20・宮本武蔵「地の巻」「縛り笛(1)(2)」


朗読「地の巻20.mp3」22 MB、長さ: 約9分38秒

しばぶえ

 ちかやまうるしよりくろい、とおやま雲母きららよりあわかった。晩春ばんしゅんなので、かぜはぬるくて。――
 熊笹くまざさや、ふじづるや、みちあたりは、きりだった。人里ひとざとからとおざかるほど、やまは、よい一雨ひとあめかぶったようにれていた。
暢気のんきだのう、おつうさん」
 竹杖たけづえした荷物にもつさきかついであるきながら、沢庵たくあんがいう。
 おつうは、うしろになって、
「ちっとも、暢気のんきなものですか。一体いったい、どこまでくおつもり?」
「そうさな……」
 と、沢庵たくあん返辞へんじこころぼそい。
「ま、もすこあるこう」
あるくのはかまわないけど」
「くたびれたか」
「いいえ」
 かたいたむとみえ、おつうは、時々ときどきみぎかたからひだりかたへ、つえをかえて、
だれにもいませんね」
「きょうは、どじょうひげ大将たいしょう一日寺いちにちてらにいなかったから、山狩やまがりものを、のこらずさとげて、約束やくそく三日みっかを、見物けんぶつしているはらだろうよ」
「いったい、沢庵たくあんさんは、あんなことをいっちまって、どうして武蔵たけぞうさんをつかまえますか」
るよ、そのうちに」
たって、あのひとは、平常ふだんでもとてもつよいおとこです。それに、山狩やまがりものかこまれて、もうにものぐるいでいるでしょう。悪鬼あっきというのは、いま武蔵たけぞうさんのことだとおもいます。かんがえても、わたしはあしがふるえてくる」
「ホラ……そのあしもと」
いやッ。――ああ、びっくりしたじゃありませんか」
武蔵たけぞうたんじゃないよ、道端みちばたに、ふじづるをったり、いばらかきったりしてあるから、をつけてあげたのだ」
山狩やまがりものが、武蔵たけぞうさんをめるつもりでこしらえたんですね」
をつけないと、わしらが、おとあなちてしまうよ」
「そんなことくと、すくんで、一足いっぽあるけなくなってしまう」
ちれば、わしからさきだ。しかしつまらん骨折ほねおりをやったものさ。……おおだいぶたにせまくなったな」
讃甘さぬもうらは、先刻さっきえました。もうこのあたりつじはらあたり」
どおしあるいてばかりいても為方しかたがあるまいな」
わたし相談そうだんしても、りませんよ」
「ちょっと、荷物にもつをおろそう」
「どうするんです」
 沢庵たくあんは、がけきわまであるいてって、
「お尿ッこ」
 といった。
 英田川あいだがわ上流じょうりゅうをなしている奔湍ほんたんは、その脚下あしもと百尺ひゃくしゃくいわからいわへぶつかって、どうどうと、えくるッている。
「アア、愉快ゆかい。……自分じぶん天地てんちか、天地てんち自分じぶんか」
 颯々さっさつと、尿いばりきりらしながら、沢庵たくあんほしでもかぞえているようにてんあおいでいる。
 おつうは、彼方かなたで、心細こころぼそげに、
沢庵たくあんさん、まだですか。ずいぶんながい」
 やっと、もどってて、
「ついでに、えきててきた。さあ、見当けんとうがついたからもうめたものだ」
えきを」
えきといっても、わしのは心易しんえき、いや霊易れいえきといおう。地相ちそう水相すいそう、また、天象てんしょうなどかんがえあわせ、じっと、をつむったら、あのやまけとた」
高照たかてるですか」
何山なにざんというからんが、中腹ちゅうふくに、のない高原こうげんえるじゃろうが」
「いたどりのまきです」
「いたどり……ものるとは、さいさきがよいぞ」
 沢庵たくあんおおきくわらった。

 ここは東南とうなんむかって、なだらかな傾斜けいしゃと、ひろ展望てんぼう高照峰たかてるみね中腹ちゅうふくで、いたどりのまきさとではぶ。
 まきというからには、いずれうしうまかが放牧ほうぼくしてあるにちがいないが、ぬるい微風びふうくさをなでているだけの寂寞せきばくとしたよるのここには、いま、それらしいかげ一頭いっとうあたらない。
「さ、ここでじんくのだ。さしずめ、てき武蔵たけぞうは、曹操そうそう、わしは諸葛孔明しょかつこうめいというところかな」
 おつうは、をおろして、
「――ここでなにをするんです」
すわっているのさ」
すわっていて、武蔵たけぞうさんがつかまりますか」
あみをかければ、そらとぶとりさえかかる。造作ぞうさもないことだ」
沢庵たくあんさんは、きつねにでもままれているんじゃありませんか」
こう、ちるかもれない」
 あつめて、沢庵たくあんは、焚火たきびつくった。おつうは、幾分いくぶんづよくなって、
って、にぎやかなものですね」
こころぼそかったのか」
「それは……だれだって、こんなやまなかかすのは、いいものじゃないでしょう。……それに、あめってたらどうするです?」
のぼってくる途中とちゅう、このしたみち横穴よこあなておいた。ったらあそこへもう」
武蔵たけぞうさんも、ばんや、あめは、そんなところかくれているんでしょうね。……一体いったいむらひとは、なんだって、あんなにまで武蔵たけぞうさんをのかたきにするのかしら」
「ただ権力けんりょくがそうさせるのだな、純朴じゅんぼくたみほど官権かんけんこわがるから、官権かんけんおそるるあまり、自分じぶんたちのつち……兄弟きょうだいを、郷土きょうどからそうとする」
「つまり、自分達じぶんたちだけのかばうんでしょう」
無力むりょくたみには、そこはじょすべきところもあるが」
れないのは、姫路ひめじのお武士さむらいたちです、たった一人ひとり武蔵たけぞうさんを、あんなにまで、大騒おおさわぎしなくっても」
「いや、それも治安ちあんのためにはやむをまい。そもそも武蔵たけぞうせきはらからえずてきわれているような気持きもちられていたので、むらかえるのに、国境こっきょう木戸きどやぶってはいってたのがよろしくないことだ。やま木戸きどまもっていた藩士はんしころし、そのためつぎからつぎへと、人間にんげんあやめなければ、自分じぶん生命せいめいたもてなくなったのは、だれまねいたわざわいでもない、武蔵自身たけぞうじしん世間知せけんしらずからおこったことだ」
「あなたも、武蔵たけぞうさんをにくみますか」
にくむとも。わしが領主りょうしゅであっても、断乎だんことして、かれ厳科げんかしょし、四民しみんせしめに、きにせずにはおかない。かれに、くぐすべがあれば、くさきわけても、とらえて磔刑はりつけにかける。多寡たかれた一人ひとり武蔵たけぞうをなどと、寛大かんだいにしておいたら、領下りょうか紀綱きこうがゆるむというものだ。まして、いまのような乱世らんせには」
沢庵たくあんさんは、わたしにはやさしいけれど、案外あんがいはらなかはきついんですね」
「きついとも、わしはその公明正大こうめいせいだい厳罰げんばつ明賞めいしょうおこなおうとするものだ。その権力けんりょくをあずかって、ここへている」
「……オヤ!」
 おつうは、びくりとしたように焚火たきびのそばからった。
なにか、いま彼方むこうなかで、ガサッと跫音あしおとがしやしませんか?」