191・宮本武蔵「風の巻」「町人(3)(4)」


朗読「191風の巻33.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 55秒

 ――しかし、ひと好意こういあまえるのも程度ていどがある。武蔵むさしは、きょうはもういとまおうとかんがえていたが、それをいいさない矢先やさきに、今朝けさもまた、光悦こうえつのほうから、
ろくにかまいもしないで、めるのもなものですが、あなたさえきなかったら、幾日いくにちでもとまってってください。わたし書斎しょさいには少々しょうしょうばかり、古書こしょやつまらない愛玩品あいがんひんもありますから、なにしてごらんくださるともしつかえございません。そのうちにまた、にわすみにあるかまで、茶碗ちゃわんさらいておにかけましょう。刀剣とうけん刀剣とうけんですが、陶器やきものもなかなかきょうのあるものですから、あなたもなにかひとつ、つちねてこころみてごらんなさい」
 などといわれ、武蔵むさしはまた、ついかれちついた生活せいかつなかに、自分じぶんちつきをゆるしてしまった。
「おきになるか、きゅうにまた御用事ごようごとでもおもたれたせつは、らるるとおりな無人むじんいえ、ご挨拶あいさつなどにはおよびませぬから、いつでも気持きもちいたまま、ご出立しゅったつなさればよいではございませんか」
 とも光悦こうえつはいってくれるのであった。
 武蔵むさしは、きるどころではなかった。かれ書斎しょさいをながめても、そこには和漢わかん書籍しょせきから、鎌倉期かまくらき絵巻えまきだの、舶載はくさい古法帖こほうじょうだの、そのうちのひとつをりひろげても、おもわず一日いちにちれてしまうものが沢山たくさんある。
 わけても、武蔵むさしこころかれたもののひとつに、そう梁楷りょうかいえがいたという「くり」がとこにあった。
 たて二尺にしゃく横二尺四よこにしゃくし五寸ごすんくらい、横幅よこはば紙質かみしつわからないほどふるびた懸物かけものであったが、それをていると、武蔵むさしはふしぎに半日はんにちでもくということをおぼえない。
御主人ごしゅじんのおきになるようなは、とても素人しろうとにはおよびもないというがしますが、これをていると、これくらいなものなら素人しろうとわたしにもけるというようながしますな」
 武蔵むさしが、あるときいうと、
「それは、あべこべでしょう」
 と光悦こうえつこたえて、
「わたしのくらいな程度ていどまでは、だれにでも境地きょうちといってもかまいませんが、このへんになると、道高みちたかく、山深やまふかく、非凡過ひぼんすぎて、ただまなべばけるという境地きょうちではありません」
 といった。
「ははあ、そうでしょうか」
 ――そういうものかと、武蔵むさしはこれからおりあるごとにこのながめていたのであったが、光悦こうえつにいわれててから、なるほど、それは一見単純いっけんたんじゅん墨一色すみいっしょく粗画そがぎないが、そのなかっている「単純たんじゅんなる複雑ふくざつ」に、かれもようやくすこしずつをひらいてた。
 二個にこ落栗おちぐりがざっといてあって、一個いっこからやぶっており、一個いっこはまだイガのはりててかたからじている。それへ栗鼠りすびついているだけの構図こうずである。
 栗鼠りす生態せいたいは、いかにも自由性じゆうせいんでいて、人間にんげんわかさと、わかさの欲望よくぼうとを、そのまま、この小動物しょうどうぶつ姿態したいにあらわしている。――しかし、栗鼠りす意欲いよくのままに、そのくりらおうとすれば、イガにはなされ、イガをおそれていれば、からなかうことができない。
 作者さくしゃは、そんな意図いとはなくいたのかもしれないが、武蔵むさしはそうした意味いみにもこれをながめてみるのだった。絵画かいがるのに、絵画以外かいがいがい諷意ふういとか、暗示あんじとか、そんなかんがかたをしてわずらうのはよけいなことかもれないが――とおもいつつも、そのは「単純たんじゅんなる複雑ふくざつ」のうちに、すみ美感びかん画面がめん音階おんかいのほかに、ひとをしておもわず黙想もくそうあそばしめる無機的むきてき作用さよう種々さまざまそなえているのだから仕方しかたがない。
武蔵むさしどの、また梁楷りょうかいにらめっこですか。よほどったとみえますな。なんならば、ご出立しゅったつときいておちなさい、差上さしあげましょう」
 無造作むぞうさに、かれ姿すがたていいながら、光悦こうえついまなにようありげにかれのそばへすわった。

 武蔵むさしは、意外いがいかおして、
「え、拙者せっしゃにこの梁楷りょうかいふくくださるというのですか。もってのほかのことです、数日御厄介すうじつごやっかいあまえたうえこんな御家宝ごかほういただいてよいものではありませぬ」
 とかた辞退じたいした。
「でも、おしたのでしょうが……」
 と、光悦こうえつかれ律義りちぎはじらうさまやりながら、わらっていう。
「――かまいません、おされたら、はずしておちくださるがよい。そうじて、絵画かいがなどというものは、しんにその作品さくひんあいして、作中さくちゅう真味しんみんでくれるひとたれれば、そのしあわせであり、地下ちか作者さくしゃ満足まんぞくだろうとおもわれます。ですから、どうぞ」
「そううかがっては、なおのこと、わたしにはこの頂戴ちょうだいする資格しかくがございませぬ。――こうして拝見はいけんしていると、しきりと、所有欲しょゆうよくのようなものがうごいて、自分じぶんひとつ、こんな名幅めいふくってみたいという気持きもちはしてますが――ったところで、いえもなし、せきさだまらぬ流寓るぐう武者修行むしゃしゅぎょう
「なるほど、たびばかりしているおからだでは、かえってお邪魔じゃまですな。おわかいから、まだそんなこころもちにおなりになるまいが、人間にんげん、どんなにちいさくともよいが、わがというものをたないひとは、いかにさびしかろうぞと、わたしおもいやられるのじゃが。――どうです、ひとつこの京都きょうとすみあたりへ、ざっとした丸木まるき一庵いちあんをおこしらえになっておいては」
「まだいえがほしいとおもったことはありません。それよりも、九州きゅうしゅうて、長崎ながさき文明ぶんめい、またあたらしい都府とふあずま江戸えど陸奥みちのく大山たいざん大川たいせんなど――とおほうにばかり遊心ゆうしんうごいています。うまれながらわたしには、放浪癖ほうろうへきがあるのかもわかりません」
「いや、あなたばかりでなく、だれでもでしょう、四畳半よじょうはん茶室ちゃしつより、蒼空あおぞらこのむのがわかひとあたまえです。同時どうじに、自分じぶん希望きぼう達成たっせいが、自分じぶん身近みじかにはないがして、つねとおくにばかりみちがあるとおもってしまうへいもある。大事だいじわか空費くうひはたいがい、そのとおくにあこがれて居所きょしょ希望きぼうちかわない――つまり境遇きょうぐうへの不平ふへいれてしまうのじゃないでしょうかな」
 といって、ふと、
「ハハハハ、わたしのような閑人ひまじんが、わかいおひとへ、教訓きょうくんめいて、こんなことをいうのはおかしい。……そうそう、ここへたのはそんなことではなく、あなたを今夜連こんやつそうとおもってたのですが、どうですか武蔵殿むさしどの、あなたは遊廓くるわたことがありますか」
遊廓くるわというと……遊女ゆうじょのいるさとのことですか」
「そうです。わたし友達ともだちに、灰屋紹由はいやしょうゆうというて、気心きごころのおけないひとがいる。その紹由しょうゆうから、今誘いまさそぶみたのですが、六条ろくじょうあそまちにゆくはありませんか」
 武蔵むさしは、かれ言葉ことばのもとに、
「よしましょう」
 といった。
 光悦こうえつは、いてすすめず、
「そうですか。お気持きもちがすすまなければ、おさそいしても仕方しかたがありませんが、ときには、ああいう世界せかいひたってみるのもおもしろいものですよ」
 すると――おともなく――いつのまにかそこへて、ふたりのはなしきょうありげにいていたはは妙秀みょうしゅうが、
武蔵むさしどの、よいおりではないか、一緒いっしょかれてはどうかの。灰屋はいや主人あるじとても、なんのがねもらぬおひと、せがれも折角せっかく、おれしたいのであろう。さあ、ってなされ、ってなされ」
 と、これはまた、光悦こうえつ気分きぶんまかせとちがって、いそいそと衣裳箪笥いしょうだんすから小袖こそでなどしてて、武蔵むさしにもすすめ、わがへも、あそびにるのをはげましていう。