237・宮本武蔵「風の巻」「生死一路(1)(2)」


朗読「237風の巻79.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 07秒

生死一路しょうしいちろ

 チチ、チチ、チチ……
 なわて大藪おおやぶかぜちそめてた。かぜにつれて、小禽ことりつ。しかしまだその鳥影とりかげえぬほどあさくらいのである。
 まえりているので、佐々木小次郎ささきこじろうは、
「わしだぞ。立会人たちあいにん小次郎こじろうなるぞ」
 こうことわりながら、大息おおいきって、雲母越きららごえの十町じゅっちょうなわてのようにけ、さがまつつじまでやがてた。
 跫音あしおとに、
「や、小次郎殿こじろうどのか」
 四方しほうひそんでいた吉岡勢よしおかぜいは、まったくしびれのれたようなかおをして、かれ周囲しゅういをすぐくろかこんだ。
「まだえませぬかの、武蔵むさしは――」
 壬生みぶ源左老人げんざろうじんいに、
「いや、出会であった」
 と、小次郎こじろう語尾ごびげ、その言葉ことばかれ、さっと自分じぶんへあつまる視線しせんのひらめきをつめたく見廻みまわしつつ、
出会であったが、武蔵むさしやつ、どうおもったか、高野川たかのがわから六町ろくちょうほどってあるくうちに、不意ふい姿すがたしてしもうたのです」
 いいもおわらず、
「さては、げたなっ」
 これは御池十郎左衛門みいけじゅうろうざえもんだった。
「いや!」
 と、その動揺どよめきをおさえて、小次郎こじろうはいいつづけるのだった。
落着おちつましたかれ容子ようす、また、わしにいった言葉ことばのふしや、そのほかかんがあわせてみるに、姿すがたしたが、どうも、あのままったものともかんがえられぬ。――おもうに、この小次郎こじろうられては具合ぐあいのわるい奇策きさくもちいるため、わしをいたものとおもわれる。油断ゆだんけっしてなりませぬぞ」
奇策きさく。――奇策きさくとは?」
 無数むすうかおが、かれかこんで、かれ一言半句いちごんはんくらすまいとするようにひしめいた。
「おおかた武蔵むさし助太刀すけだちのものたちが、どこかにたむろしていて、かれあわせ、それとあわしてここへせてるつもりではないかとおもう」
「ウウウム。……それはありそうなことじゃ」
 源左老人げんざろうじんうめくと、
「しからば、ここへるのも、もうはないな」
 十郎左衛門じゅうろうざえもんは、そういうと、はなれたり、うえからりてあつまって味方みかたへ、
もどもどれ。そなえをくずしているところへ、武蔵方むさしがた不意ふいきょいてようものなら、出鼻でばな不覚ふかくってしまう。どれほどの助太刀すけだちしてまいるかはしらぬが、いずれ多寡たかれたもの。手筈てはずあやまたずってしまえ」
「そうだ」
 めいめいも、づいて、
ちくたびれて、こころゆるみのおことき油断ゆだんだ」
部署ぶしょにつけ」
「おう、かるな」
 いいわしながらばらばらとわかれて、ふたたび、やぶなか樹蔭きかげや、また、飛道具とびどうぐたずさえてこずえうえかげをかくした。
 小次郎こじろうはふと、さがまつ根方ねかたに、わら人形にんぎょうのようにっている源次郎少年げんじろうしょうねんて、
ねむいか」
 といた。
 源次郎げんじろうつよく、
「ううん」
 くび否定ひていしてせた。
 そのつむりでてやりながら小次郎こじろうは、
「ではさむいのか、くちびるいろむらさきいろしているではないか。其許そこもと吉岡方よしおかがた名目人めいもくにんで、つまりきょうのはたいの総大将そうだいしょうだからの、確乎しっかりしていなければいかんぞ。もうすこしの辛抱しんぼう、もすこつと、面白おもしろいものがられるからな。……どれ、わしもどこかのよいところで」
 と、いいててそこをった。

 ――一方いっぽうおもあわせると、ちょうどその時刻じこく
 志賀山しがやま瓜生山うりゅうやまあいさわあたりで、おつうからわかった宮本武蔵みやもとむさしは、
(ちとおそくなった!)
 と、その遅刻ちこくしたもどそうとするかのように、きゅうあしはやしていた。
 さがまつでの出会であいは、とら下刻げこくやくしてある。このごろはおよそ刻過こくすぎであるからまだくらいうちなのだ。場所ばしょ叡山道えいざんみち三道さんどうつじあたっているし、よるしらめば、当然往来人とうぜんおうらいにんもあるからそのてんなども時間じかん考慮こうりょされていることはいうまでもない。
(お、北山きたやま御房ごぼう屋根やねだな)
 武蔵むさしは、あしめた。そして自分じぶん今踏いまふんでいる山道さんどうのすぐ真下ましたえる伽藍がらんをのぞいて、
ちかい!)
 とかんじた。
 そこからさがまつつじまではもうしち八町はっちょうしかない。北野きたの裏町うらまちからあるした距離きょりついにここまでちぢまった。このあいだつきかれとともにあるいていた。やまはしにかくれたのかあさ月影つきかげはもうえなかった。――しかし、三十六峰さんじゅうろっぽうふところおもたくねむしている白雲はくうんれが、にわかに、漠々ばくばく活動かつどうおこしてそら上昇じょうしょうしはじめたのをても、天地てんちじゃくとした暁闇ぎょうあんのうちにすでに「偉大いだいなる日課にっか」へかかっていることがわかる。
 その偉大いだいなる日課にっかのまっさきに、もういくつか呼吸こきゅうするあいだに、自分じぶんが、一片いっぺんくもよりもあわく、その気象きしょうなかからされてゆくのか――と武蔵むさしくもあおいでおもう。
 くもいだおおきな万象ばんしょううえかられば、一匹いっぴきちょう一個いっこ人間にんげんも、なんらのかわりもないほどなものでしかない。――けれど人類じんるい天地てんちかられば、一個いっこは、人類全体じんるいぜんたいせいかかわってゆくのだ。人類じんるい永遠えいえんせいたいして、よい暗示あんじか、わる暗示あんじかを、地上ちじょうえがいてゆくことになる。
(よくのう!)
 と、武蔵むさしはここまでた。
(いかによくぬか?)
 にかれ最大さいだい最後さいご目的もくてきはあるのだった。
 ――ふと水音みずおとみみにつく。
 一気いっきに、ここまであしはやめてたので、かれかわきをおもした。いわかがんでみずをすすった。みずのうまさがしたみる。かれ自分じぶんで、
(おれの精神せいしんみだれてない)
 ということをそれでもった。そして直前ちょくぜんそのものへたいして、すこしも卑屈ひくつかんじない自己じこをすずやかにおもった。いまこそ、自分じぶんたんかかとにこもっているというかん
 ――だが、あしめて、一息ひといきつくとすぐ、なにかしらうしろで自分じぶんぶものがあった。おつうこえである。また、城太郎じょうたろうこえである。
もとよりのせいだ)
 そうかれっている。
みだして、あとってるようなおんなではない。わかりぎるほど、自分じぶんこころもわかっているおんなだけに――)
 ということもかれっている。
 けれどそのおつううしろからこえをふりしぼってるような気持きもちが、なんとしてもあたまからはらえなかった。
 ここまでけてあいだにも、ともすると振向ふりむいてみた。いまも、あしめるとすぐ、意識いしきのうちに、
(もしや?)
 と、みみはそれへかたむいてしまう。
 時刻じこくおくれることは、約束やくそくたがえたといわれるのみでなく、かれとして、たたかうえそんである。無数むすうてきなかへ、単騎たんきるには、ちょうどつきち、よるもまだけきらないという、暁闇ぎょうあん一瞬いっしゅんこそかれにとってがある。勿論もちろん武蔵むさしもそのかんがえであしいそいでたのであるが、またひとつには、うしろかみくようなおつうのあらぬこえ姿すがたを、しんからてるためにも、ここまでをつぶるような気持きもちいそいでたものであろう。