204・宮本武蔵「風の巻」「今様六歌仙(3)(4)」


朗読「204風の巻46.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 01秒

 かおじゅうを笑靨えくぼにして、近衛このえ信尹のぶただはそのうすを、吉野太夫よしのたゆうかおけ、
「あのこえは、紹由しょうゆうだの」
 と、いった。
 吉野よしの紅梅こうばいよりもくちびるがおかしさをみこらえながら、
「あれ、ここへおあそばしたら、どうしたらようございましょう」
 こまったような眼元めもとをする。
 烏丸光広からすまるみつひろは、
つな」
 と、吉野よしのすそおさえて、つぎ間越まごしに、廊下ろうかさかいへ、
沢庵坊たくあんぼう沢庵坊たくあんぼう、そんなところなにをしておらるるか。さむいぞ、そこをめてるならろ、はいるならはいれ」
 と、わざといいはなってみる。
 するとその沢庵たくあんが、
「まあ、はいれ」
 と障子しょうじそとから紹由老人しょうゆうろうじんっぱりみ、光広みつひろ信尹のぶただまえて、ぺたりとすわった。
「よう、これは、おもいがけぬおれではあるぞ。いよいよ、おもしろい」
 灰屋紹由はいやしょうゆうは、こういうと、さすがにいくらっていても、すこしもくずれないうすひざかどをそのままずいとすすめて、すぐ信尹のぶただまえをさしし、
「――おながれを」
 と、辞儀じぎした。
 信尹のぶただはにやにや、
ふなばしのおきな、いつも元気げんきでよいのう」
「かんがんさまのおれが、おやかたとはつゆだにらず……」
 と、さかずきかえからもうこの古武士ふるつわものは、わざといを誇張こちょうして酩酊めいていした太郎冠者たろうかじゃのようにほそ皺首しわくびりうごかした。
「……ゆ、ゆるされいおやかた。へ、平常へいじょうの、ご無沙汰ぶさたはご無沙汰ぶさたったときったとき、なんの……関白かんぱくでおざろうと、参議さんぎでござろうと……ハハハハ、のう沢庵坊たくあんぼう
 と、またそばの坊主頭ぼうずあたまわきへかかえみ、信尹のぶただ光広みつひろかおした。
「――なかに、どくなものは、こ、このお公卿くげという人達ひとたちじゃ。関白かんぱくの、左大臣さだいじんのと、よいもらうが、じつはくれぬ。まだまだ町人ちょうにんはるよ。……のう坊主ぼうず、そうおもわんかい」
 沢庵たくあんも、この酔老人すいろうじんには、すこし辟易へきえきのていで、
おもう、おもう」
 と、かれうでなかからやっとくびはずして、自分じぶんものにすると、
「これ、御坊ごぼうからは、まだいただいておらぬが」
 とさかずきをせがむ。
 そしてそのさかずきかおせるようにかたむけて、また――
「なあ坊主ぼうず、おぬしなどはずるやつじゃぞ。――いまなかずる人間にんげん坊主ぼうずかしこもの町人ちょうにんつよもの武家ぶけ、おろかしきもの堂上方どうじょうがた。……アハハハ、そじゃないか」
「そじゃ、そじゃ」
きなこともよう出来できず、さりとて政事まつりごとからは戸閉とじめをい、せめてうたでもむか、しょでもくか。そこよりほかちからがないなどということが……アハハハハ、のう坊主ぼうず、あろかいな」
 んでさわぐことなら光広みつひろけないし、雅談がだんさけりょうなら信尹のぶただもおくれをっていまいが、こういきなりまくてられたので、顔負かおまけしたというか、さすがの二人ふたりも、このほそッこい闖入者ちんにゅうしゃのために、すっかり座興ざきょうさらわれてしまったかたち沈黙ちんもくしていた。
 そのって紹由しょうゆうは、
太夫たゆう。……太夫たゆうはなんとおぼさるるな。たとえば、堂上方どうじょうがたさるか、それとも町人ちょうにんさるか」
「ホ、ホ、ホ。まあふなばしさまが……」
わらことでない、真面目まじめ女子おなごむねをたたいてみるのじゃ。ウウムそうか、いやめた、やはり太夫たゆう町人ちょうにんがよいというか。――さらばわしの部屋へやい、さあ太夫たゆう紹由しょうゆうもろうてく」
 吉野太夫よしのたゆう自分じぶんむねおさめて、この古武者ふるつわものからぬかおしてちかけた。

 光広みつひろはおどろいて、さかずきをこぼしながらしたき、
たわむれもほどこそあれ」
 と、紹由しょうゆうをもぎはなして、吉野太夫よしのたゆう自分じぶんのそばへかかせた。
「なぜ、なぜ?」
 紹由しょうゆうは、躍起やっきとなって、
「むりにれてくのではのうて、太夫たゆうが、たそうなかおしているかられてくのじゃが。のう太夫たゆう
 あいだはさまった吉野太夫よしのたゆうは、ただわらっているほかなかった。光広みつひろ紹由しょうゆうのふたりに左右さゆうられて、
「まあ、なんとしようぞ」
 と、こまったかおをしていた。
 ほん意地いじでも鞘当さやあてでもないが、ほんにも躍起やっきにもなってこまものこまらせるのがあそびである。光広みつひろもなかなかかないし、紹由しょうゆうけっして退かない。そして吉野よしの両方りょうほう義理ぎりはさんで、
「さあ太夫たゆう、どちらの座敷ざしきつとめるか、この伊達引たてひきは、太夫たゆう胸次第むねしだい太夫たゆうがなびきたいほうなびくがよい」
 といよいよ、彼女かのじょこまるような破目はめして、いじめにかかる。
「これはおもしろい」
 と沢庵たくあんは、ことおさまりをながめていた。いやながめているばかりでなく、
太夫たゆう、どっちへくのだ、どっちへくのだ」
 とかれまでが、そばから気勢きせいをケシかけて、このおさまりをさかなにしてんでいた。
 ただ温厚おんこう近衛このえ信尹のぶただだけが、さすがにお人柄ひとがらせて、
「さてさて、意地いじわるきゃくどもよな。それでは吉野よしのもいずれへともいえまいが、そう無理むりをいわずに、みななかよく一座いちざしてはどうじゃの」
 と、たすぶねし、
「そういえば、あちらの座敷ざしきには、光悦こうえつがただ一人ひとりはなしになっているというではないか。だれぞ、光悦こうえつをここへんでまいれ」
 と、ほかのおんなたちへいって、この場合ばあいまぎらせてしまおうとした。
 紹由しょうゆうは、吉野よしののそばへすわんでしまったまま、
「いやいや、びにくにはおよばない。わしが唯今ただいま吉野よしのれてあちらへく」
 ってめると、
「なんのなんの」
 と、光広みつひろもまた、吉野よしのをかかえてはなそうとしないのである。
小癪こしゃく公達きんだちめが」
 と紹由しょうゆうひらなおって、いに耀かがやいているさかずききつけて、光広みつひろへいった。
「ではいずれが、はな吉野よしのへわけいるか。このじょまえで、酒戦しゅせんないたそう」
酒戦しゅせんとな。ことも可笑おかし」
 光広みつひろはべつのおおきなさかずき高坏たかつきせて、ふたりのあいだき、
実盛さねもりどの、白髪しらがめてござったか」
「なんのさ、骨細ほねぼそ公卿くげどのを相手あいてにするに。――いざまいろう。勝負勝負しょうぶしょうぶ
「なんでまいるか。ただこもごもむだけでは、きょうもない」
にらめッこ」
「やくたいもない」
「では貝合かいあわせ」
「あれは、むさじじ相手あいてにする遊戯あそびではない」
にくいことを。しからば、じゃんけん!」
「よろしかろう。さあ」
沢庵坊たくあんぼう行司行司ぎょうじぎょうじ
心得こころえた」
 ふたりは真顔まがおになって、けんたたかわせた。一勝一敗いっしょういっぱいのつくたびに、どっちかが、さかずきをのみし、その口惜くやしがりようをて、みんながわらくずれるのだった。
 吉野太夫よしのたゆうはそのあいだに、おともなくせきって、まつくらいすそ楚々そそき、ゆき廊下ろうかおくふかく姿すがたしてしまった。