196・宮本武蔵「風の巻」「春の雪(5)(6)」


朗読「196風の巻38.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 30秒

 その、りんという禿かむろは、まだとお十一じゅういちぐらいだったが、もうひとにつく天麗てんれいしつっていて、やがての二代目吉野にだいめよしのせられている童女こどもだった。
「よいか、わかったか」
 紹由しょうゆうのいうことばを、わかったようなわからないようなかおをしていていたが、
「はい」
 素直すなおに、つぶらなでうなずいて、廊下ろうかった。
 うしろの障子しょうじめて、廊下ろうかつと、りんはすぐおおきなこえはずませて、をたたいた。
采女うねめさん、珠水たまみさん、糸之助いとのすけさん。――ちょっと、ちょっと!」
 部屋へやなか禿かむろはみな、
「なアに?」
 ――あかるい障子明しょうじあかりをうしろにして、そこにならぶと、禿かむろたちは、りんといっしょに皆手みなてちたたいて、
「あら、あら」
「あら!」
「まあ!」
 あまりに部屋へやそとで、歓呼かんこ足踏あしぶみがるので、部屋へやなかさけをのんでいる大人おとなたちも、なにごとかと羨望せんぼう気持きもちをおこして、
「なにを、はしゃいでいるのじゃ――けてみなさい」
 紹由しょうゆうのことばに、
「おけいたしますか」
 おんなたちが、そこの障子しょうじ左右さゆうへひろくはなった。
「――あ、ゆき
 とみならなかったようにつぶやいた。
さむいはず……」
 と光悦こうえつは、もうしろえる自分じぶんいきさかずきふくませ、武蔵むさしも、
「オオ」
 と、をそこへうつした。
 ひさしからそとのふかいやみを、はるにはめずらしい牡丹雪ぼたんゆきが、ぼとぼととおとててりしきっている。その黒繻子くろじゅすのようなやみひかゆきしまなかに、禿かむろたちの姿すがたよっつ、おびのうしろをせてならんでいた。
「お退きなさい」
 太夫たゆうしかっても、
「うれしい」
 と、禿かむろたちはおきゃくなどをわすれて、不意ふいおとずれた恋人こいびとのように、沁々しみじみゆき見惚みとれていた。
「つもるかしら?」
「つもるでしょう」
「あしたのあさは、どんなかしら?」
「ひがしやまが、しろになって――」
東寺とうじは」
東寺とうじとうだって」
金閣寺きんかくじは」
金閣寺きんかくじも」
からすは」
からすも――」
うそばかり!」
 たもとつまねをすると、ひとりの禿かむろは、廊下ろうかからしたころげた。
 いつもなら、わっとして度々たびたびある禿同士かむろどうし喧嘩けんかはじまったであろうに、おもいがけなく、りしきるゆきびたので、ちた禿かむろは、偶然ぐうぜんよろこびでもひろったように、きあがると、もっとゆきにあたるそとって、

大雪おおゆき小雪こゆき
法然ほうねんさんはえぬ
なにしてござろ
きょうんでおざった
雪食ゆきたべておざった

 突然とつぜん、こう大声おおごえうたいだして、くちなかゆきいこむようにらしながら、ふたつのたもとで、はじめた。
 その禿かむろが、りんだった。
 怪我けがでもしたのではないかとおどろいてちかけた部屋へやなか人々ひとびとも、その勇壮活溌ゆうそうかっぱつまいて、
「もういい、もういい」
がれがれ」
 わらいながらいたわった。
 そのかわりに、りんはもう、紹由しょうゆうにいいつけられて、吉野太夫よしのたゆうれてくる使つかいをわすれていた。あしがよごれたので、下部しもべおんなにかかえられて、あかぼうみたいに、どこかへってかれてしまった。

 かんじんなお使者ししゃがそんなことになってしまったので、ふなばしさまのご機嫌きげんをそんじてはと、だれかが気転きてんをきかして、吉野太夫よしのたゆう都合つごうをうかがいにったとみえて、
「ご返辞へんじけてまいりました」
 と、そのおんなが、紹由しょうゆうのほうへささやいた。
 紹由しょうゆうはもうわすれていて、
「ご返辞へんじ?」
 と、いぶかる。
「はい、吉野太夫様よしのたゆうさまの」
「ああそうか、るか」
「おしになることは、どんなことをしてもおしになるとっしゃいましたが……」
「……ましたが……。なんじゃ」
「どうしても、いますぐとは、ただいまあそばしているお客様きゃくさまがご承知しょうちしてくださいませぬ」
「――不見識ふけんしきな」
 と紹由しょうゆうは、機嫌きげんがわるくなった。
「ほかの太夫たゆうならば、そういう挨拶あいさつとおるが、扇屋おうぎや吉野太夫よしのたゆうともある傾城けいせいが、買手かいてどものわがままにまかせて、ってられぬというのはどうしたものじゃ、吉野よしのもいよいよかねわれるようになったかな」
「いえ、そうではござりませぬが、こよいのお客様きゃくさまは、わけても、片意地かたいじで、太夫様たゆうさまぬとっしゃれば、よけいにはなしてくれないのでござります」
「すべて、買手かいてどもの心理しんりは、みなそうしたものじゃろが。――いったいその意地いじのわるいおきゃくとはだれじゃ」
寒巌かんがんさまでございまする」
寒巌かんがんさま?」
 苦笑くしょうして、紹由しょうゆう光悦こうえつのほうをると、光悦こうえつ苦笑くしょうして、
「かんがんさまは、おひとりでおえか」
「いいえ、あの」
「いつものおれと? ……」
「ええ」
 紹由しょうゆうは、ひざをたたいて、
「いや、おもしろうなったぞ。ゆきはよし、さけはよし、これで吉野太夫よしのたゆうえればもうぶんのないところ。光悦こうえつどの、使つかいをやんなされ。――これ、これおんな、そこの硯筥すずりばこ硯筥すずりばこ
 と、せて、光悦こうえつまえへ、懐紙かいしとそれをきつけた。
なにきますか」
うたでもよいし……ふみでもよいが……うたがよいな、さきがなんせい当代とうだい歌人かじんじゃから」
「こまりましたな。……つまり吉野太夫よしのたゆうをこちらへくれといううたでしょう」
「そうじゃ。そのとおり」
名歌めいかでなければさきをうごかすことはできません。名歌めいかなどがそう即吟そくぎんでできるものではございません。あなたさまひとつ、連歌れんがあそばして」
げたの。……よろしい面倒めんどうじゃから、こういてやろう」
 紹由しょうゆうふでって――

わがいほ
うつせ吉野よしの
ひともと

 それをると、光悦こうえつ吟興ぎんきょうも、らくになったとみえて、
「じゃあわたしが、しもえてやりましょう」

はな高嶺たかね
くもさむからめ

 紹由しょうゆうはのぞきんで、すっかりうれしがってしまい――
「よしよし。はな高嶺たかねくもさむからめ……か。これはいい、くも上人うえびとも、であろう」
 と、むすぶうにして、墨菊太夫すみぎくたゆうへわたした。そしてしかつめらしく、
禿かむろや、ほかのおんなどもでは、なんとのう権威けんいがない。太夫たゆう、ご足労そくろうじゃが、かんがんさまのところまで使者ししゃっておくれぬか」
 といった。
 かんがんさまとは、さきの大納言だいなごん子烏丸参議光広こからすまるさんぎみつひろのしのび。いつものおれというのは、おおかた徳大寺とくだいじ実久さねひさ花山院忠長かざんいんただなが大炊御門おおいみかど頼国よりくに飛鳥井雅賢あすかいまさかたなどというようなところのかおぶれであろう。