219・宮本武蔵「風の巻」「門(7)(8)」


朗読「219風の巻61.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 33秒

「…………」
「…………」
 くちのうごくまえ双方そうほうはげしいまなこであった。猛獣もうじゅう猛獣もうじゅうときのような沈黙ちんもくであった。
 このふたりは、先天的せんてんてきわない性格せいかく持主もちぬしとみえる。おたがいがみとめているものを、おたがいにおそっていた。わか自負心じふしん自負心じふしんとが、れるとすぐ摩擦まさつおこそうとするのであった。
 で――それは、五条大橋ごじょうおおはしときもまたいまおな心理しんりすくいになりかけた。言葉ことばわすまえに、ひとみひとみとが、もう小次郎こじろう感情かんじょうと、同時どうじ武蔵むさし感情かんじょうとを、完全かんぜんにいいつくし、あますところなく無言むごん意思いしたたかっているのである。
 ――でも、一言ひとことはあった。
 やがて小次郎こじろうほうからである。
武蔵むさし、どうだ」
「どうだとは」
いま吉岡側よしおかがわのほうへ、わしが談合だんごうしたような条件じょうけんで」
承知しょうちした」
「いいな」
「ただし、其許そこもと条件じょうけんには、異存いぞんがある」
「この小次郎こじろうに、あずけるということの不満ふまんか」
清十郎せいじゅうろうどの、ならびに伝七郎でんしちろうどのと、二度にど試合しあいにも、武蔵むさしは、みじんも卑怯ひきょういたしておらぬ。なんで残余ざんよ遺弟ゆいていたちに、かく名乗なのりかけられて、卑怯ひきょうせようか」
「ウム、堂々どうどうたるものだ。その広言こうげんを、きっとっておこう。――しからば武蔵むさしのぞみの日取ひどりは」
場所ばしょも、相手方あいてがた希望きぼうにまかせておく」
「それもいさぎよい。――して、今日以後きょういご、おぬしはどこに居所いどころめておるか」
「さだまる住居すまいはない」
住居すまいがわからなくては、はたいの牒状ちょうじょうつかわせぬ」
「ここで、おくださらば、違約いやくなくその時刻じこくに、お出会であもうす」
「ウム」
 小次郎こじろううなずいてあと退がった。そして御池十郎左衛門みいけじゅうろうざえもん門下もんかものと、しばらくはなっていたが、やがてまた一人離ひとりはなれてて、武蔵むさしへ、
相手方あいてがたは、明後日あさってあさ――とら下刻げこくというが」
心得申こころえもうした」
場所ばしょは、叡山道えいざんみち一乗寺山いちじょうじさんのふもと、藪之郷やぶのごうさがまつ。――あのさがまつ出会であいの場所ばしょとする」
一乗寺村いちじょうじむらさがまつとな、よろしい、わかった」
吉岡方よしおかがた名目人めいもくにんは、清十郎せいじゅうろう伝七郎でんしちろう二人ふたり叔父おじにあたる壬生みぶ源左衛門げんざえもん一子いっし源次郎げんじろうてる。源次郎げんじろう吉岡家よしおかけ跡目相続人あとめそうぞくにんでもあれば、そのものてるが、まだ年端としはもゆかぬ少年しょうねんゆえ、門弟何名もんていなんめいかが、介添かいぞえとして立合たちあいにつくということ……それもねんのためもうしておくぞ」
 相互そうご約束やくそくめると、小次郎こじろうはそこの木挽小屋こびきごやをたたき、なかへはいってって、おののいている二人ふたり木挽こびきめいじた。
「そこらに、なんぞ不用ふよういたぎれがあろう。高札こうさつてるのじゃ、ほどよくひいて、六尺ろくしゃくほどの棒杭ぼうぐいちつけてくれい」
 木挽こびきいたをひいてすと、小次郎こじろう吉岡よしおかものはしらせて、どこからか筆墨ひつぼくせ、達筆たっぴつふるって、それへはたいの主旨しゅしいた。
 相互そうご神文しんもん取交とりかわすより、これを往来おうらいてることは、絶対ぜったい約束やくそく天下てんか公約こうやくすることになる。
 吉岡側よしおかがわで、それがもっと人目ひとめにつきやすいつじてられるのを見届みとどけて、武蔵むさし他人事ひとごとのように、やなぎ馬場ばばのほうへあしはやめてった。

 ぽつねんと、やなぎ馬場ばばに、武蔵むさしるのをっていた城太郎じょうたろうは、
おそいなあ」
 幾度いくたびか、嘆息ためいきして、ひろやみまわしていた。
 かごあかりがけてゆく。
 っぱらいのうたがよろけてゆく。
「――おそいぞ、ほんとに」
 もしや? という不安ふあんかれにもないではない。城太郎じょうたろう突然とつぜん柳町やなぎまちのほうへした。
 すると、彼方かなたから、
「これ、どこへゆく」
「あ、お師匠ししょうさま、あまりおそいからこうとおもったんです」
「そうか。あぶなくちがうところだったな」
総門そうもんそとに、吉岡よしおかものが、沢山たくさんいたろ」
「いたよ」
「なにかしなかったか?」
「ああなにもしなかった」
「お師匠様ししょうさまつかまえようとしなかったの」
「ウム、しなかった」
「そうかなあ」
 城太郎じょうたろうは、武蔵むさしかおのぞげて、そのかおいろをむようにまたいた。
「じゃあ、なんでもなかったんだね」
「ウム」
「お師匠様ししょうさま、そっちじゃないよ。烏丸様からすまるさまみちは、こっちへまがるんだよ」
「あ、そうか」
「お師匠様ししょうさまも、はやくおつうさんにいたいでしょう」
いたいなあ」
「おつうさんも、きっと、びっくりするぜ」
城太郎じょうたろう
「なに」
「おまえとわしと、はじめてった木賃宿きちんやどなあ。あれは、何町なにまちであったかのう?」
北野きたののかい」
「そうそう、北野きたの裏町うらまちだったな」
烏丸様からすまるさまのおやかた立派りっぱだぜ。あんな木賃宿きちんやどみたいじゃないよ」
「ハハハハ、木賃宿きちんやどとは、くらべものにはなるまい」
「もう表門おもてもんまっているけれども、うら下部門しもべもんをたたけばけてくれるからね。お師匠様ししょうさまれてたっていうと、きっと、光広様みつひろさまるかもれないよ。それからねお師匠様ししょうさま、あの沢庵坊主たくあんぼうずね、あいつ、とても意地いじわるだぜ。おいらしゃくにさわっちまった。お師匠様ししょうさまのことを、あんなものッとけばいいんだっていうのさ。そして、お師匠様ししょうさまのいるところをちゃんとっているくせに、なかなかおしえてくれなかったんだぜ」
 武蔵むさし無口むくちりぬいているので、いくら武蔵むさし黙然もくねんいていても、城太郎じょうたろうひとりで勝手かってにお饒舌しゃべりをめない。
 やがて、烏丸家からすまるけ下部門しもべもんがそこにえると、
「お師匠様ししょうざまあそこだよ」
 ゆびさして、ふいにまった武蔵むさしへ、おしえるように、
「あのへいうえに、ぽっとあかりがしてるだろ。あそこがきたおくで、ちょうど、おつうさんがている部屋へやがあのへんなんだぜ。……あのあかりは、おつうさんがきてっているあかりかもれないね」
「…………」
「さ、お師匠様ししょうさま、はやくはいろう、いまおいらが、もんたたいて門番もんばんさんをおこすからね」
 そこへむかって、そうとすると、武蔵むさし城太郎じょうたろう手首てくびをぐっとにぎって、
「まだはやい」
「どうしてさ、お師匠様ししょうさま
「わしは、おやかたへははいらぬ。おつうさんへは、おまえからようく言伝ことづてをしてもらいたい」
「え、なんだって。……じゃあお師匠様ししょうさまは、なにしにここまでたのさ」
「おまえをおくってたまでだ」