174・宮本武蔵「風の巻」「二人小次郎(7)(8)」


朗読「174風の巻16.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 03秒

 ふとづくと、そのときしただれ人影ひとかげがうごいていた。
 小次郎こじろうが、こずえうえにいることをその人間にんげんらないらしい。
「……や、だれたおれているが」
 と、又八またはちのそばへって、かがごしになりながら又八またはちかおのぞいていたとおもうと、やがて、
「あっ、こいつだ」
 と、こずえうえまでよくきこえてくるような大声おおごえでいって、いかにもおどろいたらしいていであった。それは白木しらきつえっている六部ろくぶであった。六部ろくぶ何思なにおもったか、あわてておいずるをろし、
「……はてな、られているようでもないし、からだはまだぬくいし、どうして此奴こやつめ、うしなっているのか」
 つぶやきながら、又八またはちからだでまわしていたが、やがてこしについていた細曳ほそびきくと、又八またはち両手りょうてうしろへやって、ぐるぐるきにしばってしまう。
 気絶きぜつしていることなので又八またはちはなんの抵抗ていこうもするわけはない。六部ろくぶは、そうしておいてから、又八またはちひざがしらでおさえ、鳩尾みぞおちのあたりへ、気合きあいをかけてしていた。
 ウウム――と又八またはちふとこえすと、六部ろくぶはそうして手当てあてしたものを、まるで芋俵いもだわらでもげるようなあつかかたして、したってた。
てっ、つんだ!」
 こう厳命げんめいして、あしかれ蹴飛けとばした。
 地獄じごく一丁目いちちょうめまでってがついたばかりの又八またはちは、まだ十分じゅうぶんわれにかえっていなかったであろう。なかば、夢中むちゅうのように、からだおこすと、
「そうだ、そうしていろ」
 六部ろくぶ満足まんぞくして、かれどうあし部分ぶぶんを、そのまままつみきしばりつけてしまった。
「……あっ?」
 又八またはちはじめて、こうおどろごえらした。小次郎こじろうでなくて、六部ろくぶであったことは、意外いがいであったらしい。
「こら、にせ小次郎こじろう、よくも足早あしはやげまわって、ひと世話せわやきかせおったな。……だが、もう駄目だめだぞ」
 六部ろくぶはこういって、おもむろに又八またはち拷問ごうもんはじめた。
 まず最初さいしょ折檻せっかんが、平手ひらてでぴしりとほおってた。そのでまた、ひたいをつよくされたので、又八またはち後頭部こうとうぶみきにぶつかってごつんとにぶおとした。
「あの印籠いんろうは、どこかられたものか、それをもうせ、こら、もうさぬか」
「…………」
「いわぬな」
 と、六部ろくぶは、又八またはちはなをつよくつまむ。
 つまんでおいて、又八またはちかおを、左右さゆうはげしくうごかすので、又八またはちみょう悲鳴ひめいをあげて、
「……ひゅう、ひゅう」
 いう、という意味いみらしいので六部ろくぶはなからはなし、
もうすか」
 こんどは明瞭めいりょうに、
「いう」
 と、又八またはちからなみだをこぼしてこたえる。
 こんな拷問ごうもんわされないでも、又八またはちはもうあのことを、かくしにつつんでいる勇気ゆうきはないのである。
じつは、去年きょねんなつのことだったので――」
 と、伏見城ふしみじょう工事場こうじば自分じぶん石曳いしびきをしているうちに遭遇そうぐうした「あごのない武者修行むしゃしゅぎょう」のをつぶさにはなし、
「……つい出来心できごころで、そのひと死骸しがいから金入かねいれと、中条流ちゅうじょうりゅう印可いんかと、それから先刻さっき印籠いんろうとをってげたに相違そういありません。かねは、つかってしまいました、印可いんか懐中ふところっております。生命いのちをおたすけくださるならば、いまというわけにはまいりませんが、かねもきっと後日ごじつまでに、はたらいてご返済へんさいいたしまする。……はい、証文しょうもんいておわたしいたしておいてもようございます」
 白状はくじょうして、こうのこらずいってしまうと、又八またはちは、去年きょねんからえずこころんでいたうみをいちどにってしてしまったようで、きゅうがらくになったせいか、なんだかこわいものもなくなってた。

 おわると、六部ろくぶは、
「それに相違そういないか」
 又八またはちは、神妙しんみょうに、
相違そういありません」
 といって、すこし俯向うつむく。
 しばらくだまっていたとおもうと、六部ろくぶこし小脇差こわきざしいて、かれかおまえへすっとした。又八またはちは、びくりとななめにかおげ、
「き、きるのか、おれを」
「ウム、生命いのちをもらう」
「おれは、一切いっさい正直しょうじきにいったじゃないか。印籠いんろうかえしたし、印可いんか巻物まきものかえす。それから、かねいまはらえないが、後日ごじつ、きっとかえすといってるのに、なにもおれを、ころさなくてもいいだろう」
「おぬしの正直しょうじきはよくわかっている。だが、仔細しさいをいえば、わしは上州じょうしゅう下仁田しもにたもので、伏見城ふしみじょう工事場こうじば大勢おおぜいものころされた草薙天鬼くさなぎてんきさま奉公人ほうこうにんなのだ。――つまりあの武者修行むしゃしゅぎょうておられた草薙家くさなぎけ若党わかとうで、いっ宮源八みやげんぱちというのだが」
 そんな言葉ことばは、又八またはちみみにはとおらなかった。直面ちょくめんしているのである。をもがいて、自分じぶん縄目なわめをかなしみ、どうかしてのがれたいとおもうことだけだった。
「――あやまる、おれがわるかったのだ、おれはなにも、わる量見りょうけんで、あの死骸しがいからものぬすんだわけじゃない。死人しにんがいまわのきわに、たのむ……といったので、はじめはその遺言ゆいごんどおりに、死人しにん身寄みよりのものとどけてやるつもりでいたのだが、かねにつまって、ついあずかっていたかねをつけたのがわるかったのだ。いくらでもあやまるから、勘弁かんべんしてくれ、どんなようにでもあやまるから――」
「いいや、あやまられてはこまる」
 六部ろくぶは、いて自己じこ感情かんじょうおさえつけているように、くびって、
「そのおりくわしい事情じじょうは、伏見ふしみまち調しらべてあるし、おぬしが正直者しょうじきものだということもておるのだから。――だが、わしはくにもとにいる天鬼様てんきさま遺族いぞくたいして、なにか、なぐさめるものをげてかなければかえれない事情じじょうにあるのだ。そこには、いろいろなわけがあるが、おもなる理由りゆうは、天鬼様てんきさまあやめた下手人げしゅにんがないことだ。これにはわしもよわってしもうた」
「おれが……おれがころしたのじゃないぞ。……おいっ、おいっ、間違まちがえてくれてはこまる」
「わかってる、わかってる。――そこは十分承知じゅうぶんしょうちしているが、とお上州じょうしゅうにある草薙家くさなぎけのご遺族いぞくたちは、天鬼様てんきさまが、しろぶしんの作事場さくじばで、土工つちく石工いしくなどになぶりころしになったのだとはごぞんじないし、また、左様さようなことは、外聞がいぶんがわるくて、身寄みよりのもの世間せけんへも披露ひろういたしにくい。そこで、おぬしにはどくたのみだが、どうかおぬしが天鬼様てんきさまころした下手人げしゅにんとなり、この源八げんぱちに、しゅかたきとなって、たれてもらいたいのだが、なんとれてはくれまいか」
 これこそ、ことをわけてのたのみというものであるが、又八またはちは、そうくと、いよいよもがいて、
「ば、ばかなことをっ……いやだっ、いやだっ、おれはまだにたくないからだだ」
「ごもっともなおおせではあるが、さっき九条くじょう居酒屋いざかやんだはらいもできぬほど、その身一みひとつさえきてゆくにてあましておられるご様子ようすではないか。えてこのせちがらなかにうろついて、はじをかいておられるより、いっそ、さっぱりと頓証とんしょうなされてはどうでございまするな。――さてまた、おかねのことならば、自分じぶん所持しょじのうち何分なにぶんだけでも、おぬしの香奠こうでんとしてしんぜますゆえ、これをお心残こころのこりの年寄としよりがあるならその年寄としよりへ、また回向えこうとして、先祖せんぞてらおさめてくれというならばそのおてらへ、かならずおとどもうしておくが」
滅相めっそうもねえ……おらおかねなんぞはいらねえ、生命いのちしい! ……いやだっ、たすけてくれっ」
折角せっかくなれど、こう仔細しさいっておたのみもうしたうえは、どうあってもおぬしに、主人しゅじんかたきとなってもらわねば仕方しかたがない。そのくびをいただいて、上州じょうしゅう立帰たちかえり、天鬼様てんきさまのご遺族いぞく世間せけんたいして、事情じじょうつくろ心底しんそこでござる。――又八またはちどのとやら、これも宿世すくせ約束やくそくごととあきらめてください」
 源八げんぱちは、やいばなおした。