192・宮本武蔵「風の巻」「町人(5)(6)」


朗読「192風の巻34.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 51秒

 およそ、おやのつくものなら、わが遊廓くるわくなどとけば、それがたといきゃくまえであろうと、友達ともだちまえであろうと、にがって、
(また、極道ごくどうか)
 と、うそぶいているか、もっとやかましいおや場合ばあいは、
(もってのほかな!)
 と、親子おやこのあいだに一揉ひともめくらいはあるのが世間せけん通例つうれいなのに、この母子おやこはそうでない。
 妙秀尼みょうしゅうには、衣裳箪笥いしょうだんすのそばへって、
おびはこれでよいか。小袖こそではどちらにしやるか?」
 と、遊廓くるわくという息子むすこ身仕度みじたくを、自分じぶん遊山ゆさんにでも出向でむくように、いそいそとをくばる。
 衣裳いしょうのみでなく、紙入かみいれ、印籠いんろう脇差わきざしなども派手はでやかなのをってそろえ、わけても紙入かみいれのなかへは、おとこなかまじわってはずかしいおもいをせぬように、おんな世界せかいにはいってきたな仕方しかたをせぬように、そっとべつな金箪笥かねだんすうちから、金子きんすおとをしのばせて、こころづかいをずッしりとれておく。
「さあさあ、なされ、遊廓くるわともしごろよいがよく、もそっとよいのは、黄昏たそがどきかよというげな。武蔵むさしどのも、ておざれ」
 そして、いつのにか、武蔵むさしまえにも、綿服わたふくではあるが、肌着はだぎから上着うわぎまで、あかのつかない一襲ひとかさねがそろえてある。
 はじめは、ちぬこととあやしまれたが、この母御ははごがこれほどすすめるところなら、悪所通あくしょがよいと世間せけんでいうほど、ってわる場所ばしょでもなさそうにおもわれる。
 武蔵むさしかんがなおして、
「では、お言葉ことばあまえて、光悦こうえつどのにれてってもらいます」
「オオ、そうなされ。――さ、衣裳いしょうもかえて」
「いや、拙者せっしゃには、美服びふくはかえって似合にあいませぬ。しても、どこへまいっても、このあわせ一枚いちまいが、やはり自分じぶんらしくてままですから」
「それはいけません」
 妙秀尼みょうしゅうには、へんなところで、厳格げんかくになって、武蔵むさしをこうたしなめた。
貴方あなたはそれでよいじゃろが、むさ身装みなりをしていては、綺羅きらやかな遊廓さとせきに、雑巾ぞうきんいてあるようにゆるではないかの。世事せじいことむさいこと、すべてをわすれて、いっときでも半夜はんやでも、綺麗事きれいごとにつつまれて、さらりと屈託くったくててるのがあの遊廓さとでござりまするがの。――そうおもうてみれば、わが化粧けしょう伊達だても、廓景色さとげしきひとつ、わがだけの見得みえおもうが間違まちがいであろが。……ホ、ホ、ホ、ホ、そういうたとて、名古屋山三なごやさんざ政宗まさむねどのほどでもない、ただあかがついていぬというだけのもの、さあ世話せわをやかせずにそでとおしてみなされ」
「は、……それでは」
 武蔵むさし素直すなおわかって、がえをますと、
「おお、よう似合にあう」
 と妙秀尼みょうしゅうに二人ふたりのさばさばした身姿みなりをながめて、わけもなくよろこぶ。
 光悦こうえつは、ちょっと仏間ぶつまへはいって、そこへちいさい夕方ゆうがた燈明とうみょうささげていた。この母子おやこ日頃ひごろからあつ日蓮宗にちれんしゅう信者しんじゃであった。
 そこからて、っている武蔵むさしむかい、
「さ、おともいたしましょう」
 って、玄関げんかんまであるいてると、はは妙秀尼みょうしゅうには、もうさき二人ふたり穿あたらしい草履ぞうり沓石くつぬぎそろえ、そのあとで、長屋門ながやもんめかけていた下男げなんと、もんかげでなにか小声こごえばなしをしていた。
「おそれります」
 光悦こうえつは、草履ぞうりむかってあたまげながら、あしろした。
「では母者人ははじゃびとってまいります」
 すると、妙秀尼みょうしゅうにかえって、
光悦こうえつや、ちょっとおち」
 あわててって、二人ふたりあしめ、自分じぶんくぐもんからそとかおして、何事なにごとなのか、往来おうらいまわしているふうだった。

「――なんですか?」
 光悦こうえつが、不審ふしんがると、妙秀尼みょうしゅうにもんくぐりをそっとめて、もどってた。
光悦こうえつや、いまのう、きついかたちをした侍衆さむらいしゅうが、三名さんめいづれで、ここの門前もんぜんて、不作法ぶさほう言葉ことばいてったというが。……大事だいじはあるまいかの」
 まだそらあかるいが、黄昏たそがれにむかってるわがきゃくを、ふとあんじるらしく、まゆをひそめてそういった。
「……?」
 光悦こうえつは、武蔵むさしかおた。
 武蔵むさしはすぐ、さむらいたちが、どういうものかをさっしたらしく、
「おあんじなされますな、拙者せっしゃ危害きがいくわえても、光悦こうえつどのへ害意がいいのあるものではないとぞんじます」
「おとといも、そんなことがあったとだれかいうたの。おとといのさむらいは、一人ひとりであったらしいが、するどいまなざしして、門内もんないまで案内あんないものうはいりみ、茶室ちゃしつ路地ろじにかがみんで、武蔵むさしどののいるおく部屋へやしきりとのぞいてったそうな」
吉岡よしおかものでしょう」
 武蔵むさしがいうと、
わたしもそうおもう」
 と、光悦こうえつもうなずいた。
 そして下男げなんへ、
「きょうの三人連さんにんづれは、なんというてたのか」
 と、たずねた。
 それにこたえて、わなわなふるえながら、下男げなんがいうには、
「はい……いまがた、お職人衆しょくにんしゅうもみなおかえりになりましたので、ここのもんめようといたしますると、どこにいたのか、三人連さんにんづれのお侍方さむらいかたが、いきなり手前てまえかこんで、なか一人ひとりが、懐中ふところから書状しょじょうのようなもの取出とりだし――これを当家とうけきゃくわたせ――とおそろしいかおしてもうしまする」
「うむ……きゃくといって、武蔵むさしどのとはいわなかったのか」
「いいや、そのあともうしました――宮本武蔵みやもとむさしもうものが、数日前すうじつまえからとまっているはずだと――」
「そしておまえはなんといった」
「わしは、かねて旦那様だんなさまから口止くちどめされてありましたで――どこまでも、そのようなお客様きゃくさまはおらぬとくびりますと、いちどはおこって、いつわりをもうすな――と高声こうしょうりかけましたがすこ年老としとったさむらいがそのおひとなだめて、皮肉ひにくわらかたをしながら、それではよい、べつな仕方しかたで、当人とうにんってわたすから――と、そういって彼方むこうつじってしまいましたが」
 武蔵むさしはそれをそばいて、
光悦こうえつどの、それではこうしていただきましょう。万一まんいちのことでもあって、あなたへお怪我けがでもさせたり、るいおよぼしては、もうわけがありませぬゆえ、一足先ひとあしさきにおひとりで」
「いや、なに
 光悦こうえつ一笑いっしょうして、
「そんなご斟酌しんしゃくりません。吉岡よしおかさむらいわかっていればなおさらのことです、わたしこわがる意味いみすこしもありません。……さあまいりましょう」
 武蔵むさしうながして、もんそとたが、光悦こうえつはまた、ふと、くぐりのうちかおせて、
母御様ははごさま母御様ははごさま
わすものか」
「いいえ、いまのことですが、もしあなたさまがかりにおぼすなら、灰屋はいやどのへ使つかいをやって、今夜こんやのおさそいはことわりまするが、……」
「なんの、わしがあんじたのは、そなたのより、武蔵むさしどのに万一まんいちのことでもないかと懸念けねんしたのじゃ。――その武蔵むさしどのがもうさきっているものを、めてもかいはあるまいし、折角せっかく灰屋様はいやさまのおさそいでもある。機嫌きげんよう、あそんでなされ」
 光悦こうえつは、ははめたくぐに、もうなんのこころがかりもなかった。っていた武蔵むさしかたならべて、かわぞいの片側町かたがわまちあるきながら、
灰屋殿はいやどの住居すまいは、このさき一条堀川いちじょうほりかわなので、ちょうど途中とちゅう支度したくしてっているそうですから、ちょっとってきましょう」
 と、ことわった。