203・宮本武蔵「風の巻」「今様六歌仙(1)(2)」


朗読「203風の巻45.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 13秒

今様六歌仙いまようろっかせん

「こちらのふみのおかえしに、白紙はくしなどこされて、なんとも小憎こにく一座いちざではある。このままだまってんでいては、いよいよ、あの公達輩きんだちばらをよいにさせてくようなもの。このうえは、わしがって直談合じかだんごうかけ、意地いじでも吉野太夫よしのたゆうをこちらへもうしうけてねばならぬ」
 あそびに年齢としはないものだそうであるが、うときょうじょうじたまま、とどまりのない灰屋はいや紹由しょうゆうであった。こういいすとどうしても、自分じぶんおもどおりにならないうちは、そのひたぶるなあそびのわがままがおさまらないとみえる。
案内あんないしやい」
 と、墨菊太夫すみぎくたゆうかたにつかまってがり、そばから光悦こうえつが、
「まあ、まあ」
 と、めても、
「いいや、わしがって吉野よしのれてまいる――旗本はたもとども、あの方々かたがたせきへわしを案内あんないしやれ、おん大将たいしょう御出馬ごしゅつばそうろうぞ、われとおもわんものは、け、け」
 あぶなかしくってはらはらさせられるが、っておいてもけっしてあぶなくないのがっぱらいである。しかしそれを、あぶなくないからといって、ているなかでは面白おもしろくない。やはりあぶながったり、あぶなそうにせたりするうちが、なか至妙しみょうでもあるし、遊戯ゆうぎ世界せかい滋味じみでもある。
 わけてもまた、紹由老人しょうゆうろうじんのように、いもあまいもくし、あそびのうらおもて心得こころえぬいているきゃくになると、おなっぱらいでも、あつかいいいようでおおいにあつかにくい。あそこころと、あそばせるほうこころとが蹌々よろよろあるいているあいだも、不即不離ふそくふり、つまりあうんの呼吸こきゅうというものである。
ふなばしさま、おあぶのうございまする」
 とおんなたちがかばえば、
「なんじゃ、馬鹿ばかにするな。えば、あしが、ひょろけるが、こころは、ひょろけてはいないぞ」
 と、むずかるし、
「では、おひとりでおあるあそばせ」
 とはなせば、廊下ろうかへ、ぺたとすわってしまって、
「――すこし草臥くたびれてそうろう。わしをぶってくれい」
 と、いう。
 いくらひろいにしたところで、おないえのべつな部屋へやくのに、廊下続ろうかつづきでこうさんざん手間てまどらせて道中どうちゅうしているのも、紹由しょうゆうにいわせれば、これもあそびのひとつというにちがいない。
 なんでもらないかおをしながら、なんでもっているこの酔客様すいきゃくさまは、途中とちゅうのようになって、おんなたちを手古てこずらせていたが、その寒巌枯骨かんがんここつともいえるようなほそッこい老躯ろうくなかには、なかなかかない気性きしょうひそんでいるらしく、さっき白紙はくし返書へんしょこしたり、あちらの別室べっしつで、吉野太夫よしのたゆう独占どくせんして、得意とくいげにあそんでいるらしい烏丸光広卿からすまるみつひろきょうなどの一座いちざたいして、
あおくさい公達輩きんだちばらが、なんの猪口才ちょこざいな――)
 と、常々つねづね剛毅ごうきが、さけじって、むねでむらむらしていることも事実じじつであった。
 公卿くげといえば、武家ぶけはばかる厄介者やっかいものであったが、いま京都きょうと大町人だいちょうにんは、そんなものすこしも厄介やっかいにはおもっていない。打割うちわったところをいえば、おひといどうにでもなる――ただいつも位階いかいばかりたかくてかねのない階級かいきゅうというだけのものである。したがって、かねをもって適当てきとう満足まんぞくあたえ、風雅ふうがをもって上品じょうひんまじわり、位階いかいみとめてほこりをたせておけば、それでかれらは自分じぶんたちの指人形ゆびにんぎょうのようにうごくことを――このふなばしさま十分じゅうぶんりつくしている。
「どこじゃ、かんがんさまあそんでござるお座敷ざしきは。……ここか、こちらか」
 おくまったところの、はなやかなしている障子しょうじでまわして、紹由しょうゆうがそこをけようとすると、出合頭であいがしらに、
「やあ、だれぞとおもえば」
 こんな場所ばしょ似合にあわないそう沢庵たくあんが、うちからそこをけて、かおした。

「あっ、ホウ?」
 と、をまろくし、かつ奇遇きぐうよよこって、紹由しょうゆうほうから、
坊主ぼうず、おまえもいたのか」
 沢庵たくあんくびすじへきつくと、沢庵たくあんくちまねして、
「おやじ、おぬしもていたのか」
 と紹由しょうゆうくびかかえこみ、出合頭であいがしらっぱらい同士どうしが、恋人こいびとのようにきたなほおほおとをこすりい、
達者たっしゃか」
達者たっしゃじゃ」
いたかった」
「うれしい坊主ぼうずめ」
 しまいには、ぽかぽかあたまをたたいたり、一方いっぽうがまた一方いっぽうはなあたましたり、なにをやっているのか、酒飲さけのみの気持きもちわからない。
 いまそこにいた沢庵たくあんが、つぎ部屋へやからったとおもうと、廊下ろうかのあたりで、しきりと障子しょうじががたがたり、恋猫こいねこ恋猫こいねことがているような鼻声はなごえきこえるので、烏丸光広からすまるみつひろは、むかっている近衛このえ信尹のぶただかおあわせ、
「ははあん、あんごとく、うるさいのが、やってたらしい」
 そっと、苦笑くしょうをもらした。
 光広みつひろはまだわかい、るところ三十さんじゅうぐらいな貴公子きこうしだった。はだかにしても堂上人どうじょうびとらしく白皙はくせき美男びなんであるから、実際じっさいとしはもっとよけいかもわからない。まゆく、くちびるあかく、才気煥発さいきかんぱつなところがひとみている。
武家ぶけばかりが人間にんげんのようななかに、なんで麿まろ公卿くげましめたか)
 というのがこのひと口癖くちぐせであって、やさしい容貌ようぼうのうちにはげしい気性きしょうぞうし、武家政治ぶけせいじ時流じりゅうに、鬱勃うつぼつたる不平ふへいいだいているらしかった。
頭脳あたまがよくてわか公卿くげで、いま世態せたいなやみをたぬやつは、馬鹿ばかである)
 これも光広みつひろが、いってはばからない持論じろんなのだ。それを換言かんげんするとつまり、
武家ぶけ武門ぶもん一門いちもん世職せいしょくとするものだが、それが、政治せいじけんほこかざし、右文左武うぶんさぶ融和ゆうわもつりあいもこのごろではあったものではない。公卿くげ節句せっくのかざりもの人形にんぎょうでもむことだけをまかされて、げてかぶれぬかんむりせられているのだ。――そんなところへ自分じぶんのような人間にんげんませたのがかみあやまちというもの、われ人臣じんしんたらんとすれば、いまなかでは、なやむか、むかふたつしかない。――かず、美人びじんひざまくらに、つきはなんでのうか)
 というような意味いみであるらしかった。
 蔵人頭くろうどのかみから右大弁うだいべんのぼり、いま参議さんぎという現職げんしょくにある朝臣あそんであるが、そこでこの貴公子きこうしはさかんに六条柳町ろくじょうやなぎまちかよってくる。この世界せかいにいるときだけはらつのをわすれるというのである。
 そのわかくてなや仲間なかまには、飛鳥井あすかい雅賢がけんだの、徳大寺とくだいじ実久さねひさだの、花山院忠長かさんのいんただながだのというもっと溌剌はつらつとしたものもあって、武家ぶけとちがって、めいめい貧乏びんぼうのくせにどうかね工面くめんをしてくるのか、いつも扇屋おうぎやては、
(ここへると、人間にんげんらしいこころがしてくるぞ)
 とばかりんでさわぐことをれいとしていたが、そのかおぶれとすこしちがって、今夜こんやかれのおれは、まことにおとなしやかな人品じんぴんだった。
 そのおれである近衛このえ信尹のぶただというのは、光広みつひろよりはとしとおほどはうえであろう。どこか重々おもおもしい風貌ふうぼうがあり、まゆひいでているが、ゆたかに浅黒あさぐろいそのほおうすのあるのが世間並せけんなみにいえばきずである。
 けれどそのうすなら、鎌倉一かまくらいちおとこ源実朝みなもとのさねともにもあったということだからこのひとだけの瑕瑾かきんではない。ことにこのひとが、さきの関白かんぱくうじ長者ちょうじゃといういかめしい身分みぶんなどをどこにもせず、ただ余技よぎ書道しょどうにおいてきこえている近衛三藐院このえさんみゃくいんとして、吉野太夫よしのたゆうそばでにやにやしているところはかえってなかなかゆかしいうすであった。