195・宮本武蔵「風の巻」「春の雪(3)(4)」


朗読「195風の巻37.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 33秒

 つぎすみには、ふたりの禿かむろなかよくのそばにならんで、
「――これ、なあに?」
「――とり
「じゃあ、これは」
「うさぎ」
「――こんどは?」
「……かさひと
 ゆびゆびみあわせて、屏風びょうぶ影絵かげえうつしながら、うしろきにあそんでいた。
 はもちろん茶式ちゃしきのもの、釜口かまぐちからのぼ湯気ゆげは、部屋へやあたためるに役立やくだっている。いつのまにかとなりにはひとえ、さけのかおりや人肌ひとはだも、そとさむさをわすれさせていた。
 いやそれよりは、そこにいるひとたちの血管けっかんに、ほどよくさけがめぐってたのが、この部屋へやあたたかくなったとかんじられてきたなによりの原因げんいんであろう。
「わしはなあ、こういうと、息子むすこどもへ意見いけんができぬことになるが、なかに、さけほどよいものはないとおもうておる。さけ――はよくないものと、極道ごくどう毒水どくみずみたいにいうのは、あれやさけのせいじゃあるまいて。さけはよいものじゃが、がわるいのじゃ。なんでも、ひとのせいにするのが人間にんげんのくせでな、さけこそよい迷惑めいわくよ」
 このなかで、だれこえよりおおきいのが、このなかだれよりもいちばんせている灰屋紹由はいやしょうゆうこえだった。
 武蔵むさしが、いちこんんだだけであと辞退じたいしているところから、紹由老人しょうゆうろうじんの――これは度々発表たびたびはっぴょうしている持論じろんらしい酒談義さけだんぎがはじまったのである。
 いついても、それがいっこう「新説しんせつ」でないかえしである証拠しょうこには、せきしている唐琴からこと太夫だゆう墨菊太夫すみぎくたゆう小菩薩こぼさつ太夫たゆうも、またほかの酌人しゃくにんや、物運ものはこびするおんなたちまでが、
ふなばしさまが、またはじまった)
 といわないばかりに、皆同みなおな表情ひょうじょうのものをくちびるって、くすぐッたそうにいているかおつきをてもわかるのである。
 だが、ふなばしさま紹由しょうゆうは、そんなことにはすこしも頓着とんちゃくなく、
さけがわるいものなら、神様かみさまはおきらいなはずだが、さけ悪魔あくまよりも神様かみさまのほうがおきじゃった。だから、さけほど清浄せいじょうなものはない。神代かみよには、さけつくとき純清じゅんせい処女子おとめごたちの白珠しらたまのようなよねませてさけかもしたという。それほどきよらかなものだった」
「ホホホ、まあ、きたない」
 だれわらうと、
「なにが、きたないか」
「おこめんだりしてつくったおさけが、なんできれいなことがあるものですか」
「ばかをいえ。おまえたちみつぶしたら、それやきたないどころじゃない、だれはありはせぬが、まだ、はるばえのなんのけがれにもそまぬ、処女おとめむのじゃ。はなみつくようにんではつぼめてかもさけ。……ああわしはそのようなさけってみたいがのう」
 と、すでにっているふなばしさまは、そばにいた十三じゅうさん禿かむろくびへいきなりきついて、そのくちびるにくせた自分じぶんほおしつける。
「――きゃアッ、いやあッ」
 禿かむろ悲鳴ひめいをあげてつ。
 すると、ふなばしさまは、にやにやと右側みぎがわてんじて、
「ハハハ、おこるなよ、うちの女房にょうぼう――」
 と、墨菊太夫すみぎくたゆうをとって自分じぶんひざうえかさねてく。それだけならよいが、かおかおをつけて、ひとさかずきを、半分はんぶんずつんだり、しどけなくもたったり、かたわらに人間にんげんはいないようなまねをする。
 光悦こうえつは、時折ときおりさかずきわらいをふくんで、おんなたちとも紹由しょうゆうとも、しずかにたわむれたりはなしたりして同化どうかしているが、ひとり武蔵むさしは、ぽつねんとこの雰囲気ふんいきから遊離ゆうりしていた。べつに自分じぶんだけが、いかめしくなどしているつもりではけっしてないが、こわいのか、おんなたちが第一彼だいいちかれのそばへってなかった。

 光悦こうえついないが、紹由しょうゆうおもしたように時々ときどき
武蔵むさしどの、まないか」
 とすすめ、またしばらくすると、武蔵むさしのまえにつめたくなっているさかずきになってならないように、
「どうじゃ武蔵むさしどの、それをけて、あついのをいっこんゆきましょう」
 と、ませたがる。
 それが、度重たびかさなってくると、だんだん言葉ことばもぞんざいになって、
小菩薩こぼさつ太夫たゆう、その息子むすこひとませてやってくれ。これまぬか息子むすこ
「いただいています」
 と、武蔵むさしは、そんなとき返辞へんじでもするのでなければ、くちをきくおり見出みいだせなかった。
「すこしもさかずきがあかないではないか。はてはて意気地いくじのない」
よわいのです」
よわいのは、剣術けんじゅつじゃろう」
 と、ひどい皮肉ひにくをいう。
 武蔵むさしは、わらって、
「そうかもしれません」
さけをのむと、修行しゅぎょうさまたげになる。さけをのむと、つね修養しゅうようみだれる。さけをのむと、意思いしよわくなる。さけをのむと、立身りっしんがおぼつかない。――などとかんがえてござるなら、おまえさんは、たいしたものになれない」
「そんなことはかんがえておりませぬが、ただひとつ、こまることがあるのです」
「なんじゃな、それは」
ねむくなってしまうことです」
ねむくなったら、ここでも、どこへでも、てしもうたがよいではないか。そんな義理ぎりてるすじは毛頭もうとういらん沙汰さたじゃ」
 といって、
太夫たゆう
 と墨菊太夫すみぎくたゆうへいった。
「この息子むすこむとねむくなるのがこわいというておる。それでもわしはませてしまうから、ねむくなったら、かせてやってくだされよ」
「はい」
 と、太夫たゆうたちはみな笹色ささいろひかくちちいさくしてわらう。
かせてやってくれるか」
「ようござります」
「ところで、介抱役かいほうやくはこのなかだれだな。のう光悦こうえつどの、だれがよいか、武蔵むさしどのに、りそうなのは」
「さあ?」
墨菊太夫すみぎくたゆうは、わが女房にょうぼう――小菩薩太夫こぼさつたゆうは、光悦こうえつどのが苦々にがにがしかろう。唐琴からこと太夫たゆうも……いけないな、ちと、さしあいがわるい」
ふなばしさまいまに、吉野太夫よしのたゆうがおみえなさりましょうが」
「それよ」
 と、すっかりきょうっている紹由しょうゆうは、ひざって、
吉野太夫よしのたゆう、あの太夫たゆうなら、おきゃくにもご不足ふそくはあるまい。……だがその吉野太夫よしのたゆうは、まだえぬではないか。はやく、この息子むすこどのにせてげてほしいなあ」
 すると、墨菊太夫すみぎくたゆうが、
「わたくしたちとちがって、あの太夫様たゆうさまは、それはもう、数多あまたなおかた、はやくとっしゃってもそうまいりませぬ」
「いいや、いいや、わしがているとげれば、どんなおきゃくそでにしてるはずじゃ。だれ使つかい、使つかい」
 のびあがって、紹由しょうゆうつぎのそばにあそんでいる禿かむろつけ、
「りんがおるの」
「おりまする」
「りん、ちょっとおいで、そなたは、吉野太夫よしのたゆうつきの禿かむろであろうが、なぜ太夫たゆうをつれてぬのじゃ。ふなばしさまが、ちわびているというて、吉野よしのをこれへれてておくりゃれ。――つれてきたら褒美ほうびをやるぞよ」