238・宮本武蔵「風の巻」「生死一路(3)(4)」


朗読「238風の巻80.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 27秒

 外敵がいてきはこれを粉砕ふんさいするもやすし、こころてきやぶるよしなし。――武蔵むさしはふとこの言葉ことばおもあたって、
(くそっ、こんなことで)
 と、こころむちくわえ、
女々めめしい!)
 おつうのことなど、ちりほどもむねめまいとした。
 さっきたもととき、そのおつうむかっても、いったばかりではないかとじる。
おとこおとこ使命しめいむかって、挺身ていしんするときは、こいなど、あたますみにもおいていないのだ――)と。
 そういいつついまたして自分じぶんあたまなかから、おつうのことはっているのだろうか?
(なんたる未練みれんだっ)
 こころなかから、おつう幻影げんえいとばして、そしてそれからのがるように、かれはまた、まっしぐらにけていた。
 ――と、した大竹藪おおたけやぶからさらにずっと山裾やますそへかけてひらけている樹林じゅりんはたけなわてって、一筋ひとすじしろみちえた。
「おっ!」
 すでにちかい。――一乗寺いちじょうじさがまつつじちかい。その一筋ひとすじみち辿たどってゆくと、およそ二町にちょうほどさきところで、ほか二筋ふたすじみちむすっている。ちちいろのきり微粒びりゅうしずかにうごいてゆくそらに、傘枝かさえだたかくひろげた目印めじるしまつが、もう武蔵むさしにもえたのである。
 ――はっと、かれひざをついた。うしろにも、まえにも、いやこのやま樹木じゅもくすら、すべててきかのように、かれ五体ごたい闘志とうしのかたまりとなった。
 いわかげかげと、蜥蜴とかげのように素迅すばしこうつしつつ、さがまつ真上まうえあた高地こうちまでたのであった。
(ウム、いるな!)
 そこからはさらに近々ちかぢかと、つじにかたまっている人影ひとかげまでがかすかにまれた。ちょうどまつ根元ねもと中心ちゅうしんにして、十人じゅうにんほどの一塊ひとかたまりが、きりしたにじっとやりてている――
 どうっ――と山巓さんてんからふきおろしてくる暁闇ぎょうあん大気たいきが、武蔵むさしのからだへあめかとばかりしずくおとし、まつのこずえや大竹藪おおたけやぶ潮騒しおさいのように山裾やますそけてゆく。
 きりさがまつは、その傘枝かさえだふるわせて、なにか予感よかんを、天地てんちげているようだった。
 えたてきかずはわずかであるが、武蔵むさしは、満山満地まんざんまんちがみなてき居場所いばしょかんじられた。すでに死界しかいなかている肌心地はだここちだった。こうまで鳥肌とりはだになっていた。呼吸こきゅうはおそろしくふかしずかに、あしゆびつめまでがもう戦闘せんとうしているのである。ジリジリと、一歩一歩いっぽいっぽにすすむあしゆびが、ゆびにもおとらないちからで、いわあいだのぼっていた。
 ――すぐまえに、ふるとりであとででもあるような石垣いしがきがあった。かれ岩山いわやまはらつたわって、その小高こだか地域ちいきた。
 ると、ふもとさがまつのほうへむかって、いし鳥居とりいがある。周囲しゅうい喬木きょうぼく防風林ぼうふうりんでかこまれていた。
「オ。……おやしろだ」
 かれは、拝殿はいでんまえけてくなりそこへひざまずいた。何神社なにじんじゃともおもわず無意識むいしきにべたと両手りょうてをついていた。おりおり心魂しんこんのおののきをかれきんなかった。――くら拝殿はいでんのうちに、いっすい御明みあかしはえなんとしながらえもせず、颯々さっさつかぜなかにゆらいでいた。
「――八大神社はちだいじんじゃ
 かれは、拝殿はいでんがくあおいで、おおきなちから味方みかたにもったようながした。
「そうだ!」
 ここから真下ましたてき逆落さかおとしにってゆく自分じぶんうしろにはかみがあるとする強味つよみ――かみこそはいつもただしきものに味方みかたたもうものという強味つよみ――むかし信長のぶなが桶狭間おけはざまけてゆく途中とちゅうでも熱田あつたみやへぬかずいたことなどもおもわされて、なんとなくうれしい吉瑞きちずい
 かれは、御手洗みたらしみず口漱くちすすいだ。さらにもう一杓子ひとしゃくしふくんで、かたな柄糸つかいとき、わらじのにもいた。
 ばやく革襷かわだすきをかけ、鬢止びんどめの鉢巻はちまき木綿もめんめた。そしてあしらしながら神前しんぜんもどって、拝殿はいでん鰐口わにぐちをかけた。

 ――をかけて。
(いや! て)
 と武蔵むさしは、はなした。
 あわせた紅白こうはくいろわからぬほどふるびている木綿もめんつな――鰐口わにぐちすずかられている一条いちじょうつな――
たのめ、これにすがれ)
 といわないばかりな。
 しかし、武蔵むさし自分じぶんむねに、
自分じぶんいま、ここへ、なにをねがおうとしたのか)
 をたずねてみて、はっと、すくめてしまったのであった。
(もう宇宙うちゅう同心同体どうしんどうたいになっているはずの自分じぶんではないか!)
 とおもう。
(ここへるまでに――いや常々つねづねから、あしたきてはゆうべにぬると、ならならいしていたではないか)
 と、われをしかる。
 それがいまはからずも、平常へいぜい鍛錬たんれんを、ここぞとおも間際まぎわあたって、いっすいあかりをあおぐと、なにか、暗夜あんやひかりでもつけたように、うれしげにこころれ、はわれをわすれて、この鰐口わにぐちすずらそうとしている。
 さむらいの味方みかた他力たりきではない。こそ常々つねづね味方みかたである。いつでもすずやかに、きれいにいさぎよく、はっとねるというたしなみは、どんなにならっても、ならいぬいても、容易よういならいきれる修行しゅぎょうでないことは勿論もちろんだが、ゆうべのつきから今朝けさまであるいておのれのこそ、それを体得たいとくったものと、こころひそかに、自分じぶんほこってさえいたのに――と、武蔵むさしいしごと神前しんぜんったまま、じっと慚愧ざんきくびれて、口惜くやなみだほおくだってくるのもおぼえぬもののように、
あやまった!)
 と、いをこころみ、
(――自分じぶんでは、玲瓏れいろうになりっていたつもりでも、まだ五体ごたいのどこかには、きたいとするもうずいていたにちがいない。おつうのことやら、故郷ふるさとあねのことやらが――そしてわらをもつかみたいとするたのみが――ああ、無念むねんな! われをわすれて鰐口わにぐちつなべさせたのだ。――このになってかみちからたのもうとしていた)
 おつうにはかなかったなみだを、武蔵むさし滂沱ぼうだほおにながして、わがに、わがこころに、わが修行しゅぎょうに、万恨まんこん無念むねんつのであった。
(――無意識むいしきであったのだ、たのもうとする気持きもちも、いのろうとする言葉ことばかんがえずに、ふと鰐口わにぐちつなろうとした。――だが、無意識むいしきだから、なみいけないのだ!)
 しかってもしかっても、しかりきれない慚愧ざんきなのである。自分じぶん口惜くやしいのだ。こんなあさ修行しゅぎょうをしてたきょうまでの日々ひびであったかとおもうと、
愚鈍ぐどんめ)
 あわれむべき自分じぶん素質そしつかんがえるほかなかった。
 すでに空身くうしん。なにをたのみなにをねがうことがあろう。たたかわぬまえこころ一端いったんからやぶれをしょうじかけたのだ。そんなことで、なにがさむらいらしい一生涯いっしょうがい完成かんせいか。
 だが――武蔵むさしはまた卒然そつぜんと、
有難ありがたいっ」ともおもった。
 真実しんじつかみかんじた。まださいわいにも、たたかいにははいっていない。一歩前いっぽまえだ。いは同時どうじあらたることだった。それをらしめてくれたものこそかみだとおもう。
 かれは、かみしんじる。しかし、「さむらいのみち」には、たのむかみなどというものはない。かみをもえた絶対ぜったいみちだとおもう。さむらいのいただくかみとは、かみたのむことではなく、また人間にんげんほこることでもない。かみはないともいえないが、たのむべきものではなく、さりとて自己じこという人間にんげんも、いともよわちいさいあわれなもの――とかんずるもののあわれのほかではない。
「…………」
 武蔵むさしは、一歩いっぽ退さがって、両手りょうてをあわせた。――しかし、その鰐口わにぐちつなへかけたとはちがったものであった。
 そしてすぐ、八大神社はちだいじんじゃ境内けいだいから、ほそ急坂きゅうはんりてった。さかりきった山裾やますそ傾斜けいしゃさがまつつじはあった。