193・宮本武蔵「風の巻」「町人(7)(8)(9)」


朗読「193風の巻35.mp3」13 MB、長さ: 約 13分 47秒

 まだ夕空ゆうぞらあかるかった。みずにそってあるくのはなんとなくこころびるものである。ひとせわしがる黄昏たそがれを、ようもなげなかおをしてあるくのはなおさらいい。
灰屋はいや紹由しょうゆうどの――お名前なまえはよくみみにするおかたのようですが」
 武蔵むさしがいう。
 ぶらりぶらりあしをあわせながら、それにこたえて、光悦こうえつがいう。
いているでしょうとも、連歌れんがのほうでは紹巴しょうはもんで、もう一家いっかしているひとですから」
「ハハア、連歌師れんがしですか」
「いえ、紹巴しょうは貞徳ていとくのように、連歌れんが生活たつきてているひとではありません。――またわたしおなじようないえがらで、この京都きょうとふる町人ちょうにんです」
灰屋はいやというせいは」
屋号やごうですよ」
なにみせなので」
はいるのです」
はいを? ――なんはいをですか」
紺屋こうや紺染こんぞめに使つかはいなので、紺灰こんぱいといっております。諸国しょこく染座そめざおろすので、なかなかおおきな商売しょうばいです」
「アアなるほど、あの灰汁水あくみずつく原料もとですな」
「それは莫大ばくだい金額きんがくにのぼる取引とりひきなので、室町むろまち初期はじめごろには、御所ごしょ直轄ちょっかつで、紺灰座奉行こんぱいざぶぎょうをやっておりましたが、中期なかごろから民営みんえいになりまして、紺灰座問屋こんぱいざどんやというのが、この京都きょうと三軒さんげんとかゆるされていたものだそうです。その一軒いっけんが、灰屋紹由はいやたしょうゆう先祖せんぞでした。――けれどいま紹由殿しょうゆうどのだいになってからは、もうその家業かぎょうはやめて、この堀川ほりかわ余生よせいおだやかにおくっているわけですが」
 と、光悦こうえつはそこで彼方あなたゆびさして――
えましょう、此処ここから。あのるからに閑雅かんがもんのある一構ひとかまえが、灰屋はいやどののお住居すまいです」
「…………」
 武蔵むさしはうなずきながらふと、ひだりたもとさきを、たもとそとからにぎっていた。
(……はてな?)
 と光悦こうえつはなしきながらかんがえているのであった。
 ――なにはいっているのだろうか、みぎたもと夕風ゆうかぜがふいてもかるくうごくが、ひだりたもとがすこしおもい。
 懐紙かいしはふところにある。たばこれはたないし――ほかにべつになにれてあるおぼえはないが――とそっとおとして、袖口そでぐちしてみると、よくなめしてある菖蒲色しょうぶいろ革紐かわひもが、いつでもけるように、ちょうむすびにたばねてれてあったのである。
(……おお?)
 光悦こうえつはは妙秀尼みょうしゅうにれておいてくれたものにちがいない。これを革襷かわだすきにと。
「…………」
 たもとなか革襷かわだすきをにぎりながら、武蔵むさし振向ふりむいて、おもわずほほへのぼってくる微笑びしょううしろのものせた。
 ――そのまえからとくがついていたことではあるが、本阿弥ほんあみつじるとすぐ、自分じぶんうしろから一定いってい距離きょりをおいて、のそのそとあと尾行つけ三人連さんにんづれがあったのである。
 それが、武蔵むさし微笑びしょうると、はっとしたように一致いっちしてあしめ、なにかかおかおあわせてささやいていたが、やがて遠方えんぽうからがまえをつくって、にわかに大股おおまたんでこっちへちかづいて様子ようす――
 光悦こうえつはそのときから、灰屋はいやもんまえって、そこの鳴子なるこおとずれをつうじ、ほうきって下僕しもべ案内あんないされて、前栽せんざいなかはいっていた。
 ふと、うしろにえない武蔵むさしがつくと、光悦こうえつはまたもどってて、
武蔵むさしどの、さあ、おはいりください。遠慮えんりょはいらぬいえですから」
 と、何事なにごともないつもりでもんそとへいった。

 いかつい大太刀おおたちつかがしらを反胸そりむね突出つきだして、ひじっている三名さんめいさむらい一人ひとり武蔵むさしかこむようにならんで、傲岸ごうがんなにかいいわたしている様子ようすを――光悦こうえつもんそと見出みいだした。
先刻せんこくのだな)
 光悦こうえつはすぐおもあたった。
 相手あいて三名さんめいへ、なにかおだやかにこたえておいてから、武蔵むさし光悦こうえつのほうをかえりみていった。
「すぐあとからまいりますゆえ――どうぞおさきに」
 光悦こうえつは、しずかなひとみで、かれひとみむように、あごうちいて、
「では、おくっておりますから、御用ごようがおすみになりましたらば」
 光悦こうえつもんのうちへかくれると、っていたように、三名さんめいなか一人ひとりが、くちひらいて、
かくれしたの、いやかくれはせんのと、もうここでの論議ろんぎそう。そんな用事ようじまいったのではない。――それがしはいまもいったが、吉岡門下よしおかもんか身内みうち十剣じゅっけん一人ひとり太田黒兵助おおたぐろひょうすけというものだが」
 たもとはらって内懐中うちぶところ両手りょうてっこみ、一通いっつう書付かきつけすと、それを武蔵むさしさきへきつけた。
御舎弟伝七郎おしゃていでんしちろうどのから其許そこもとへの手翰しゅかん、たしかにわたもうすぞ。――ここで一読いちどくいたして、すぐ返辞へんじうけたまわりたい」
「ははあ……」
 無造作むぞうさ武蔵むさしひらいてくだしてからすぐ、
承知しょうちした」
 と、一言ひとことこたえた。
 だがまだ、太田黒兵助おおたぐろひょうすけは、猜疑さいぎぶかいひかりさないで、
確乎しかと?」
 ねんして、武蔵むさしかおいろをただすと、武蔵むさしはさらにうなずいて、
確乎しか承知しょうち
 やっと三名さんめい合点がてんしたらしく、
異約いやくあるにおいては、天下てんかむかって、嘲笑わらもうすぞ」
「…………」
 武蔵むさしだまって、三名さんめいこわばっているからだつきにまなこあそばせていた。「笑而不答わらってこたえず」でましているのであった。
 その態度たいどがまた太田黒兵助おおたぐろひょうすけにはあやしまれてきたものか、
「よろしいか、武蔵むさし
 と、しつこく――
時刻じこくとても、これからのないことだぞ。場所ばしょ心得こころえたか。支度したくはよいか」
 と、くぎつ。
 くどいというかおつきはしなかったが、武蔵むさしのことばはいたってみじかい。
「よい」
 ぽつりといって、
「――では後刻ごこく
 灰屋はいや門内もんないはいりかけると、兵助ひょうすけはまたいかけにいいびせた。
武蔵むさし、それまでは、この灰屋はいやにいるのだな」
「いや、よいには、六条ろくじょう遊廓くるわ案内あんないしてくださるそうな。いずれかにいる」
六条ろくじょう? よし。――六条ろくじょうかこのかどっちかにいるのだな。刻限こくげんおくれたらむかえをよこすぞ。よもや卑怯ひきょう振舞ふるまいはなかろうが」
 背中せなかきながら、武蔵むさし灰屋はいや前栽せんざいへはいって、すぐもんめていた。一歩いっぽそこへはいると騒音そうおん世間せけん百里ひゃくりうしろになったように、いともしずかな生活せいかつ天地てんちをこのいええないへいかこんでいた。
 ひく根笹ねざさふでじくほどな細竹ほそだけとが、自然しぜん小道こみちのようにくばられてあるいしからいしへの通路つうろほどよく湿しめらせている。あゆむにつれてえて母屋おもやおもて離室はなれちん、すべてが旧家きゅうかくすみとおおふかさをっていて、それをめぐまつはみなたかく、おくしてこのいえ富貴ふうきかなでてはいるが、したへかかってきゃくたいして、けっして尊傲そんごうなふうはえない。

 どこかで蹴鞠けまりおとがしていた。公卿屋敷くげやしきだとよくそのおとへいそとからもくが、町人ちょうにんいえにはめずらしいと武蔵むさしおもった。
「すぐお支度したくしてみえますが、どうぞしばらくここで」
 と、ちゃ菓子かしはこんでて、庭向にわむきの座敷ざしきせきをすすめた二人ふたり小間使こまづかい起居たちいもしとやかで、家風かふうのしつけをおもわせる。
かげってきたせいか、きゅうさむくなってた」
 光悦こうえつはつぶやいて、ひらいている障子しょうじめるように小間使こまづかいへいいつけようとしたが、武蔵むさしが、まりおとりながら、にわ彼方あなた一段低いちだんひくくなっている梅林うめばやしはなているらしいので、自分じぶんそとをやって、
叡山えいざんのうえが、くもってましたな。あのうえにかかるくもは、北国きたぐにから北雲きたぐもです。――おさむくはありませんか」
「いやべつに」
 武蔵むさし正直しょうじきにそういったまでで、ちっとも光悦こうえつがそこをめたいとおもっている気持きもちなどはかんがえなかった。
 かれ皮膚ひふ気候きこうたいしてかわのように強靭きょうじんだった。光悦こうえつのこまかな皮膚ひふとは、それだけ感度かんどちがっていた。あながち気候きこうたいしてであるばかりでなく、すべての感触かんしょくにも鑑賞かんしょうにも、そのくらいな二人ふたりにはあった。ひとくちにいえば、野人やじん都会人とかいじんであった。
 小間使こまづかい燭台しょくだいってたのをしおに――そともつるべおとしにくらくなってもたし――光悦こうえつがそこをめかけると、
小父おじさま、ていたの」
 まりっていた息子むすこたちであろう、十四じゅうし五歳ごさいのが三人縁側さんにんえんがわからのぞいて、蹴鞠けまりをそこへほうしたが、武蔵むさしのすがたをると、きゅうにおとなしくなって、
「おじいさまんでてあげようか」
 光悦こうえつがいいといってもかないのである。さきあらそっておくけてった。
 障子しょうじめ、あかりがともると、このいえのもつなごやかなものが、はじめてすわったきゃくにもよけいによくわかる。家族かぞくたちのとおわらごえがかすかにれてるのも居心地いごこちがいい。
 もっともっと、武蔵むさしきゃくとしてかんじよくおもえたことは、どこをながめても、すこしも金持かねもちくさくないことであった。むしろあらゆる素朴そぼくなもので、かねのにおいをそうとしているかのようにすらえる。どこかおおきな田舎家いなかや客間きゃくまにいるような気持きもちだった。
「いや、どうも、えろうおたせしてまなんだ」
 そこへ唐突とうとつ磊落らいらくこえがして、あるじ灰屋はいや紹由しょうゆうがすがたをせた。
 光悦こうえつとはあべこべに、このひとつるのようにせていたが、こえは、低声こごえ光悦こうえつよりも、ずっと若々わかわかしくておおきくひびく。とし光悦こうえつよりはひとまわりくらいうえかもれない。とにかく、性分しょうぶんといったふうで、光悦こうえつ武蔵むさし紹介ひきあわせると、
「あ、そうか。そうでおざるか。近衛家このえけ御用人松尾殿ごようじんまつおどの甥御おいごであらっしゃるか。松尾殿まつおどのは、わしもようぞんげておる」
 ここでも、叔父おじたので武蔵むさしは、こういう大町人だいちょうにんたちと、堂上どうじょう近衛家このえけあたりとの関係かんけいをなんとはなくうっすらさっすることができた。
「さっそくきましょうぞや。あかるいうちにて、そぞろあるきとおもうたが、もうくろうなったゆえ、かごぼう。……武蔵むさしどのも、もちろん交際つきあってくださるじゃろうな」
 としあわずせかせかしている紹由しょうゆうと、おっとりかまえこむと遊廓くるわくこともわすれているような光悦こうえつと、それもかわっている対照たいしょうであった。
 その二人ふたりせてゆく町駕まちかごあとから、武蔵むさしうまれてはじめて、かごというものって、堀川ほりかわのふちをられてった。