218・宮本武蔵「風の巻」「門(5)(6)」


朗読「218風の巻60.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 38秒

 そのころ板倉いたくらといえば、こわ役人やくにんという代名詞だいめいしになっていた。

大路おおじたすは
栗毛くりげ
伊賀いが四郎左しろうさ
みなにげる

 だの、

伊賀いがどのはそも
千手観音せんじゅかんのん天目天てんもくてん
あまた目付めつけ
ひゃく与力よりき

 などと、童戯どうぎれまでうたっているのは、みなその板倉伊賀守いたくらいがのかみ勝重かつしげのことだった。
 いま京都きょうと繁昌はんじょうは、特殊とくしゅ発達はったつと、変則へんそく好景気こうけいきわついていた。それはこの都府とふが、政治的せいじてきにも、戦略的せんりゃくてきにも、日本にほんわかにぎっていて、重要じゅうよう作用さようっているからである。
 だから、全国中ぜんこくちゅうでも、ここがいちばん文化ぶんか進歩しんぽしていたが、思想的しそうてきると、もっと市政しせい厄介やっかい土地とちでもあった。
 室町時代むろまちじだいはじめから、土着どちゃく市民しみんほとんど、武家ぶけからをすてて町人ちょうにんになり、そしてただ保守的ほしゅてきだった。いまでは、徳川とくがわか、豊臣とよとみか、そのどっちかのいろった武士ぶしが、たがいにこの分水嶺ぶんすいれいって、つぎ時代じだいを、虎視こし眈々たんたんうかがっている。
 そのうえ素姓すじょうれない、またなんで生計せいけいてているのかわからないような武家ぶけが、ずいぶん郎党ろうとう一門いちもんやしなって相当そうとうっている。
 また、いまに、徳川とくがわ豊臣とよとみふたつの勢力せいりょくが、当然とうぜん、なにかおっぱじめるにちがいないから――いぬあるけばぼうにあたるを空頼そらだのみにして、ありのように、うようよしている牢人ろうにんもたくさんある。
 その牢人ろうにんんで、博奕ばくち、ゆすり、かたり、誘拐ゆうかい職業しょくぎょうにしてとうとする無頼者ならずものえるし、飲食店いんしょくてん売女ばいたもそれにあかりをつける。いつのなかにもおお耽溺たんでき主義者しゅぎしゃだの、刹那主義的せつなしゅぎてき人間にんげんも、信長のぶながうたった「――人生五十年じんせいごじゅうねん化転けてんゆめにくらぶれば」を、たったひとつの真理しんりほうじて、一生懸命いっしょうけんめいに、さけおんな刹那せつな享楽きょうらくで、早死はやじに心懸こころがけている。
 それだけならいいが、そういう虚無的きょむてき人間にんげんも、いっぱしな政治観せいじかん社会観しゃかいかん放言ほうげんし、そして、徳川とくがわとも豊臣とよとみとも色分いろわけつかない偽装ぎそうをもって、その時々ときどき世情せじょうによって、ずるおよいで、うまいつるでもあったらつかもうとしているから、ここの市政しせい並大抵なみたいてい奉行ぶぎょうではまずにらみがきかない。
 そこで徳川家康とくがわいえやす眼鑑めがねで、京都所司代きょうとしょしだいにもってたのが、板倉勝重いたくらかつしげだった。
 慶長六年以来けいちょうろくねんいらい与力三十騎よりきさんじゅっき同心百名どうしんひゃくめいせられて、この勝重かつしげが、京都きょうとにらやく任命にんめいされたとき、ちょっとしたはなしつたわっている。
 家康いえやすから、辞令じれいをうけたとき勝重かつしげはすぐめいはいさず、
やしきにもどって、一応いちおうつまとよく相談そうだんしてから、おこたつかまつります)
 帰邸きていすると、勝重かつしげつまむかい、任官にんかん沙汰さたげていうには、
古来こらいから顕職けんしょく栄位えいいぬきんでられて、かえってために、いえほろぼし、がいしたもの史上しじょうにもおおい。そのもとおもうに、みな、門閥もんばつ内室ないしつのわずらいからおこっておる。だからだれよりもおまえのこころ相談そうだんするのだが、おまえは、わしが所司代しょしだいとなっても、市尹しいんおさ〉たるわしのすることには、一切口出いっさいくちだししないとちかうなら、任官にんかんしようとおもうが)
 するとつまは、つつしんでちかった。
(なんで婦女子ふじょし左様さよう口出くちだしをいたしましょう)
 あくあさ登城とじょうするとて、勝重かつしげ衣服いふくると、下着したぎえりってていた。つまて、それをなおそうとすると、
(おまえはもうちかいをわすれているではないか)
 としかり、ふたたびつまかたちかわしめてから、はじめて家康いえやすめいはいしたというのである。
 この覚悟かくご就職しゅうしょくした勝重かつしげなので、かれのすがたは公明こうめいだった。同時どうじ峻厳しゅんげんでもあった。――こわ役人やくにんうえつことは、いやがりそうなものだが、事実じじつその市民しみんは、かれちちのようにあがめ、いえうえに、ちちがいるように安心あんしんした。
 さて、はなしはわきみちへそれたが、いま
板倉いたくらるぞ)
 と、うしろで呶鳴どなった人間にんげんだれだろうか。勿論もちろん吉岡方よしおかがたものはすべて、武蔵むさしたいしているので、そんな言葉ことばをいたずらにはなつはずはない。

 ――板倉いたくらるぞ。
 は当然とうぜん
 ――板倉いたくら手先てさきるぞ。
 という意味いみ受取うけとれたのである。
 役人やくにんにでしゃばられては厄介やっかい場合ばあいだった。けれど、こういうさかには、きまって見廻みまわりがあるいている。それが、何事なにごとかとて、けつけてたのかもれない。
 それにしても、いま掛声かけごえだれだろう。味方みかたものでなければ、往来おうらいもの注意ちゅういか?
 ――と、御池十郎左衛門みいけじゅうろうざえもんはじめ、吉岡門下よしおかもんかが、おもわずこえほうへふとれると、
て、て」
 押分おしわけて、武蔵むさし吉岡門下よしおかもんかのあいだへ、みずかふさがった若衆姿わかしゅうすがたさむらいがある。
「や?」
「おは」
 意外いがいひからせて、自分じぶんあつまる吉岡門下よしおかもんか大勢おおぜいと、武蔵むさしへ、その前髪まえがみは、
(わしだ! このかおは、双方そうほうともまえから記憶きおくがあるであろうが!)
 そういわないばかりに傲然ごうぜん自己じこ誇示こじして、佐々木小次郎ささきこじろうはいうのだった。
いま総門そうもんまえかごをおりると斬合きりあいだという往来おうらいこえ。よもやとおもいのほか、かねがね、こんな事件じけんおころうかとあんじていた各々おのおのではないか。――わしは吉岡よしおか味方みかたでもないし、なおさら、武蔵むさし味方みかたでもない。――だが、武士ぶしであり剣客けんきゃくである以上いじょうは、武門ぶもんのために、武士総体ぶしそうたいのために、あえ各々おのおのがたにいう資格しかくがある」
 前髪まえがみ風采ふうさいあわない雄弁ゆうべんだった。そしてその口吻こうふんといい、ひと睥睨へいげいするまなこといい、くまで傲岸ごうがんそのものだった。
「――そこで、双方そうほううが、もしここへ、板倉殿いたくらどのものでもて、ちまたさわがす不逞ふてい狼藉ろうぜきなされ、始末書しまつしょでもられたら、双方そうほうともよいはじさらしではあるまいか。役人やくにんをわずらわせば、このていは、ただの喧嘩沙汰けんかざたとしかあつかわれぬぞ。――場所ばしょもわるい――ときもわるい――武士ぶしたる各々おのおのが、社会しゃかい秩序ちつじょをみだすような所業しょぎょうをなせば、武士総体ぶしそうたいはじになる。わしは、武士ぶし代表だいひょうして双方そうほうにいう。せ、ここではせ。けんのうえの解決かいけつは、けん作法さほうしたがって、あらためてとき場所ばしょえらんでなすべきではないか」
 かれ演舌えんぜつ圧倒あっとうされて、吉岡方よしおかがたものはみなだまりこんでしまったかたちであった。御池十郎左衛門みいけじゅうろうざえもんは、小次郎こじろうがいいおわると、その言葉ことばじりをすぐって、
「よしっ」
 とつよくいった。
「いかにも、道理どうりはそのとおりにちがいない。――だが小次郎こじろうかならずその他日たじつまで、武蔵むさしせぬという保証ほしょう貴公きこうはするか」
「してもよいが」
「あいまいでは承諾しょうだくできぬ」
「だが、武蔵むさしものだし」
がすだな」
「ばかをいえっ」
 小次郎こじろう叱咤しったして、
左様さよう片手落かたておちをなせば、貴公きこうらの遺恨いこんはわしへかかるではないか。そのほどまで、このおとこかばってやらなければならない友誼ゆうぎ理由りゆうもわしにはない。……だが武蔵むさしとても、このになってまさかげもすまい。もし、京都きょうとから姿すがたくらましたら、京都中きょうとじゅう高札こうさつてて汚名おめいさらしてやればよかろう」
「いや、それだけでは、承知しょうちできぬ。――かならず、他日たじつはたいまでおん武蔵むさしあずかると保証ほしょうするなら、一応いちおう今夜こんやのところはわかれてもよいが」
「――て、武蔵むさしはらただしてみるから」
 小次郎こじろうはくるりと振向ふりむいた。さっきから、自分じぶんるようにている武蔵むさしのひとみを正面しょうめんかえしながら、かれは、自分じぶんすように、ずっとむねせてった。