180・宮本武蔵「風の巻」「次男坊(9)(10)」


朗読「180風の巻22.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 16秒

 吉岡よしおかという存在そんざいおおきかっただけに、けた打撃だげきもまたおおきかったのである。
 武蔵むさしからあたえられた木剣ぼっけん一撃いちげきは、当主とうしゅ肉体にくたいをああしたばかりでなく、既成勢力きせいせいりょく吉岡一門よしおかいちもんというものを、根底こんていから駄目だめにしてしまったかたちだった。
(よもや)
 と、自尊じそんしきっていた一門いちもん気持きもちがみなくずして、その後始末あとしまつにしても、以前いぜんのような一致いっちいている。
 いちどけた傷手いたで深刻しんこくにがさが、錯然さくぜんと、ってもみなかおにただよっていて、なにを相談そうだんするにつけても敗者はいしゃかたむきたがる消極しょうきょくか――また極端きょくたん積極せっきょくへとはしりたがってまとまらない。
 伝七郎でんしちろうむかえるまえから、
武蔵むさし二度にど試合しあいもうしやって、雪辱せつじょくこころみるか)
(それとも、このまま自重策じちょうさくをとるか)
 というこうふたつの意見いけんは、古参門下こさんもんかなかにも対立たいりつしていて、いま伝七郎でんしちろう意思いし同意どういかおつきをしめものあんに、清十郎せいじゅうろうかんがえに共鳴きょうめいしているらしいものとふたいろあった。
 ――だが、
はじ一時いっときのこと、万一まんいちこれ以上不覚いじょうふかくをかさねることでもあっては)
 というような隠忍いんにん主義しゅぎは、清十郎せいじゅうろうなればこそいえるのであって、古参こさんたちは、むねおもっても、くちせないことだった。
 ことに、覇気はき満々まんまん伝七郎でんしちろうまえでは、なおさらである。
「――そんな女々めめしい、卑怯未練ひきょうみれん兄貴あにき言葉ことばを、いくら病中びょうちゅうとはいえ、素直すなおいていられるか」
 ここへはこうつされてさかずきって、めいめいにさけをつがせ、伝七郎でんしちろうは、きょうからあにかわって自分じぶん経営けいえいにあたるこの道場どうじょうに、まず自分流じぶんりゅう気分きぶんかもそうとするらしい剛毅ごうきふうせた。
「おれは、断言だんげんするぞ、武蔵むさしつと! ……。あにがなんといおうと、おれはやる。武蔵むさしをこのままほうっておいて、家名大事かめいだいじに、道場どうじょう維持いじかんがえてけなどという兄貴あにきのことばは、いったい武士ぶしくことばか。そんなかんがえだから、武蔵むさしやぶれるのは当然とうぜんだ。――貴様きさまたちも、その兄貴あにきとおれとを、一緒いっしょるなよ」
「それはもう……」
 と、くちにごしたあとで、南保なんぽう余一兵衛よいちべえという古参こさんがいった。
御舎弟ごしゃていのおちからは、我々われわれしんじておりますが……だが」
「だが……なんだ?」
「お兄上あにうえのおかんがえにしてみると、相手あいて武蔵むさし一介いっかい武者修行むしゃしゅぎょう、こちらは室町家以来むろまちけいらい御名家ごめいかはかりにかけてみても、これはそん試合しあいで、ってもけてもつまらない博奕ばくちだと、こう賢明けんめいさとられたのではございますまいか」
「――博奕ばくちだと」
 伝七郎でんしちろうがキラとむつかしくひかったので、南保余一兵衛なんぽうよいちべえはあわてて、
「アア、失言しつげんでした。そのことばはします」
 みなまでかずに、
「これ」
 と、伝七郎でんしちろうかれえりがみをつかんでち、
「……け! 臆病者おくびょうもの
失言しつげんでした、御舎弟ごしゃてい……」
「だまれっ、貴様きさまのような卑劣者ひれつものは、おれと同席どうせきする資格しかくがない。――れッ」
 ばしたのである。
 道場どうじょう羽目板はめいたをぶつけたまま、南保余一兵衛なんぽうよいちべえさおになっていたが、やがてしずかにすわって、
御一同ごいちどう永々ながなが世話せわ相成あいなりました」
 それから正面しょうめん神壇かみだんへも礼儀れいぎをして、ついと、やしきそとった。
 ――もくれないで、
「さあ、め」
 伝七郎でんしちろうは、一同いちどうさけをすすめていう。
んだうえで、今日きょうからひとつ武蔵むさし宿所しゅくしょさがしてくれい。なに、まだ他国たこくへはていまい。ほこって、そこらをかたいからしてあるいているに相違そういない。――いいか、そのほうの手配てはいと、つぎにはこの道場どうじょうだ。こうさびれさせていてはいかぬ。ふだんのとお稽古けいこはげみあうことだな。……おれも一寝入ひとねいりしてから道場どうじょうるよ。兄貴あにきとちがって、おれのはちとはげしいぞ。そのつもりで、末輩まっぱいにも、これからはびしびしやってもらいたい」

 それから七日なのかほどあとのこと。
「わかった!」
 とそとからおめきながら、吉岡道場よしおかどうじょうへもどって一名いちめい門人もんじんがある。
 道場どうじょうでは、先頃さきごろから伝七郎自身でんしちろうじしんって、予告よこくしておいたとおり、ひどく手荒てあら稽古けいこをつけはじめた。
 いまも、かれのつかれをらない精力せいりょく大勢おおぜい辟易顔へきえきがおして、つぎざしをけるのをおそれるかのようにみなすみり、古参こさん太田黒おおたぐろ兵助ひょうすけがまるでどもみたいにあしらわれているのをていたところだった。
て、太田黒おおたぐろ
 伝七郎でんしちろう木剣ぼっけんをひいて、いま道場どうじょうはしかおをあらわしてすわったおとこをやり、
「わかったか」
 と、そこからいった。
「わかりました」
「どこにいたか、武蔵むさしは」
実相院町じっそういんちょうひがしつじ――ぞくにあのへん本阿弥ほんあみつじともんでおりますが、そこの本阿弥ほんあみ光悦こうえついえおくに、たしかに武蔵むさし逗留とうりゅうしておる様子ようすなので」
本阿弥ほんあみいえに。――はてな? 武蔵むさしのような田舎出いなかで修行者しゅぎょうしゃずれと、あの光悦こうえつが、どうしていなのだろうか」
縁故えんこのほどはよくわかりませぬが、とにかく、とまっていることはたしかです」
「よしっ、すぐ出向でむこう」
 支度したくに――とおく大股おおまたはいってゆくと、ついてった太田黒兵助おおたぐろひょうすけや、植田良平うえだりょうへいなどの古参こさんたちがめて、
「ふいに出向でむいてってつなどということは、喧嘩けんか意趣いしゅめいて、っても、世間せけんがよくいいますまい」
稽古けいこには礼儀作法れいぎさほうもあろうが、という実地じっち兵法へいほうに、作法さほうはない、ったほうがちだ」
「ですが、お兄上あにうえ場合ばあいがそうではなかったのですから。――やはり、まえもって書状しょじょうをつかわし、場所ばしょ時刻じこくやくしておいて、堂々どうどうとお試合しあいになったほうが立派りっぱかとぞんじますが」
「そうだ、そうしよう、おまえたちのいうとおりにするが、まさかそのあいだに、また兄貴あにきげんにうごかされて、門人もんじんまでがとどめだてはすまいな」
異論いろんいだものや、また吉岡道場よしおかどうじょう見限みかぎった恩知おんしらずは、この十日とおかほどのあいだに、すべてここのもんからてゆきました」
「それでかえって、この道場どうじょう強固きょうこになった。祇園藤次ぎおんとうじのような不届ふとどもの南保余一兵衛なんぽうよいちべえのような臆病者おくびょうもの、すべてはじらぬ腰抜こしぬけは自分じぶんからったがよい」
武蔵むさし書面しょめんをつかわすまえに、一応いちおうはお兄上あにうえみみへも」
「そのことなら、おまえたちではだめだ、おれがってはなしめる」
 兄弟ふたりのあいだに、この問題もんだいは、まだ十日前とおかまえのままだった。あれ以来いらい、どっちも自分じぶん意見いけんげないのである。古参こさん者達ものたちは、またいさかいにならねばよいがとあんじていたが、おおきなこえれてくる様子ようすもないので、さっそく武蔵むさしてて指定していしてやる二度目にどめ場所ばしょ日取ひどりひざぐみで相談そうだんしていた。
 ――と清十郎せいじゅうろう居間いまから、
「おいっ、植田うえだ御池みいけ太田黒おおたぐろ、ほかのものも、ちょっとかおをかしてくれ」
 清十郎せいじゅうろうこえではない。
 かおをそろえてってると、伝七郎でんしちろう一人ひとりきりでぼんやりっているではないか、こんなかおつきのかれ古参こさんものたちもはじめてみた。伝七郎でんしちろうきかけているのだった。
てくれ――みんな」
 にひろげていたあに置手紙おきてがみ一同いちどうしめして、伝七郎でんしちろう言葉ことばではおこっていた。
兄貴あにきのやつ、おれにむかってまた、こんなながたらしい意見手紙いけんてがみき、これをのこして家出いえでしてしまった。さきいてないのだ……さきも……」