221・宮本武蔵「風の巻」「門(11)明日待酒(1)」


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十一

 大声おおごえあげて、城太郎じょうたろうさけぼうとしたが、さけんでも無駄むだなことがわかっているので、かれは、わっときながら、築地ついじかおてた。
「…………」
 いいこととしんじてやったおさな一心いっしんが、大人おとな思慮しりょによってくつがえされると、それに服従ふくじゅうはしても、理窟りくつわかっても、口惜くやしくて口惜くやしくてたまらないらしいのである。
 くだけいて、こえがつぶれると、かた波打なみうちながら、まだあげていた。
 ――と。
 やかたのお下婢すえものでもあろうか、いま、どこからともなくもどってて、下部門しもべもんそとただずんだ人影ひとかげがある。ふと、くらがりの嗚咽おえつみみにふれたのであろう、被衣かずぎのひさしをけて、弱々よわよわちかづいてながら――
「……城太じょうたさん?」
 うたがうようにんだ。
「……城太じょうたさんじゃないの?」
 ふた声目こえめに、城太郎じょうたろうは、ぎょっとしたようなかおけ、
「あっ、おつうさん?」
「まあ、なにをいているんです――そんなところで」
「おつうさんこそ、病人びょうにんのくせに、どうしてそとへなんか」
「どうしてって、おまえくらいひと心配しんぱいさせるものはない。わたしにも、おやかたひとへも、なにもいわずに、いったい、いままでどこをあるいていたんです……。あかりがいてもかえってないし、御門ごもんまっても姿すがたえないし、どんなに心配しんぱいしたかれません」
「じゃあ、おいらをさがしにていたの」
「もしやなにか、間違まちがいでもあったのではないかと、ているにもていられなくなって」
「ばかだなあ、病人びょうにんのくせに。またこのあとねつたらどうするんだい。さあ、はやく寝床ねどこみなよ」
「それよりなんでおまえいていたの」
あとでいうよ」
「いいえ、凡事ただごとではないらしい。さ、事情わけをおはなし」
てからはなすからさ、おつうさんこそ、はやくてくれよ。明日あしたまた、うんうんうなっても、おいららないぜ」
「じゃあ、部屋へやへはいってますから、ちょいとだけはなしておくれ。……おまえ沢庵たくあんさまあといかけてったのでしょう」
「ああ……」
「その沢庵様たくあんさまから、武蔵様むさしさまのいらっしゃるところをきいておいた?」
「あんななさらずのぼうさんは、おいらきらいだ」
「じゃあ、武蔵様むさしさま居所いどころは、とうとうわからずじまいですか」
「ううん」
わかったの」
「そんなこといいから、ようよ、ようよ。――あとはなすからさ!」
「なぜ、わたしにかくすんですか。そんな意地悪いじわるをするなら、わたしはずにここにいるからいい」
「……ちぇッ」
 城太郎じょうたろうは、もいちどなおしたいように、まゆしかめながら、おつうって、
「――この病人びょうにんも、あのお師匠様ししょうさまも、どうしてそう、おいらをこまらすんだろうなあ。……おつうさんのあたまにまた、つめたい手拭てぬぐいててからでないとはなせないことなんだよ。さ、おはいりよ! はいらなければ、おいらがかついでって寝床ねどこなかしこむよ」
 片手かたてにおつうをつかみ、片手かたて下部門しもべもんをどんどんたたきながら、癇癪かんしゃくまぎれに、城太郎じょうたろう呶鳴どなった。
門番もんばんさん! 門番もんばんさん! 病人びょうにん寝床ねどこからそとしているじゃないか。――けとくれよ。はやくけないと病人びょうにんえちまうよ!」

明日待酒あすまちざけ

 ひたいあせをにじませ、さけすこ手伝てつだっているらしい顔色かおいろをして、本位田ほんいでん又八またはちは、五条ごじょうから三年坂さんねんざか傍見わきみもせずけてた。
 れい旅籠屋はたごやである。いしおおさか途中とちゅうから、きたな長屋門ながやもんしたけぬけ、はたけおく離屋はなれまでると、
「おふくろ」
 と、部屋へやのうちをのぞき、
「――なあんだ、また昼寝ひるねか」
 と舌打したうちしてつぶやいた。
 井戸端いどばた一息ひといきつき、ついでに手足てあしあらってがってたが、老母はははまだもさまさず、どこがはなくちかわからないほど、手枕たまくらかおつぶしていびきをかいているので、
「……てえっ、まるで泥棒猫どろぼうねこみたいに、ひまさえあると、てばかりいやがる」
 よくねむっているとおもっていた老母ははは、そのこえにうすをあいて、
「なんじゃあ?」
 とがってきた。
「おや、ってたのか」
おやをつかまえて、なにをいうぞ。こうして、くのがわしの養生ようじょうじゃ」
養生ようじょうはいいが、おれがすこ落着おちついていると、わかいくせに元気げんきがないの、やれそのひま手懸てがかりをさぐっていのと、びしびししかりつけながら、自分じぶんだけ昼寝ひるねしているのはなんぼおやでも勝手かってすぎようぜ」
「まあゆるせ、ずいぶんだけは達者たっしゃなつもりでも、からだとしてぬとみえる。――それにいつぞやのよる、おぬしと二人ふたりして、おつうそこねてから、ひどう落胆がっかりしてのう、あのばん沢庵坊たくあんぼうめにおさえられたこのうでが、いまだにいたんでならぬのじゃ」
「おれが元気げんきになるかとおもえば、おふくろが弱音よわねくし、おふくろがつよくなるかとおもえば、おれの根気こんきがはぐれてしまうし、これじゃあ、いたちごッこだ」
「なんの、今日きょうはわしも骨休ほねやすめに一日寝いちにちねていたが、まだおぬしに弱音よわねかせるほど、としらぬ。――して又八またはち、なんぞ世間せけんで、おつうさきとか、武蔵むさし様子ようすとか、みみよりなはなしかなんだか」
「いやもう、くまいとしても、えらいうわさだぞ。らないのは、昼寝ひるねしているおふくろぐらいなものだろう」
「やっ、えらいうわさとは」
 おすぎひざをつきせてて、
「なんじゃ? 又八またはち
武蔵むさしがまた、吉岡方よしおかがたと、三度目さんどめ試合しあいをするというのだ」
「ほ、どこで何日いつ
遊廓くるわ総門前そうもんまえにその高札こうさつててあったが、場所ばしょはただ一乗寺村いちじょうじむらとだけで、くわしくはいてない。――明日あした夜明よあがたとなっていた」
「……又八またはち
「なんだい」
れは、その高札こうさつを、遊廓くるわ総門そうもんのわきでたのか」
「ウム、大変たいへんひとだかりさ」
「さては昼間ひるまから、そのような場所ばしょで、のめのめとあそんでいたのじゃろうが」
「と、とんでもねえ」
 あわててりながら、
「それどころか、たまさけぐらいすこむが、おれはうまかわったように、あれ以来いらい武蔵むさしとおつう消息しょうそくさぐあるいているじゃねえか。そうおふくろに邪推じゃすいされちゃなさけなくなる」
 ふとおすぎは、不愍ふびんして、
又八またはち機嫌きげんなおせ、いまのは、ばばの冗談じょうだんじゃ。れのこころさだまって、もとのような極道ごくどうもせぬことは、ようこの老母ははているわいの。――したがさて、武蔵むさし吉岡よしおかしゅうとのはたいが明日あした夜明よあけとはきゅうなことじゃな」
とら下刻げこくというから、夜明よあけもまだ薄暗うすぐらいうちだなあ」
「おぬし、吉岡よしおか門人衆もんじんしゅうのうちに、っているものがあるといったの」
「ないこともないが……そうかといって、あまりいいことでられているわけでもねえからなあ、なにか、ようかい」
「わしをれて、その吉岡よしおか四条道場しじょうどうじょうとやらへ案内あんないしてほしい。――ぐにじゃ、れも支度したくしたがよい」