188・宮本武蔵「風の巻」「鍬(1)(2)」


朗読「188風の巻30.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 26秒

くわ

 どうめぐりあわせて、こんなところへ、宗彭沢庵しゅうほうたくあん今頃いまごろやってたわけか。
 もとより、偶然ぐうぜんであろうはずはないが、いかにも唐突とうとつて、いつも自然しぜんであるかれ姿すがたが、今夜こんやばかりは不自然ふしぜんおもえる。まずその事情わけがらをさきただしてみたいが、いまはその由来因縁ゆらいいんねんかれうているいとまもなさそうなのである。
 ――なにしろ、あの何時いつも、沢庵坊たくあんぼうにしては、めずらしいほどあわてていて、
「おオい、どうじゃい、宿屋やどやさん、つかったかい?」
 かれとは、べつな方角ほうがくさがしまわって旅籠はたご手代てだいが、かれほうけてて、
見当みあたりませんよ、どこにも――」
 と、あぐねたようにいってひたいあせく。
へんだね」
「おかしゅうございますな」
「おまえのちがいじゃないのか」
「いいえ、たしかに、夕方清水堂ゆうがたきよみずどうのお使つかいがえてから、きゅうに、地主権現じしゅごんげんまでってくるとっしゃって、手前てまえどもの提燈ちょうちんをおちになったのですから――」
「その地主権現じしゅごんげんというのが、おかしいじゃないか。この夜中よなかに、なにしにったのだい」
「どなたか其処そこっていらっしゃるようなおはなしでしたが」
「ならばまだいそうなものだが……」
だれもいませんな」
「さあて?」
 沢庵たくあんが、うでむと旅籠はたご手代てだいともあたまをかかえて、ひとごとに、
子安堂こやすどうのそばの燈明番とうみょうばんいたら、あのご隠居いんきょわか女子おなごが、提燈ちょうちんって、のぼってくすがたはたといいましたね。……それから三年坂さんねんざかのほうへりたというものだれもいないし」
「だから、心配しんぱいになるんだよ。ひょっとすると、もっとやまおくか、もっとみちのないような場所ばしょかもれぬ」
「なぜでございます」
「どうやら、おつうさんは、おばばのうまいくちせられて、いよいよ、あの門口かどぐちまで、さらわれてったらしい……アア、こうしているあいだ心配しんぱいになる」
「あのご隠居いんきょは、そんなおそろしいおかたですか」
「なあに、いい人間にんげんだよ」
「でも、あなたのおはなしうかがうと……おもあたることがございますんで」
「どんなこと」
「きょうも、おつうさんとっしゃる女子おなごが、いておりました」
「あれはまた、泣虫なきむしでな、泣虫なきむしのおつうさんというくらいなんだよ。……だが、この正月しょうがつ一日ついたちからそばせられていたといえば、だいぶチクチクいじめられたろうな。かあいそうに」
息子むすこよめじゃよめじゃとっしゃっておいででしたから、おしゅうとなれば、仕方しかたがないとおもっていましたが、……じゃあなにかうらごとがあって、一寸いっすんだめし五分試ごぶだめしにいじめていたわけでございますね」
「さだめしおばばはたんのうしたろうが、夜陰やいんやまなかんだところをると、最後さいごおもいをはらそうというつもりだろう。こわいのうおんなは」
「あの隠居様いんきょさまなどは、おんな部類ぶるいへははいりませんよ。ほかの女子おなごたちが大迷惑だいめいわくをしまさあ」
「そうではないな、どんなおんなたちにも、ちょっぴりずつはあるものらしい。おばばのは、それがつよいだけだ」
「おぼうさんだから、やはり女子おなごはきらいとみえますな、そのくせ先刻さっきは、あの隠居様いんきょさまのことを、いい人間にんげんだといったりしたが」
「いい人間にんげんであることにまちがいはないのだよ。あのおばばでも、清水堂きよみずどう日参にっさんするというじゃあないか。観音かんのんさまへ数珠ずずをさげているあいだは、観音かんのんさまにちかいおばばになっているわけだからの」
「よくお念仏ねんぶつもいっておりますぜ」
「そうだろう、そういう信仰家しんこうかというもの世間せけんにたくさんあるものだよ。そとではわるいことをしてきながら、いえへはいるとすぐお念仏ねんぶつでは悪魔あくまのすることをさがしながら、おてらればすぐお念仏ねんぶつひとなぐっても、あとでお念仏ねんぶつさえいえば、罪障消滅ざいしょうしょうめつ極楽往生ごくらくおうじょう、うたがいなしとしんじている信心家しんじんかだ。こまるね、ああいうのは」
 といって、沢庵たくあんはまたすぐ、そこらのやみをあるきして、たきつぼのあるやまさわへ、
「おーいっ、おつうさあん」

 又八またはちは、ギョッとして、
「やっ? おばば!」
 と、注意ちゅういした。
 おすぎも、づいていた。かがみのようなちゅうげて、
「なんじゃろ? あのこえは」
 と、つぶやいた。
 しかし、つかんでいる死骸しがい黒髪くろかみと――その死骸しがいからくびはなそうとしてっている脇差わきざしは、びくともからゆるめていない。
「おつうんだようだぞ。オオ、またんでいる」
「いぶかしいことよの。――ここへおつうをさがしにものがあるとすれば、城太郎小僧じょうたろうこぞうよりほかにないが」
大人おとなこえだ……」
「どこかでいたような」
「あっ、いけねえ! ……おばば、もうくびなどってってゆくのはせ。提燈ちょうちんって、だれかこっちへりてくる」
「なに、りてくると」
二人ふたりづれだ。つかるといけない、おばば、おばば!」
 危急ききゅうかんじると、いがっていたこの母子おやこは、たちま一体いったいとなって、又八またはち急々せかせかと、老母はは落着おちついているのをあんじた。
「ええ、ったがいい」
 と、ばばは、死骸しがい魅力みりょくにひきつけられていた。
「ここまでして、かんじんな首級しるしらずにってよいものか。なにを証拠しょうこに、故郷くにしゅうへ、おつう成敗せいばいしたと証拠しょうこだてることができよう。……て、いまわしが」
「あ」
 又八またはちは、をおおった。
 おすぎ小枝こえだひざいて、死骸しがいくびやいばてようとするのだった。又八またはちには、ていられなかった。
 ――と、突然とつぜんばばくちから意味いみのわからない言葉ことばはしった。よほどおどろいたものらしかった。げていた死骸しがいくびからはなして、うしろへよろめくとともこしをついて、
「ちごうた! ちごうた!」
 って、とうとするのであったが、てないのである。
 又八またはちも、かおせて、
なにが? なにが?」
 と、どもった。
「これをい」
「え」
「おつうではないわ! この死骸しがい物乞ものごいか、病人びょうにんか、おとこであろが」
「あっ、牢人者ろうにんものだ」
 じっと、死骸しがい横顔よこがお風体ふうていをながめて、又八またはちはなおさらおどろきをくわえた。
へんだな、この人間にんげんをおれはっているが」
「なんじゃ、知人しりびとじゃと」
赤壁あかかべ八十馬やそまといって、おれはこいつにだまされて、持金もちがねげられたことがある。うまくようなあの八十馬やそまが、どうしてこんなところにへたばっていたのだろうか」
 これはいくらかんがえてみても、又八またはちにはかんがあたらないはずである。ここから程近ほどちか小松谷こまつだに阿弥陀あみだどうんでいる虚無僧こむそう青木丹左衛門あおきたんざえもんがいるか、でなければ、八十馬やそま毒牙どくがにかかろうとしてすくわれたことのある朱実あけみでもおればだが――ほかにその説明せつめいをするものとしては、宇宙うちゅうあるのみであるが、こんなれのてをるにいたったむしけら同様どうよう人間一個にんげんいっこ解説かいせつもとめるには、宇宙うちゅうあまりにおおぎて、また森厳しんげんでありぎる。
「――だれだっ。おつうさんじゃないのか、そこにいるのは」
 突然とつぜん二人ふたりうしろへ、沢庵坊たくあんぼうこえ提燈あかりかげがさした。
「――あッ」
 げるだんになれば、又八またはちわか跳躍ちょうやくは、当然とうぜん、おすぎこしをあげてからはしるよりもはるかにはやかった。
 沢庵たくあんは、りざま、
「おばばだな」
 むずと、えりがみをつかんだ。