232・宮本武蔵「風の巻」「木魂(7)(8)」


朗読「232風の巻74.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 41秒

 いや、羞恥しゅうちは、おつうばかりではない。武蔵むさしよこいていた。
 一方いっぽうけて俯向うつむき、一方いっぽうよこいてそらあおいだまま……これが幾年いくねん幾年いくねんも、わんとしてはがたかった二人ふたりの、たまたま、ゆるされたいっときいだった。
「…………」
 どういおう。
 武蔵むさしにはその言葉ことばつからない。
 どんな言葉ことばをもっていっても、自分じぶんこころあらわすにはりないからであった。
 すさび千年杉せんねんすぎくら一夜いちや――あの夜明よあけからのことを、武蔵むさし瞬間しゅんかんむねにえがくことができる。にはなかったが、それからの五年ごねんあまりの彼女かのじょあるいてみちを――また一途いちずとおして清純せいじゅん気持きもちを――武蔵むさしけっしてっていないのではない、かんじていないわけではない。
 多岐たきな、複雑ふくざつな、彼女かのじょ生活せいかつと、あらわされた純愛じゅんあいほのおと、くちのきけないひとのように無表情むひょうじょうで、はいのようにつめたくひとにはせて自分じぶん情熱じょうねつ埋火うずみびと――いずれがつよくいずれがくるしかったかといえば、武蔵むさしひとこころうちで、
(おれこそ)
 と、いつもおもう。いまもまた、そうおもうのだった。
 ――だが、そういうわがことよりもいやまして、このおつう可憐いじらしく、そして不愍ふびんでならないとおもわれるのは、おとこでさえ、片荷かたににはおもすぎるなやみを、おんなで、生活せいかつちつつ、恋一こいひとつを生命いのちとしてとおしてた――そのつよさと健気けなげさにある。
(もう……いっときだ)
 武蔵むさしは、つき位置いちている。自分じぶんきているあいだ時間じかんおもわずにいられない。つきはもう残月ざんげつとなっていた。いつのまにか、ずっと西にしかたむいて、ひかりしろっぽく、夜明よあけはやがてちかいのである。
 そのつきともに、やまちてゆく寸前すんぜん自分じぶんである。いまこそおつうむかって、たった一言ひとことでも、真実しんじつをいいたい。またそれがこのひとたいしてむくゆる最大さいだい良心りょうしんでもあるし――と武蔵むさしおもう。
 真実しんじつ
 しかし、いえないのだった。
 むねにはいっぱいにっている真実しんじつが、その真実しんじつをいおうとするほど、くちにはないで、いたずらにただ、そら、あらぬほうてしまう。
「…………」
 おなじように、おつうもただつめて、なみだをそそいでいるしかなかった。――ここへるまでには彼女かのじょむねにも、七堂しちどう伽藍がらんつつんでしまうような、恋以外こいいがいには真理しんり神仏しんぶつ利害りがいもない、また、おとこ世界せかいでいう意地いじ外聞がいぶんもない――ただこいのみの熱情ねつじょうがあったのである。その熱情ねつじょうをもって武蔵むさしをうごかし、そのなみだをもって二人ふたりきりで、浮世うきよそとむことも出来できないことはないと信念しんねんしていたのであった。
 けれど――ってみると、なにもいえない彼女かのじょだった。そんな熾烈しれつのぞみはおろかわないあいだつらさ、世路せろにまようのかなしさ、武蔵むさしつれないこと――なにひとつとしていえないのだった。胸先むなさきまでげてくるそれらの感情かんじょうを、ふとおもっていおうとすれば、ただくちびるわなないてしまうだけで、よけいにむねはつまりなみだをふさいで、もし、武蔵むさしもそこにいない桜月夜さくらづきよしたでもあるならば、わッ……と大声おおごえあげて、嬰児あかごのようにまろび、せめてこのにいないははにでもうったえるもちで、こころむまで、かしていたいとおもうほどだった。
「…………」
 どうしたものだろう。おつうもいわず武蔵むさしもいわず、こうしているあいだ時刻じこくはいたずらにぎてしまう。
 ――はやあかつきちかいせいか、けたごえをこぼして、かえかりろく七羽しちわやまえてった。

かりが……」
 武蔵むさしはつぶやいた。この場合ばあいにそぐわない、ってつけたような――とりながら、
「おつうさん、かえかりいてゆくなあ」
 といった。
 それをしおに、
武蔵むさしさま」
 と、おつうもいった。
 ひとみひとみが、はじめておたがいを見合みあった。あきはるにはかりわた故郷ふるさとやま二人ふたりこころおもされた。
 あのころは、単純たんじゅんだった。
 おつうがいつもなかよくしていたのは又八またはちで、武蔵むさし乱暴らんぼうだからきらいだといっていた。武蔵むさしあくをいうと、おつうけないでののしった。――そうしたおさなころ七宝寺しっぽうじやままぶたえる。吉野川よしのがわ河原かわらおもされる……
 しかし、そんな追憶ついおくふけっていると、また、いたずらにこの二度にどとないこのでのとうと瞬間しゅんかんを、沈黙ちんもくうちごしてしまいそうなので、武蔵むさしからやがてまたいった。
「おつうさん。そなたはいまからだわるいということだが、からだはどうだね?」
「なんでもありません」
「もうほうなのか」
「それよりも、あなたは、これから、一乗寺いちじょうじあととやらで、ぬお覚悟かくごでございましょう」
「……う、む」
「あなたが、にあそばしたら、わたくしもきていないつもりです。そのせいか、からだわるいことなど、わすれたように、なんともございません」
「…………」
 武蔵むさしは、そういうおつうかおえをて、自分じぶん覚悟かくごのほどが、いまだこの一女性いちじょせいにすらおよばない心地ここちがした。
 いまはらをすえるまでには、さんざん生死せいし問題もんだい苦悩くのうしたり、日常にちじょう修養しゅうようだの、さむらいとしての鍛錬たんれんだのをんでて、やっとこの覚悟かくごになりるまでになってたとおもうのである。――だのに、おんなは、そういう鍛錬たんれん苦悩くのうずに、いきなりなんらのまどいもなく、
(――わたくしもきていないつもりです)
 と、すずやかにいう。
 武蔵むさしが、じっとそのているに、彼女かのじょのことばが、けっしていっとき興奮こうふんうそでないことはわかる。むしろたのしんで自分じぶんいて、とものうとしている気持きもちすらかがやいている。どんな覚悟かくごのよいさむらいでもおよばないほどしずかなひとみているのである。
 武蔵むさしじ、かつうたがった。
(どうしておんなは、こうなれるのであろうか)
 同時どうじかれ当惑とうわくと、そして彼女かのじょ一生いっしょうのためにおそれて、自分じぶんまでがみだれた。
「ばっ、ばかなっ!」
 突然とつぜんかれ自分じぶんくちからいた自分じぶんこえおどろいたほど激越げきえつ感情かんじょううえ自分じぶんせていっていた。
「わしのには、意義いぎがあるのだ。けんきる人間にんげんけんぬのは本望ほんもうであるばかりでなく、乱脈らんみゃくなさむらいどうのために、すすんで卑怯ひきょうてきむかえてぬのだ。そのあとからそなたがともにぬ――その気持きもちはうれしいが、それがなんのやくとうか。むしのようにあわれにきて、むしのようにはかなんでどうするのか」
 ――ればおつうはふたたび大地だいちしていている様子ようすなので、武蔵むさしは、自分じぶんのことばのあまりにげきぎていたのにづき、ひざって、こえおとし、
「だが、おつうさん。……かんがえてみると、わしはらずらず、そなたにうそをついてきた。千年杉せんねんすぎときから、花田橋はなだばしときから、あざむ気持きもちではなくても、かたちはそうなっててしまった。そしてひどつめたいさまよそおってた。わたしはもう一刻後いっときごにはだ。おつうさん、いまいう言葉ことばうそではない。わしはそなたがきだ。一日いちにちでもおもわぬのなかったほどきだった。……なにもかもててともにくらしておわりたいとどれほどおもなやんだかしれない。――そなた以上好いじょうすきな、けんというものがなかったら」