194・宮本武蔵「風の巻」「春の雪(1)(2)」


朗読「194風の巻36.mp3」8 MB、長さ: 約 8分 55秒

はるゆき

「ウウ、さむ
かぜぐってよった」
はながもげそうだの」
「なにかるぞ、今夜こんやは」
「――はるだというのに」
 かごかき同士どうし高声こうせいだった。しろいきをふいてやなぎ馬場ばばへかかっていた。
 みっつの提燈あかりはしきりにれ、しきりに明滅めいめつする。夕方ゆうがた比叡ひえいのうえにえた笠雲かさぐもはもういっぱいに洛内らくないてん黒々くろぐろとひろがって、夜半よなかにはなにへんじるか、おそろしい形相ぎょうそうきざしている夜空よぞらだった。
 ――だがそのかわりに、このひろ馬場ばば彼方むこうえるひとかたまりの地上ちじょううつくしさといったらない。そら星一ほしひとつないばんだけに地上ちじょうがよけいにきらめくのである。ちょうどほたるのかたまりをかぜいでいるように。
武蔵むさしどの」
 と、なかかごのうちからうしろを振顧ふりかえって光悦こうえつがいう――
「あそこです。あれが六条ろくじょう柳町やなぎまちで――このごろ町家まちやえてから、三筋町みすじちょうともんでいますが」
「アア、あれですか」
町中まちなか出離ではなれてから、またこんなひろ馬場ばばだの空地あきちだのをとおって、その彼方かなた忽然こつねんと、あんな聚落しゅうらくあらわれるのもおもしろいでしょう」
意外いがいでした」
遊廓くるわ以前いぜんには、二条にじょうにあったものですが、大内裏だいだいりちこうて、夜半よなかなどには、民歌たみうた俗曲ぞくきょくが、御苑ぎょえんのほとりにつとかすかにみみにさわるというので、所司代しょしだい板倉勝重いたくらかつしげどのが、きゅうにここへ移転いてんさせたものです。――それからまだやっと三年さんねんしかちませんのに、どうです。もうあのとおりなまちになって、なおひろがってこうとしている」
「では、三年前さんねんまえには、まだこのへんは」
「ええ、もうよるなどは、どっちをてもくらで、つくづく戦国せんごくわざわいいがたんじられるばかりであったものです。――けれどいまでは、あたらしい流行りゅうこうみな、あのなかからているし、おおげさにいえば、ひとつの文化ぶんかをさえむところとなっているので……」
 といいかけて、しばらく、みみましてからまた――
「かすかにきこえてたでしょう……遊廓くるわ絃歌げんかが」
「なるほど、きこえます」
「あの音曲おんぎょくなどにしても、あたらしく琉球りゅうきゅうから渡来わたってきた三味線しゃみせん工夫くふうしたり、またその三味線しゃみせん基礎きそにして今様いまよう歌謡かようができてたり、その派生はせいから隆達りゅうたつぶしだの上方唄かみがたうただのがつくられたり、そういったものは、すべてあそこが母胎ぼたいといってよい。あそこでおこったものをあとから一般いっぱん民衆みんしゅうけとるのですから、そういう文化ぶんかのほうでは、一般いっぱんまち遊廓くるわとも、ふかい因果関係いんがかんけいがあるわけですな。だから、遊廓くるわだから、まち隔離かくりしてあるところだからといって、あそこがどんなにきたならしくてもよいということはいえません」
 かごがそのとききゅうみちまがったので、武蔵むさし光悦こうえつはなしも、それなりられてしまった。
 二条にじょう遊廓くるわ柳町やなぎまちとよび、六条ろくじょう遊廓くるわ柳町やなぎまちぶ。やなぎ遊廓くるわとは、いつのころからそうもののようになったものか、その柳並木やなぎなみきつづられた無数むすうが、もう近々ちかぢか武蔵むさしうつってきていた。

 光悦こうえつ灰屋はいや紹由しょうゆうも、ここの青楼うち馴染なじみとみえ、もんやなぎへ、かごりると、
ふなばしさま
水落みずおちさまも」
 と、林屋はやしや与次兵衛よじべえみせでは、したへもかないというむかえよう。
 ふなばしさまというのは、堀川船橋ほりかわふなばし住居すまいがあるところから、紹由しょうゆう遊里名さとな。また水落様みずおちさまというのも、おなじく、光悦こうえつのここだけのあそ名前なまえ
 武蔵むさしだけには、一定いってい住所じゅうしょもないし、したがってかくもない。
 名前なまえ詮索せんさくばかりするようであるが、この林屋与次兵衛はやしやよじべえというのも、楼主ろうぬし表名前おもてなまえであって、遊女屋ゆうじょやとしての暖簾名のれんなは、扇屋おうぎやというのであった。
 扇屋おうぎやといえば、いまこの、六条柳町ろくじょうやなぎまち嬌名きょうめいのたかい初代吉野太夫しょだいよしのたゆうがすぐおもされるし、桔梗屋ききょうやといえば、室君太夫むろぎみだゆうをもってひびいている。
 一流いちりゅうとゆるされる青楼いえは、その二軒にけんかぎっていた。光悦こうえつ紹由しょうゆう武蔵むさし三人さんにんきゃくとなってすわったのは扇屋おうぎやのほうなのである。
(――これは、絢爛けんらんな、城郭じょうかくのようなものだな)
 武蔵むさしは、なるべくをうごかすまいとしても、つい、格天井ごうてんじょうや、橋架きょうか欄干らんかんや、庭面にわもさまや、欄間らんま彫刻ほりなど、あるくたびに、うばわれてしまうがする。
「おや、どこへかれてしもうたのか」
 杉戸すぎと見恍みとれているうちに、光悦こうえつ紹由しょうゆう見失みうしなってしまい、武蔵むさし廊下ろうかまよっていると、
「こちらじゃ」
 と、光悦こうえつまねいている。
 遠州風えんしゅうふう石組いしぐみに、白砂しらすなきならして、赤壁せきへきけいでもした庭造にわづくのこころであろうか、北苑ほくえんにでもありそうなそこのにわいて、おおきな二間にけんぎんぶすまがれている。
えるわい」
 紹由しょうゆうは、猫背ねこぜになって、ちょこなんと、もうそのひろ部屋へやの、ひとつの敷物しきものっかっている。
 光悦こうえつも、さきすわり、
「さあ、武蔵むさしどの」
 と、なかいている敷物しきものをすすめるのだった。
「いや、それは――」
 とひかえて、武蔵むさし下座しもざいたまま、かたくなっていた。二人ふたりがすすめる座布団ざぶとんは、とこ正面しょうめんである。この物々ものものしい建築けんちくにらめッこして、そんな上座かみざへ、殿様とのさまみたいにすわるのは、遠慮えんりょというよりも、武蔵むさしはどうもいやだった。しかし相手あいては、遠慮えんりょる。
「でも、こよいは、あなたがおきゃくじゃから……」
 紹由しょうゆうはすすめて、
「わしと、光悦こうえつどのとは、いつもいつも、まあ、こんなあんばいに、きもせで、かれもせで、をつぶしている古友達ふるともだち。あなたとは初対面しょたいめん、まず、まず」
 と、あつかってしまおうとする。
 武蔵むさしは、して、
「いや、それでは恐縮きょうしゅく。わたくしのようなわかものが」
 すると、紹由しょうゆうが、
遊廓くるわとしをいうやつがあるか」
 と、突然とつぜんくだけた調子ちょうしでいって、ワハハハハと猫背ねこぜかたをゆすぶってわらった。
 もうちゃ菓子かしったおんなたちがうしろへていた。せきのきまるのをっているのである。光悦こうえつは、武蔵むさし気持きもちすくうつもりで、
「では、わしが」
 ととこなおった。
 武蔵むさしは、光悦こうえつのあとへすわって、幾分いくぶんかいるところもちがしたが、なにかしら、大事だいじ時間じかんを、つまらなくつぶしているようなもしていた。