207・宮本武蔵「風の巻」「牡丹を焚く(2)(3)」


朗読「207風の巻49.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 31秒

 めいめいが、ひとつずつさかずきって、この程度ていどに、それをっていた。える榾火ほたびは、をかこんでいる六名ろくめいおもてへ、やわらかな明滅めいめつとなってらぎ、戸外そとゆきをしのびながら、そのほのおつめって、みな、黙思もくしふけっているのであった。
「…………」
 ほたとぼしくなると、吉野よしのかたわらの炭籠すみかごのようなものなかから、一尺いっしゃくほどにそろえてってあるほそまきってした。
 ――ふと、そのうちに人々ひとびとは、彼女かのじょべているほそ枯木かれきが、ただの松薪まつまき雑木ぞうきのようでなく、まことによくえるであることにづいた。いや、えのよいばかりでなく、そのほのおいろが、じつうつくしいのに見惚みとれてしまった。
(おや、このまきは)
 と、だれかが注意ちゅういはしていたが、だれもが皆黙みなだまっているのは、そのほのおうるわしさに恍惚こうこつこころうばわれていたからであろう。
 わずか五本ごほんほそまきで、部屋中へやじゅう白昼色はくちゅういろになっていた。
 そのまきからつやわらかなほのおは、ちょうど白牡丹しろぼたんかぜかれているようで、時折ときおり紫金色しきんいろひかり鮮紅せんこうほのおとがじって、めらめらとくるうのであった。
太夫たゆう
 ついに、一人ひとりくちひらいて、
「そなたがべておるそのまきのう――それはいったいなんじゃ、ただのほたともおもえぬが? ……」
 光広みつひろが、こうたずしたときは、その光広みつひろほか人々ひとびとも、なにやらにおわしいものが、このあたたかい部屋へやいっぱいに立籠たてこめているのをかんしていたのである。それもたしかに、このえるにおいらしかった。
牡丹ぼたんでございます」
 と、吉野よしのはいった。
「え、牡丹ぼたん? ……」
 これはだれしも意外いがいらしかった。牡丹ぼたんといえば草花くさばなのようにおもっているので、こんなまきになるほどながあろうかとうたがえてるのだった。吉野よしのは、べかけたひとえだを、光広みつひろにわたして、
「ごろうじませ」
 と、いう。
 光広みつひろは、それを紹由しょうゆう光悦こうえつにもしめして、
「なるほど、これは牡丹ぼたんえだだ。……道理どうりで……」
 と、うめいた。
 そこで吉野よしの説明せつめいしていうには、この扇屋おうぎやかこいのなかにある牡丹畑ぼたんばたけは、扇屋おうぎやつよりもずっと以前いぜんからあるもので、百年以上ひゃくねんいじょうった牡丹ぼたん古株ふるかぶがたくさんある。その古株ふるかぶからあたらしいはなかせるには、毎年まいとしふゆにかかるころ、むしいた古株ふるかぶって、新芽しんめそだつように剪定せんていしてやる。――まきはそのとき出来できるのであるが、もちろん、雑木ぞうきのように沢山たくさん出来できない。
 これをみじかってべてみると、ほのおはやわらかいしにはうつくしいし、また、まぶたにしみるけぶりもなく、薫々くんくんとよいかおりさえする。さすがにはな王者おうじゃといわれるだけあって、となってまきにされても、ただの雑木ぞうきとは、このとおちがうところをると、しつ真価しんかというものは、植物しょくぶつでも人間にんげんでもあらそえないもので、きているあいだはなかせても、してからあとまで、この牡丹ぼたんまきぐらいな真価しんかっている人間にんげんがどれほどありましょうか? ――
 と、吉野よしのはなおわって、
「そういうわたしなども、きているあいだはおろか、ほんの、わかいうちだけられてれて、あとにおいもない白骨はっこつになるはなですけれど……」
 と、さみしげに微笑ほほえんだ。

 牡丹ぼたんは、白々しらじらえさかり、炉辺ろばた人々ひとびとは、けるよるを、ついわすれていた。
「なにもありませぬが、ここになだ銘酒めいしゅと、牡丹ぼたんまきだけは、きてもきないほどございますから」
 という吉野よしののもてなしぶりに、人々ひとびとはすっかり満足まんぞくして、
「なにもないどころか、これは王者おうじゃおごりにもまさる」
 と、どんな贅沢事ぜいたくごとにもいている灰屋紹由はいやしょうゆうすらが、神妙しんみょう感嘆かんたんしてしまう。
「そのかわりに、なんぞ、のちおもとなるように、これへ一筆いっぴつずつ、おのこくださいませ」
 と吉野よしのが、すずりせて、すみをおろしているあいだに、禿かむろつぎ部屋へや毛氈もうせんをのべ、そこへ唐紙とうしひろげてった。
沢庵坊たくあんぼう太夫たゆうがせっかくのもとめじゃ。なんぞいてつかわされい」
 光広みつひろが、吉野よしのかわってうながすと沢庵たくあんはうなずきながら、
「まず、光悦こうえつどのから」
 といった。
 光悦こうえつは、だまって、かみまえひざをすすめ、牡丹ぼたんはな一輪描いちりんかいた。
 沢庵たくあんはそのうえに、

色香いろかなきをば
なにかはをしままし
をしむはなさへ
ちりてゆくよに

 かれうたいたので、光広みつひろはわざといた。そのは、

忙裏ボウリ ヤマワレ
閑中カンチュウ 我山ワレヤマ
相看アヒミレド相似アヒニルニアラズ
ボウスベカンオヨバズ

 という戴文公たいぶんこうであった。
 吉野よしのもすすめられて、沢庵たくあんうたのすこししたへ、

きつつも
なにやらはなのさびしきは
りなんあと
おもふこころ

 と、素直すなおいてふでいた。
 紹由しょうゆう武蔵むさしとは、だまってていただけである。悪強わるじいして無理むりふでたせるものなどがいなかったのは、武蔵むさしにとってはさいわいであった。
 そのうちに紹由しょうゆうは、つぎとこわきに、一面いちめん琵琶びわてかけてあるのをつけ、吉野よしの琵琶びわ所望しょもうした。彼女かのじょだんじる一曲いっきょくいて、それをしおに、今夜こんや散会さんかいとしようではないかと提議ていぎする。
 人々ひとびとが、
「それこそ、是非ぜひに」
 ともとめると、吉野よしのわるびれぬていで、すぐ琵琶びわかかえた。それが、げいのあるをほこるというふうでもないし、またげいがありながらひどく謙譲けんじょうぶるといったような嫌味いやみでもなかった。いかにも素直すなおなのである。
 はなれて、つぎ仄暗ほのぐらたたみなかほどに、彼女かのじょは、琵琶びわいてすわった。炉辺ろばた人々ひとびとは、こころをすまして、彼女かのじょ平家へいけ一節ひとふしに、沈黙ちんもくしていた。
 ほのおおとろえて、くらくなりかけても、まきをくべすことをだれ皆忘みなわすれてれていた。四絃しげんのこまやかな音階おんかいとつとして、急調きゅうちょうになり破調はちょうかわってくるかとおもうと、えかけていたもにわかにほのおげて、人々ひとびとこころとおくからちかくへびもどした。
 きょくおわると、吉野よしのは、
「ふつつかなわざを」
 と、微笑びしょうしながら、琵琶びわいて、もとせきへもどってた。
 それをしおに、みんなって、かえりかけた。武蔵むさしはもちろん、空虚くうきょからすくわれたように、ほっとしたかおつきで、だれよりもさきに、土間どまりていた。
 吉野よしのは、かれのぞいた以外いがいきゃくへはみな、いちいちかえりの挨拶あいさつわしたが、武蔵むさしにだけは、なにもいわなかった。
 そして、ほか人々ひとびといて、武蔵むさし一緒いっしょにそこからもどろうとすると、吉野よしのは、かれたもとをそっととらえて、
武蔵むさしさま、貴方あなたは、ここへおとまりなさいませ。なんとのう、今夜こんやはおかえもうしとうございませぬ」
 とささやいた。