173・宮本武蔵「風の巻」「二人小次郎(5)(6)」


朗読「173風の巻15.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 19秒

「フーム」
 やがて小次郎こじろうは、そううなりながら、笑靨えくぼをつくった。
 まじまじと無遠慮ぶえんりょ自分じぶんているを、又八またはちは、ぐっとめかえして、
「なんだっておれのつらをそうるのだ。おれのうけたまわっておそったか」
「イヤ、おそった」
かえれ!」
 あごをすくって、又八またはちが、かたなつかをセリしていうと、
「アハハ、アハハハ……」
 はらをかかえて小次郎こじろうわらした。いつまでも、わらいのまらない様子ようすで、
世間せけんあるくと、ずいぶん様々さまざま人物じんぶつにも出会であうが、まだかつて、こんなにおそったためしはない。――なんと佐々木小次郎ささきこじろうどの、あなたにいてみるが、しからば、拙者せっしゃ何者なにものであろうか」
「なに?」
「わしは一体いったい何者なにものかと、あなたにいてみるのだが」
ったことか」
「いやいやそうでない、よくご存知ぞんじはずである。しつこいようだがねんのため、もういちどうけたまわりたい。あなたのご姓名せいめいは、なんといいましたかな」
「わからぬか、おれは佐々木小次郎ささきこじろうというものだ」
「すると、わしは?」
人間にんげんだろう」
「いかにも、それにちがいない。しかし、わしという人間にんげんは」
「こいつが、おれをなぶか」
「なんの、大真面目おおまじめ。これ以上いじょう真面目まじめはない。――小次郎先生こじろうせんせい、わしはだれだ?」
「うるせえ、てめえのむねくがいい」
「しからば、自分じぶんうて、おこがましいが、わしも名乗なのろう」
「オオいえ」
「だが、おどろくな」
「ばかな!」
「わしは、岸柳佐々木小次郎がんりゅうささきこじろうだが」
「えッ……?」
祖先以来そせんいらい岩国いわくにじゅうせい佐々木ささきといい、小次郎こじろうおやからもらい、また剣名けんめい岸柳がんりゅうともよぶ人間にんげんはかくいうわたしであるが――はて、いつのまに、佐々木小次郎ささきこじろう世間せけんふたつできたのだろうか」
「……や? ……じゃあ? ……」
世間せけんあるくうちには、ずいぶん様々さまざま人物じんぶつにもめぐうが、まだかつて、佐々木小次郎ささきこじろうという人間にんげん出会であったのは、この佐々木小次郎ささきこじろううまれてはじめてだ」
「…………」
じつに、ふしぎなごえんはじめておにかかったが、さては、貴殿きでん佐々木小次郎ささきこじろうどのか」
「…………」
「どうなすった、きゅうに、ふるえておいでなさるようだが」
「…………」
仲良なかよくしよう」
 小次郎こじろうは、ってた。そして、すくんだままあおざめている又八またはちかたをぽんとたたくと、又八またはちはぶるっとからだをふるわして、
「――あッ!」
 と、おおきなこえでいった。
 つぎこえは、小次郎こじろうくちからたもので、まるでやりくようにかれかげいてくる。
げると、るぞッ」
 ――一跳ひととびに、二間にけんもあいだがいたようにえたが、その又八またはちげてかげへ、れい物干竿ものほしざお長刀ながものが、小次郎こじろう肩越かたごしからひらめいて、びゅっと、銀蛇ぎんだやみえがくと、もうそれを小次郎こじろうは、ふた太刀たちとは使つかわなかった。
 かぜかれた葉虫はむしのように、大地だいちをごろごろとみっつほどころがったまま、びてしまったのが又八またはちだった。

 なかのさやへ、三尺さんじゃくもある白刃しらはわれて、ぴいんと、すべちたとたんにたか鍔鳴つばなりがひびく。
 ――と、小次郎こじろうはもう、呼吸いきのない又八またはちなどには、もくれていなかった。
「――朱実あけみっ」
 したって、こうさけびながらこずえあげた。
朱実あけみりておいで。……もうあんなことはしないからりておいで。……おまえの養母はは亭主ていしゅだったというおとこをついってしまった。りてて、介抱かいほうしてやってくれ」
 うえからは、いつまで、なんのこえもなかった。こんもりと松葉まつばやみいのである。小次郎こじろうはやがて、自分じぶんうえへよじのぼってった。
「……?」
 朱実あけみはいなかった。いつのまにかすきをすべりちるなりげてしまったものとえる。
「…………」
 こずえこしをかけたまま、小次郎こじろうはしばらくそこにじっとしていた。颯々さっさつとふくまつかぜのなかいて、げた小鳥ことり行方ゆくえおもっているらしかった。
(どうして、あのおんなは、おれをああこわがるのだろうか?)
 小次郎こじろうには、それがわからなかった。自分じぶん出来できるだけのあい彼女かのじょにはそそいだつもりだからである。そのあいかたが、すこし、はげしすぎたことは自分じぶんでもみとめている。しかし、そのあいかたが、ふつうのひとよりもちがっていることは、彼自身かれじしんではづきないのであった。
 女性じょせいたいしては、小次郎こじろうあいかたが、どういうふうにひととはちがっているかというてんろうとするならば、他人たにんならば、かれけんにあらわれる性格せいかく――つまり太刀たちすじというものををつけてていると、ややけてるのである。
 いったい、この小次郎こじろうというものは、鐘巻自斎かねまきじさい手許てもとで、子飼こがいからの修行しゅぎょうけているころから、もう、鬼才きさいだとか、麒麟児きりんじだとかいわれていただけに、普通ふつうひととは、まるでけんたちかわっていた。
 それを一口ひとくちにいうと「ねばり」であった。かれ太刀たちじつによく「ねばる」ところに先天的せんてんてき特色とくしょくがあった。自分以上じぶんいじょうちからものむかえばむかうほど、その「粘力ねんりょく」をすのである。
 もちろんこの時代じだいけんは、兵法へいほうとして、手段しゅだんわないのであるから、どんなふうにねばっても、それを、きたないとはだれもいわなかった。
(あいつに、かかられては、かなわん)
 とおそれをなすものはあっても、小次郎こじろう太刀たち卑怯ひきょうだというものはない。
 たとえば、かれ少年しょうねん頃一度ころいちど日頃憎ひごろにくまれていた兄弟子あにでしたちから木剣ぼっけん手痛ていたせられて、気絶きぜつしてしまったことがある。すこしひどすぎたといて、その兄弟子あにでしが、みずをふくませていたわっていると、いきをふっかえした小次郎こじろうは、猛然もうぜんとふいにって、その兄弟子あにでし木剣ぼっけんで、兄弟子あにでしなぐころしてしまったという履歴りれきすらある。
 また、いちどけたら、そのてきを、かれけっしてわすれない。やみばんであろうが、雪隠せっちんへはいったときであろうが、ているあいだであろうがつけねらうのである。これも、そのころ兵法へいほうとしては、
(ばか、試合しあいは、試合しあいときにしろ)
 というわけにはかないのであるから、小次郎こじろう一度打いちどうむと、敵持かたきもちになったのもおなじだといって、そういうかれ異常いじょう執拗しつようを、同門どうもんものはよくいわなかった。
 いつのまにか、またかれは、
(おれは天才てんさいだ)
 と、自分じぶんでいっていた。
 しかしそれは、かれ不遜ふそんおもがりばかりでなく、自斎じさい一刀斎いっとうさいも、
(あれは天才てんさいだ)
 と、ゆるしていたことは事実じじつなのである。
 郷里きょうり岩国いわくにかえって、錦帯橋きんたいばしのたもとで、毎日まいにち燕斬つばめぎりの手練てれんをつんで、独自どくじ太刀たち工夫くふうしてからは、なおさら、
岩国いわくに麒麟児きりんじ
 と、ひとたたえ、かれ自負じふしていた。
 ――だが、そのねばりのあるけん異常いじょう執拗しつようさが、女性じょせいあい場合ばあいに、どういうかたちであらわれるかなどということは、だれかぎりのことでないし、小次郎自身こじろうじしんは、それとこれとは、まるでべつにかんがえているので、朱実あけみ自分じぶんきらってげたことが、不思議ふしぎでならないかおつきであった。