまとまっていなかった。彼方あっち一名いちめい此方こっち一名いちめいへだたっている。それをても武蔵むさし位置いちえずうごいて、このひろはらをいっぱいに足場あしばり、大勢おおぜいてきをして、そのちから集結しゅうけつさせるいとまのないようにたたかっていることがわかる。
 ――といっても武蔵むさし行動こうどうには、いつでも一定いってい原則げんそくがあった。それは、てき隊伍たいごよこたらないことだった。つとめててき展開てんかいしてくる横隊おうたい正面しょうめんけ、そのれのかどかどへとまわって、電瞬でんしゅんぎつける――末端まったんかどる――
 だから、武蔵むさし位置いちからは、てきはいつでも、先刻さっきせまみちしてたように、縦隊じゅうたいはしからているわけだった。同時どうじに、七十人ななじゅうにんでも百人ひゃくにんでも、かれ戦法せんぽうからすれば、わずか末端まったん三名さんめいだけが当面とうめん対手あいてであるにすぎない。
 しかし、いかに飛鳥ひちょう敏速びんそくがあっても、かれにもたまたま破綻はたんしょうじるし、てきかれのためにそうじょうぜられてばかりはいない。どっと、無数むすう無数むすうはたらきをして、同時どうじ前後ぜんごからわめきかかる秒間びょうかんおこる。
 そのときが、武蔵むさし危機ききだった。
 また、武蔵むさし全能ぜんのうが、無我無想むがむそうのうちに、高度こうどねつちからはっするときだった。
 かれにはいつか、ふたつのけんたれていた。右手みぎて大刀だいとうぬられて柄糸つかいとこぶし血漿けっしょう鮮紅せんこうまり、ひだり小剣しょうけんはまださきがすこしあぶらくもっているだけで、まだ幾人いくにんかの人間にんげんほねひかりをしていた。
 だが武蔵むさしは、二刀にとうっててきたたかいながらも、まだ二刀にとう使つかっているという意識いしきなどは全然ぜんぜんないのである。

 なみつばめのようなものだ。
 なみつばめち、つばめなみって、すぐほかひるがえってしまう。
 一瞬いっしゅんでも、静止せいしはないが、双方そうほうやいばしたたおれて、ばたッと大地だいち足掻あが人間にんげんのすがたがひとみうつるたびに吉岡方よしおかがた大勢おおぜいが、
「――あッ」
 なんとはなくいきをひいたり、
「――ウウム」
 と、うめきをあわせたり、くらんでくるような精神せいしんまそうとするように、
「…………」
 ず、ず、ずーとただつち草鞋わらじをずりおとだけをさせて、武蔵むさし包囲ほういしようとしてる。
 ――と、武蔵むさしは。
 ほっと、そのかん呼吸いきをつく。
 左剣さけんは、まえへかまえて、いつもてきまなこにつきつけ、右手みぎて大刀だいとうよこへひらいて、かたからうで――さきまで、ゆるやかな水平すいへいち――これはてきまなこそとにあそばせておくというようなかたち
 大小二剣だいしょうにけんしゃくと、両腕りょううでをいっぱいにひろげたしゃくとをわせると、かれ爛々らんらんたる双眸そうぼう中心ちゅうしんとして、かなりひろはばになる。
 てきが、正面しょうめんきらって、
(――みぎ
 とうかがってくれば、すぐからだぐるみみぎって、そのてき牽制けんせいし、
ひだり!)
 と、直感ちょっかんすれば、ぱっと左剣さけんびて、そのものを、ふたつのけんなかへかかえてしまう。
 武蔵むさしがそうしてまえけているみじか左剣さけんには、磁石じしゃくのような魔力まりょくがあった。そのさきへかかったてきは、ちょうどモチ竿ざおにとまった蜻蛉とんぼのように、退わすもなかった。――あっといううちになが右剣うけんうなってきて、いっさつのもとに、一個いっこ人間にんげんを、びゅッと、しおの花火はなびにしてしまった。のちに、ずっと後年こうねんにである。武蔵むさしのこういう戦法せんぽうを「二刀流にとうりゅう多敵たてきかまえ」とひとんだ。しかし――いまこの場合ばあい武蔵むさしは、まったく無自覚むじかくでしていることだった。無我無思むがむそうのうちに全能ぜんのう人間力にんげんりょくが、より以上いじょう必要ひつようせまられた結果けっかつねには習慣しゅうかんわすれていたひだり能力のうりょくを、われともなく、極度きょくどにまで有用ゆうようはたらかすことを、必然ひつぜんびおこされていたにぎない。
 けれど、剣法家けんぽうかとしてのかれは、まだいたって幼稚ようちだったものといってよい。何流なにりゅうだの、なんかただのと、理論りろんづけたり、体系たいけいづけているなどが今日きょうまであろうわけはない。かれ運命うんめいからでもあったが、かれしんじてうたがわずにとおってみちは、なんでも実践じっせんだった。事実じじつあたってることだった。――理論りろんはそれからあとながらでもかんがえられるとしてたのである。
 それとはあべこべに、吉岡方よしおかがた十剣じゅっけん人々ひとびとはじめ、末輩まっぱいのちょこちょこしている人間にんげんまで、みな京八流きょうはちりゅう理論りろんあたまにつめこんでいて理論りろんだけでは、一家いっかふうそなえたものもすくなくない。けれど、たのもなく、山野さんや危難きなんと、生死しょうしちまた修行しゅぎょうゆかとして、おぼろげながらも、けん何物なにものかをらんとし、みちまなぶためには、いつでも死身しにみとなる稽古けいこをして武蔵むさしとは、根本こんぽんからそのこころがまえもきたえもちがっている。――そういう吉岡方よしおかがた人々ひとびと常識じょうしきからると、もう呼吸こきゅうもあらく、顔色かおいろもなく、満身まんしんあけになりながらも、まだ、二本にほんかたなち、れれば何物なにものいっさつけむりとしてしまいそうな、武蔵むさし阿修羅あしゅらそのままな姿すがたが、なにか、不可思議ふかしぎなものにえてきた。くらみ、あせにかすんで、味方みかた戸惑とまどうてくるにつれ、武蔵むさし姿すがたが、いよいよ、とらがたくなり、しまいには、なにか妖怪ようかいたたかっているような疲労ひろうあせりが全体ぜんたいえた。

 ――げろうっ。
 ――一人ひとりほうっ……
 ――げろ、げちまえっ。
 やまがいう。
 さと樹々きぎがいう。
 また、しろくもがいう。
 あしめた往来おうらいものや、附近ふきん百姓ひゃくしょうたちが、はるかに、重囲じゅういなか武蔵むさして、そのあぶなさにむのあまり、どこからともなく、われをわすれてあげたこえであった。
 たとえ地軸ちじくけ、そらくつがえいかずちがあっても、武蔵むさしみみに、そんなこえとどくわけもない。
 かれは、かれ心力しんりょくだけにうごいている。えるかれからだは、かりすがたでしかなくなっている。
 おそろしい心力しんりょくが、をもたましいをも、まったくくしていた。武蔵むさしいまや、肉体にくたいではなくて、さかっている生命いのちほのおだった。
 ――と、突然とつぜん
 わあっッと、三十六峰さんじゅうろっぽうがいちどにこだまをあげた。山崩やまくずれのような喊声かんせいなのだ。それはとおはなれてていた人間にんげんも、武蔵むさしまえいていた吉岡勢よしおかぜいも、同様どうよう大地だいちからがって、そのからだはずみからおもわずしたこえだった。
 ――た、た、た、たッ。
 武蔵むさしが、不意ふいに、山裾やますそからさとむかって、野猪やちょのようにしたからである。
 もちろん。
 七十名ななじゅうめいからの吉岡勢よしおかぜいは、それにつかねていたわけではない。
「それッ!」
 くろになって、武蔵むさしいすがり、いつきざま、六名ろくめいが、
「――かっッ」
いまになって!」
 まんとするばかりつかってくと、武蔵むさしせ、
「ちいイッ」
 右刀みぎかたなで、かれらのすねいだ。そしててき一名いちめいが、
「こんなやつッ」
 うえからなぐおとしてきたやりを、カーン、ちゅうねとばすとともに、みだがみひとすじひとすじまでが、みなてきむかってたたかってくかのように逆立さかだって、
「――ちッ、ちッ、ちいっ」
 右剣左剣うけんさけん右剣左剣うけんさけん――とこもごもにとなりみずはしって、いしばっている武蔵むさしまで、くちしてみついてそうにえた。
 ――わあっ、げたっ。
 とおところ動揺どよめきは、吉岡方よしおかがたのうろたえを同時どうじわらったようにひびいた。武蔵むさしかげは、とたんにもうはら西側にしがわはずれからあお麦畑むぎばたけにとびりていたのである。
 すぐあとから、
かえせッ」
てッ」
 どうっと、つづいて人数にんずう一部いちぶがそこをりたとおもうと、そこでまた、おもわずみみをおおうような絶鳴ぜつめい二声ふたこえほどはしった。がけしたにへばりついていた武蔵むさしが、自分じぶんならってむこずにんだものを、したせていたようにったのである。
 ――びゅっ。
 ――ぶすんっ。
 麦畑むぎばたけなかへ、二本にほんやりんできて、つちふかった。吉岡方よしおかがたものが、うえからげつけたやりである。しかし、武蔵むさし姿すがたどろかたまりのように山畑やまはたけてび、またたくかれらとは、約半町やくはんちょうほどな距離きょりをつくってしまった。
さとほうだ」
街道かいどうほうげた」
 というこえしきりとおおかったが、武蔵むさし山畑やまはたうねって、その人々ひとびと手分てわけしてけまわるさまを時々ときどきやまほうから振返ふりかえってていた。
 やっと、そのころ
 朝陽あさひはいつものあさらしくくさにまでしてきた。