21・宮本武蔵「地の巻」「縛り笛(3)(4)」


朗読「地の巻21.mp3」22 MB、長さ: 約9分31秒

「ナニ、跫音あしおとが? ……」
 と沢庵たくあんもつりまれてみみましたが、にわかに大声おおごえで、
「あははは、さるだ。さるだ。……アレい、親子猿おやこざるが、えだわたってゆく」
 ほっとしたように、おつうは、
「……あ。びっくりした」
 つぶやいて、すわなおした。
 焚火たきびほのおつめて、それから半刻はんとき一刻いっときも――けゆくままに、二人ふたりは、だまっていた。
 えかけて焚火たきびへ、沢庵たくあんは、ってくわえながら、
「おつうさん、なにかんがえているのかね」
「わたし? ……」
 おつうは、ほのおれぼったくなったまぶたほしそららして、
「――わたしいま、このなかというものが、なんという不思議ふしぎなものだろうと、それをかんがえていました。じっと、こうしていると、無数むすうほしが、寂寞せきばくとした深夜しんやなかに――いいえいいちがいました――深夜しんや万象ばんしょういだいたままです――おおきくそろそろとうごいているのがわかるではありませんか。どうしても、この世界せかいというものは、うごいているものです。それをかんじます。同時どうじに、わたしというッぽけなひとつのものも、なにか、こう……えないものに支配しはいされて、こうしているあいだにも、運命うんめい刻々こっこくに、かわっているんじゃないか……などともないことをかんがえておりました」
うそだろう。……そんなこともあたまにうかんだかもれぬが、其女そなたには、もっと必死ひっしかんがえつめていることがあるはずだ」
「…………」
わるかったらあやまるがの、じつはおつうさん、そなたのところへきた飛脚文ひきゃくぶんを、わしはんでおる」
「あれを?」
機舎はたやなかで、折角せっかくひろってやったのに、にもれんで、いてばかりおるから、自分じぶんたもとれておいたのじゃ。……そして尾籠びろうはなしじゃが、雪隠せっちんなかで、退屈たいくつしのぎに、細々こまごまんでしもうた」
「まあ、ひどい」
一切いっさい理由わけが、そこで、わかったよ。……おつうさん、あのことは、むしろ其女そなたにとってはしあわせせじゃないか」
「どうしてです?」
又八またはちのようなおとこじゃもの、女房にょうぼうになってから、あんなじょうげつけられたらどうするぞ。まだおたがいに、そうならないうちだから、わしはかえって、よろこびたい」
おんなには、そのようなかんがかたはできないのです」
「じゃあ、どうかんがえているのか」
口惜くやしくッて! ……」
 不意ふいに、しゅくっと、自分じぶん袖口そでぐちみついて、
「……屹度きっと、きっと、わたしは又八またはちさんをさがしして、おもうさまのことをいってやらなければ、このむねがおさまりません。そして、おこうとかいうおんなにも」
 沢庵たくあんは、そういって、無念むねんそうにきじゃくるおつう横顔よこがおつめながら、
はじまったのう……」
 と、なんのことかつぶやいた。
「――おつうさんだけは、世間せけんあく人間にんげん表裏おもてうららずに、むすめとなり、おかみさんとなり、やがてはばあさんとなって、無憂華むゆうげきよ生涯しょうがいむすひとかとおもったら、やはり其女そなたにも、そろそろ運命うんめいのあらいかぜいてたらしい」
沢庵たくあんさん! ……。わ、わたし、どうしましょう! ……口惜くやしい……口惜くやしい」
 なみをうって、おつうは、いつまでも、たもとなかかおうずめていた。

 昼間ひるまは、やま横穴よこあなへかくれて、ねむりたいだけ二人ふたりねむる。
 食物たべものこまりはしなかった。
 だが――もっと肝腎かんじん武蔵たけぞうつかまえることのほうは、どういう量見りょうけんか、沢庵たくあんさがしにもかないし、にかけているふうもない。
 三日目みっかめばんた。
 またきのうのように、おとといのように、焚火たきびのそばにおつうすわって、
沢庵たくあんさん、もう今夜こんやきりですよ約束やくそくは」
「そうだな」
「どうするつもりですか」
「なにを」
なにをって、あなたは、大変たいへん約束やくそくをしてここへのぼってたのじゃありませんか」
「ウム」
「もし今夜こんやのうちに武蔵たけぞうさんをつかまえなければ」
 沢庵たくあん彼女かのじょくちさえぎって、
「わかっている。まちがえばこのくびを、千年杉せんねんすぎこずえくくるだけのことだ。……だが心配しんぱい無用むよう、わしだって、まだにとうない」
「ではすこし、さがしにあるいたらどうですか」
さがしにたって、うものか。――この山中やまなかで」
「まったく、あなたは、れないひとですね。わたしまでが、こうしていると、なんだか、なるようになれと、度胸どきょうがすわってしまいます」
「そのことだ、度胸どきょうだよ」
「じゃあ沢庵たくあんさんは、度胸どきょうだけでこんなことをひきうけたんですか」
「まあ、そうだな」
「アアこころぼそい」
 なにかすこしは自信じしんがあるのであろうと、ひそかにたよりをっていたおつうも、いまは、ほんとに心細こころぼそくなってたらしい。
 ――馬鹿ばかかしら? このひとは。
 すこしれている人間にんげんは、ときには、えらもののようにいかぶられる場合ばあいがあるから、沢庵たくあんさんも、そのれいかもれない。
 おつううたがいだした。
 しかし、沢庵たくあんは、相変あいかわらずばくとしたかおつきを焚火たきびにいぶして、
「もう夜半よなかだな」
 今気いまきがついたようにつぶやく。
「そうですよ、すぐに、しらむでしょう」
 わざと、おつうが、口上こうじょうでいってやると、
「はてな? ……」
なにを、かんがえているのです」
「もう、そろそろ、なくちゃいかんが」
武蔵たけぞうさんがですか」
「そうさ」
「たれが、自分じぶんからつかまえられにるものですか」
「いや、そうでないぞ。人間にんげんこころなんて、じつよわいものだ。けっして孤独こどく本然ほんねんなものでない。まして周囲しゅういのあらゆる人間にんげんたちから邪視じゃしされ、いまわされ、そしてつめたい世間せけんやいばなかかこまれているものが。……はてな? ……このあたたかいいろたずねてないわけがないが」
「それは、沢庵たくあんさんのひと合点がてんというものではありませんか」
「そうでない」
 俄然がぜん自信じしんのあるこえくびよこった。おつうはそう反対はんたいされたほうがうれしかった。
「――おもうに、新免しんめん武蔵たけぞうは、もうついそこらまでておるのじゃろう。しかしまだ、わしが、てき味方みかたか、わからないのだ。不愍ふびんみずからの疑心暗鬼ぎしんあんきまどうて、言葉ことばもようずに、物蔭ものかげに、卑屈ひくつをかがやかせているものとみえる。……そうだ、おつうさん、そなたが、おびしているもの――それを、わしにちょっとしてくれい」
「この横笛よこぶえですか」
「ウム、そのふえを」
「いやです、こればかりは、だれにもせません」