226・宮本武蔵「風の巻」「必殺の地(5)(6)」


朗読「226風の巻68.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 43秒

 これだけのそなえがある以上いじょう小次郎一人こじろうひとり助太刀すけだちなどたよるにもあたらない。けれど、この若者わかものくちから自分じぶんたちの卑怯ひきょう戦法せんぽう吹聴ふいちょうされてはと、それを源左老人げんざろうじんはおそれたにちがいない。
「なにとぞ、みずながして」
 と、ねんごろなあやまりように、小次郎こじろうまえいかりようとは、ってかわって、
「いや御老人ごろうじん、そう年上としうえのあなたから何遍なんべんあたまげられると、若輩じゃくはい小次郎こじろうはどうしてよいかわからなくなる。まずおげてくだされい」
 案外あんがい、あっさり機嫌きげんなおして――それとともに、吉岡方よしおかがたものへ、れい流暢りゅうちょう弁舌べんぜつで、こう激励げきれいべ、そして、武蔵むさしのことを、くちきわめてののしした。
「わしはもとより、清十郎殿せいじゅうろうどのとはご懇意こんいだったし、武蔵むさしには、さっきもいうたとおり、なんの由縁ゆかりもない人間にんげんです。――さすれば人情にんじょうとしても、らぬ武蔵むさしよりは、御縁故ごえんこのある吉岡衆よしおかしゅうたせたいとおもうのが当然とうぜんでござろう。――しかるになんたる不覚ふかくです、二度にどまでの敗北はいぼくとは。四条道場しじょうどうじょう離散りさん吉岡家よしおかけ瓦滅がめつ。……ああ、てはいられません。古来こらい兵家へいか試合多しあいおおしといえども、こんな悲惨事ひさんじたこともいたこともない。――室町家御指南役むろまちけごしなんやくともあろう大家たいかが、もなき一介いっかい田舎いなか剣士けんしのために、かかる悲運ひうんいたろうとはです」
 小次郎こじろうみみあかくしているかとおもわれるような語気ごき演舌えんぜつするのだった。源左老人げんざろうじんはじ皆彼みなかれ熱力ねつりょくのあるしたせられてだまってしまった。そして、これほど好意こういたれている小次郎こじろうたいしてなんであんな暴言ぼうげんいたかと、十郎左衛門じゅうろうざえもんなどはありありいているかおつきであった。
 そういう空気くうきわたすと、小次郎こじろうはわが独壇場どくだんじょうのように、いよいよしたねつくわえて、
「わしも将来しょうらいは、兵法へいほうをもって一家いっかそうとするものなので、たんなる好奇心こうきしんからではなく、つとめて試合しあい真剣勝負しんけんしょうぶなどのさい弥次馬やじうまじってかけます。傍観者ぼうかんしゃとなっているのもよい勉強べんきょうになるからでござる。――けれどおよそ今日きょうまで、貴所方きしょがた武蔵むさしとの試合しあいほどはたていて焦々いらいらするものはなかった。――蓮華王院れんげおういんときでも、また蓮台寺野れんだいじのでも、お付添つきそいもいたろうに、なぜ武蔵むさし無事ぶじがしたのでござるか。たれながら、武蔵むさしをして、洛内らくない横行おうこうさせて、だまっておられる各々おのおのもちがわしにはわかりません」
 かわいたくちめてさらに、
「なるほど、わたもの兵法者へいほうしゃとしては、武蔵むさしはたしかにつよい、おどろくべきはげしいおとこにはちがいない。それはこの小次郎こじろうも、いち二度出会にどであってよくわかっておる。――でじつは、よけいなおせっかいにたことだが、いったい彼奴きゃつ素姓生国すじょうしょうごくはどういうものかと、先頃来さきごろらい、いろいろ調しらべてみたのです。もっとも、それにはじつは、かれ十七歳じゅうななさいころからっているおんな出会であったのが、がかりの緒口いとぐちとなったのですが」
 ――と、朱実あけみかくして、
「そのおんなからき、また諸方しょほういろいろ詮索せんさくしてみたところ、彼奴きゃつちは、作州さくしゅう郷士ごうしせがれで、せきはらえきから帰国後きこくごむら乱暴らんぼうはたらき、つい国元くにもとわれて諸方しょほう流浪るろうしてきたという、るにらない人物じんぶつなのです。けれど、あのけんは、天性てんせいとでもいうか、野獣やじゅうつよさとでもいうか、そういう命知いのちしらずなので、無茶むちゃ道理どうりけるたとえで、かえって、正法せいほうけん不覚ふかくをとるものとわしはおもう。――ゆえにです。武蔵むさしつのに、尋常じんじょうにかかってはやぶれる、猛獣もうじゅうわなおとしてるしかないように、奇策きさくもちいねばまたいたされますぞ。そのへんのこと、十分じゅうぶんてきておかんがえなされておるかの」
 源左老人げんざろうじんが、好意こういしゃして、そこにかりのないことを説明せつめいすると、小次郎こじろうはうなずいて、なおいった。
「そこまでとどいておればまんいちにも、らしはあるまいが、まだねんのために、もう一度いちどんださくがあってもいいとおもう」

「――さく?」
 と源左老人げんざろうじんは、小次郎こじろうさかしらなかおつきを見直みなおして、
「なんの、これ以上いじょうさくそなえもりませぬ。ご好意こういはありがたいが」
 いうと、小次郎こじろうはややしつこい。
「いやそうでないぞ御老人ごろうじん武蔵むさしがのめのめと、ここまで正直しょうじきにやってまいれば、それは各々おのおの術中じゅっちゅうにかかったも同様どうよう、もはやのがれるすべはなかろうが、万一まんいち、ここにかようなそなえがあることを未然みぜんって、みちわしてしまったらそれまでではありませぬか」
「そしたら、わらうてくれるまでのこと――。きょう辻々つじつじへ、武蔵逃亡むさしとうぼうと、高札こうさつかかげて、天下てんかわらものにしてやるわさ」
貴所方きしょがた名分めいぶんは、なるほど、それでも半分はんぶんつだろうが、武蔵むさしもまた、世間せけんて、各々おのおの卑劣ひれつ誇張こちょうしてうったえましょう。さすれば、それで怨恨えんこんをそそいだことにはならぬ。――だんじて、武蔵むさしをここで刺殺さしころしてしまわねば意味いみがない。その武蔵むさしを、きっところしてしまうためには、この必殺ひっさつへどうしても彼奴きゃつるように、さそいのさくるとわしはおもうが」
「はて、そんなさくが、あろうかな?」
「ある」
 小次郎こじろうはいった。
 いかにも自信じしんのある口吻くちぶりで、
「ある! さくはいくらでも……」
 と、こえおとして、ふと、つね傲岸ごうがんかおにはせないやすひとみをして、源左老人げんざろうじんみみくちをよせ、
「……な。……どうです」
 と、ささやいた。
「……ム、む、なるほど」
 老人ろうじんはしきりとうなずいて、今度こんどはそのまま御池十郎左衛門みいけじゅうろうざえもんみみかおをよせてはかった。

 おとといの夜半よなか、ここの木賃宿きちんやどたたいて、ひさしぶりのおとずれに、木賃きちん老爺おやじおどろかせた宮本武蔵みやもとむさしは、一夜いちやかすと、鞍馬寺くらまでらってるとことわってかけたまま、きのうは一日姿いちにちすがたせなかった。
ばんには)
 と、老爺おやじ雑炊ぞうすいあたためなどしてっていたが、そのばんかえらず、やがてあくのたそがれちかくにかえってたかとおもうと、
鞍馬くらまみやげじゃ)
 と、つとはいった長芋ながいも老爺おやじにくれた。
 それから、もうひとつのほうは、近所きんじょみせもとめてしならしく、一巻ひとまき奈良なら晒布ざらしして、これで肌着はだぎ腹巻はらまき下紐したひもとをきゅうってもらいたいという。
 木賃きちん老爺おやじは、すぐそれをって、おはりのできる近所きんじょむすめいえたのみにゆき、かえりのあし無駄むだをせず、酒屋さかやからさけをさげてて、山芋汁やまいもじるさかなに、夜半よなか世間せけんばなしについやしていると、そこへちょうど、たのんでやった肌着はだぎ腹巻はらまきもできてた。
 それを、枕元まくらもとにおいて、武蔵むさしねむりについたのであったが、ふと老爺おやじ真夜中まよなかをさましてみると、裏手うらて井戸いどばたで、だれかさかんにみずびているようなおとがする。何気なにげなくのぞいてみると、武蔵むさしはもう寝床ねどこをぬけて、つきひかりした沐浴もくよくまし、よいにできたしろ晒布さらし肌着はだぎ腹巻はらまきをしめ、そのうえに、いつもの衣服いふくまとっているのであった。
 まだつきもそう西にしへはっていない。――今頃いまごろからそんな支度したくをしてどこへ? と老爺おやじがいぶかってうと、いや、先頃さきごろから洛中洛内らくちゅうらくない、きのうは鞍馬くらまにものぼって、もうこの京都きょうとにもすこいたがするので、これからあかつきみちをかけて、つき叡山えいざんのぼってゆき、志賀しがうみおがんで、それを鹿島立かじまたちに、江戸表えどおもて下向げこうしてみようとおもった。――そうおもつと、えてしまい、おまえをおこすのもどくおもったから、旅籠はたごちん酒代さかても、枕元まくらもとつつんでいてある。すくないが、あれをおさめてくれ。また、三年後さんねんご四年後よねんごか、京都きょうとたらおまえのいえとまりによう。
 ――武蔵むさしはそうこたえて、
「おやじ、あとめておいてくれよ」
 もうすたすたと、よこ畑道はたけみちからまわって、牛糞うしくそおお北野きたの往来おうらいくのだった。
 老爺おやじが、名残なごりしげに、ちいさいまどから見送みおくっていると、武蔵むさしは、十歩じゅっぽほど往来おうらいをあるくと、布緒ぬのお草鞋わらじを、ちょっとなおしていた。