216・宮本武蔵「風の巻」「門(1)(2)」


朗読「216風の巻58.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 27秒

もん

 さて、扇屋おうぎやたが、まだ遊廓くるわうちである。どうしたらこのかこいから無事ぶじ世間せけんられるだろうか。
 城太郎じょうたろうあんじて、
「お師匠ししょうさま、そっちへくと、総門そうもんほうちまいますよ。総門そうもんそとには、吉岡よしおかもの見張みはっているからあぶないって扇屋おうぎやひともいっていた」
「うむ」
「だから、ほかからましょう」
よるは、総門以外そうもんいがいくちは、みなまっているそうではないか」
さくえてげれば――」
げたといわれては武蔵むさし名折なおれになる。はじ外聞がいぶんもなく、げさえすればよいとおもうくらいなら、なんのこんなところからてしまうのはやすいが、それがわしには出来できないことだから、しずかにおりっていたのだ。――やはり総門そうもんからってこう」
「そうですか」
 と城太郎じょうたろうはやや不安ふあん顔色かおいろせたが、「はじ」をおもんじないものは、たとえきていても無価値むかち人間にんげんとしてあつかわれてしまう武士社会ぶししゃかい鉄則てっそくは、かれにもよくわかっているから、反対はんたいはできなかった。
「――だが、城太郎じょうたろう
「え、なんです」
「おまえは子供こどもだから、なにもわしのとおりに行動こうどうする必要ひつようはない。わしは総門そうもんからくが、おまえはさき遊廓くるわそとて、どこかにけて、わしをっているがいい」
「お師匠様ししょうさま総門そうもんからってくのに、おいら一人ひとり、どこからそとくの」
「そこのさくえるのだ」
「おいらだけ?」
「そうじゃ」
「いやだ」
「なぜ」
「なぜって、たったいま、お師匠ししょうさまがいったくせに。――卑怯者ひきょうものといわれるだろう」
「おまえには、だれも、そんなことをいいはせぬ。吉岡方よしおかがた相手あいてとしているのは、この武蔵一名むさしいちめいで、そちなどは、かずのうちにはいっていない」
「じゃあ、どこでってたらいいの」
やなぎ馬場ばばあたりで」
「きっとる?」
「うん、かならく」
「また、おいらにだまって、どこかへってしまうんじゃない?」
 ――武蔵むさしかおよこって、
「おまえに、うそおしえぬ。さ、人通ひとどおりのないうちに、はやくえろ」
 城太郎じょうたろうは、あたりをまわして、くらさくしたった。けれど、焼丸太やきまるたさくは、かれ背丈せい三倍さんばいたかかった。
(だめだ、おいらにゃ、とてもえられそうもないや)
 自信じしんのないで、城太郎じょうたろうさくたかさを見上みあげていた。すると武蔵むさしは、どこからか、一俵いっぴょう炭俵すみだわらをさげてて、さくしたにおいた。
 そんなもの踏台ふみだいにしたって駄目だめだといわないばかりに、城太郎じょうたろう武蔵むさしのすることをていた。武蔵むさしは、さくあいだからそとうかがって、しばらく、じっとなにかかんがえている。
「…………」
「お師匠様ししょうさまだれさくそとにいるんですか」
「このへんさくそとは、あしがいちめんにえている。あしはらだからみずたまりがあるかもれぬ、をつけてりろよ」
みずなんかいいけれど、たかくって、うえまでとどかない」
総門そうもんのみでなく、さく外部がいぶにも、要所要所ようしょようしょには、吉岡よしおか見張みはりがいるものとおもわなければならぬ。そとくらいから、それに用意よういをしてりぬと、不意ふいに、どんなものが、やみからかたなぎつけてるかもれないのだ。――だから、わしが背丈せいしてげてやるから、さくうえ一応体いちおうからだめて、よくした見定みさだめてからぶのだぞ」
「はい」
「わしがしたから、炭俵すみだわらそとってやるから、その炭俵すみだわらて、なにもかわったことがなかったらぶがよい」
 と城太郎じょうたろうからだを、かたせてった。

とどくか、城太郎じょうたろう
「まだ、まだ」
「では、わしの両方りょうほうかたあしをのせて、ってみろ」
「でも、草履ぞうりだから」
「かまわぬ、土足どそくのままでよい」
 肩車かたぐるまうえ城太郎じょうたろうは、あしをかわして、いわれたとおり、武蔵むさしかたのうえに両足りょうあしをのせてった。
「こんどは、とどいたであろう」
「まだです」
「やッかいなやつだの。はずませて、さく横木よこぎまでびつけぬか」
「できないや」
仕方しかたがない、それでは、わしの両掌りょうてあしをのせろ」
「だいじょうぶ?」
五人ごにん十人乗じゅうにんのっても大事だいじはない。さ、よいか」
 城太郎じょうたろうあしうらに、自分じぶん両掌りょうてませて、武蔵むさしは、かなえげるように、ぐっと自分じぶん頭上ずじょうよりたかかれからだげた。
「――ア、とどいた、とどいた」
 城太郎じょうたろうは、さくうえいた。武蔵むさしは、先刻さっき炭俵すみだわら片手かたてち、そとやみへぽうんとほうった。
 炭俵すみだわらは、どさっと、あしなかちた。――なんの異状いじょうもないとえて、そのあとから城太郎じょうたろうりた。
「なんだ、みずたまりも、なにもありやしない。お師匠様ししょうさま、ここは、ただのはらッぱだぜ」
をつけてけ」
「じゃあ、やなぎ馬場ばばで」
 城太郎じょうたろう跫音あしおとは、やみとおくへ、とおざかってった。
 その跫音あしおときとれなくなるまで、武蔵むさしは、さく隙間すきまかおせてじっとっていた。
 ――そしてかれったさき安心あんしんすると、はじめて身軽みがるそうに、あしはやめだした。
 それまでの薄暗うすぐら遊廓くるわうらみちてて、三筋みすじのうちでもいちばん繁華はんか総門そうもんとおりへると、そこをあるいている人影ひとかげなかに、かれのすがたも、一個いっこうかのようにまぎれてしまう。
 しかし――かさもかぶらずに、そのままの身装みなりで、一歩いっぽ総門そうもんすと、
「あっ、武蔵むさし!」
 と、そこらにひそんでいた無数むすうが、むしろ意外いがいのように、一斉いっせいに、かれ姿すがたむかってひかった。
 総門そうもん両側りょうがわには、むしろがこいの駕屋かごやたまりがある。そこにも、三名さんめいさむらいが、股火またびをしながら、総門そうもん出入でいりをにらんでいた。
 そのほか、編笠茶屋あみがさぢゃや床几しょうぎだの、むかがわ飲食店いんしょくてんなどにも、一組ひとくみずつ見張みはりがたむろしていたし、そのなかから五名ごめいもの交代こうたいして、総門そうもんきわちはだかり、廓内かくないからてくる頭巾ずきんだの編笠あみがさかおはいちいち無遠慮ぶえんりょにのぞきみ、なかかくしたかごれば、かごめて、そのおおいのなかあらためていた。
 三日みっかまえからのことである。
 吉岡方よしおかがたものは、武蔵むさしが、あのゆき夜以来よるいらい、ここからそとていないことを確実かくじつにつきめていた。扇屋おうぎやけて、懸合かけあいもしたし、さぐりもやってみたが、扇屋おうぎやでは、そんなきゃくはいないというのみでりあわない。
 吉野太夫よしのたゆうかれかくまっているらしいという見当けんとうも、全然ぜんぜんつかないわけではなかった。けれどいまこの風流ふうりゅう別世界べっせかいかぎらず、貴顕きけんから民間みんかんにまで人気にんきのある吉野太夫よしのたゆうへ、武士ぶし徒党ととうして、あらそいを仕掛しかけてゆくということも外聞がいぶんうえからかんがえられた。
 で――遠巻とおまきに、持久戦じきゅうせんさくをとって、武蔵むさしが、廓内かくないからるのをきびしく見張みはっていたのであるが、そのおりにはかならとう武蔵むさし姿すがたえてるとか、覆駕おおいかごのうちにかくれてのがれるとか、でなければ、さくえてほかから脱出だっしゅつするにちがいないときめて、その用意よういにはおさおさおこたりないそなえをてていたのだった。
 ――ところが、平然へいぜんと、ありのままな姿すがたさらして、その武蔵むさし総門そうもんたので、かれらはむしろぎょっとして、いきなりそのまえふさがるものもなかった。