168・宮本武蔵「風の巻」「生きる達人(7)(8)」


朗読「168風の巻10.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 32秒

 石舟斎せきしゅうさいおもいだしながら、その茶碗ちゃわんをまえにおいてつめていると、ふとまた武蔵むさしは、あのとき石舟斎せきしゅうさいからおくられた一枝ひとえだ芍薬しゃくやくおもいだした。
 ――白芍薬しろしゃくやくはなをではない、あのえだくちを。あのときうけたつよ戦慄せんりつを。
(おやっ)
 と、くちたかとおもうほど、武蔵むさしは、その茶碗ちゃわんからこころへひびいてるなにものかにはげしくたれた。
 べて、きこむように、茶碗ちゃわんひざせてる。
(……?)
 いままでの武蔵むさしとはまるでひとちがったようなねつをおびたひかりが、つぶさに、茶碗ちゃわんのそこや箆目へらめいって、
(……石舟斎せきしゅうさいった芍薬しゃくやくえだくちと、この茶碗ちゃわんつちってある箆目へらめのするどさと。……ウウム、どっちともいえない非凡人ひぼんじんげいえだ)
 肋骨あばらふくらむようにいきがつまってくる。――なにゆえにという説明せつめいかれにもつかないのである。巨腕きょわんった名匠めいしょう力量りきりょうがそこにひそんでいるというほかはない。肉声にくせいあらわしがたい無言むごんのことばが、沁々しみじみこころってくるのである。それをれる感受性かんじゅせいを、武蔵むさしひといちばいっていることも事実じじつである。
だれだろう、このつくは)
 つとはなせないのするような触覚しょっかくなのだ。
 武蔵むさしは、かずにはいられなかった。
光悦こうえつどの、わたしには、いまもいったとおり、陶器やきもののことなど、皆目かいもくわからないのですが、この茶碗ちゃわんは、よほど名工めいこうつくったものでしょうな」
「どうして?」
 光悦こうえつのことばは、かおのようにやわらかい。あつぼったいくちびるではあるが、おんなみたいな愛嬌あいきょうをこぼすことがある。すこまなじりはがっているが、さかなのようにながで、があって、たまたま、揶揄やゆするようなしわもよせる。
「――どうしてといわれるとこまるのですが、ふと、そんながするのです」
「どこか、なにかを、おかんじになったのでしょう、それをっしゃってください」
 と、光悦こうえつ意地いじがわるい。
「さあ?」
 武蔵むさしかんがえて、
「――では、いいくせませんが、いいましょう。このへらですぱっとってあるつちあとですが……」
「ふむ!」
 芸術家げいじゅつかまえ光悦こうえつっていた。芸術げいじゅつ理解りかいなどは程度ていどがひくいものと相手あいてをきめてかかって、武蔵むさしひくていたのだった。ところが案外あんがい、いい加減かげんいていられないことをいいしそうなので、きゅうおんなのようなやさしくてあつくちびるが、むずかしくおおきくまった。
「――へらあとを、武蔵むさしどのは、どうおもいますか」
「するどい!」
「それだけですか」
「いや、もっと複雑ふくざつだ。非常ひじょうふとぱらですな、この作者さくしゃは」
「それから」
かたなでいえば、相州物そうしゅうもののように、ればどこまでもれる。けれどうるわしいにおいでつつんでおくことをわすれない。また、この茶碗ちゃわん全体ぜんたいのすがたからいえば、非常ひじょう素朴そぼくにはえるが、気位きぐらいといいましょうか、どこかに王侯おうこうのような尊大そんだいふうがあって、ひとひとともおもわないところもある」
「ウウム……なるほど」
「ですから、この作者さくしゃは、人間にんげんとしても、ちょっとそこがわからないような人物じんぶつだとわたしおもう。しかし、いずれのある名匠めいしょうにはちがいありますまい。……ぶしつけですが、うかがいます、いったいなんという陶工とうこうですか、この茶碗ちゃわんいたひとは」
 すると光悦こうえつは、あつでなさかずきのふちみたいなくちびるほころばせて、よだれをたたえながらいった。
「わたくしですよ。……ハハハハ、わたくしがいたずらにいたうつわですよ」

 光悦こうえつもひとがわるい。
 武蔵むさし批評ひひょうさせるだけ批評ひひょうさせておいてから、さて、その茶碗ちゃわん作者さくしゃならじつはわたくしです、といったものである。揶揄やゆされたような悪感あっかん相手あいていだかせないところなどは、なおさらつみがふかいといわなければならないが、四十八歳よんじゅうはっさい光悦こうえつと、二十二歳にじゅうにさい武蔵むさしとでは、年齢としというものがやはりあらそえない。武蔵むさしは、自分じぶんこころみられているなどとはすこしもおもわず、正直しょうじき感服かんぷくして、
(このひとはこんな陶器やきものまで自分じぶんくのか。……この茶碗ちゃわん作者さくしゃがこのひとだとはおもえなかったが)
 と、光悦こうえつ多芸多能たげいたのうさいに、いやそのさいよりも、粗朴そぼく茶碗ちゃわんのような姿すがたをしていて、じつはそのうちかくしている人間的にんげんてき奥行おくゆきふかさを――武蔵むさし気味きみわるいほどにおもった。
 かれ自負じふしているけんことわりから、この人物じんぶつそこはかろうとしても、ちあわせの尺度ものさしでは寸法すんぽうらないような尊敬そんけい正直しょうじきってしまった。
 こうかんじてたら、武蔵むさしはもうよわい。その人間にんげんたいして、あたまげずにいられない性分しょうぶんなのだ。自分じぶん未熟みじゅくさを、ここにも見出みいだして、かれ大人おとなまえちいさく羞恥はにかんでしまう一箇いっこ未成年者みせいねんしゃでしかなかった。
「あなたも、陶器とうきはおすきのようだな、なかなかよくる」
 光悦こうえつがいうと、
「いや、拙者せっしゃは、皆目かいもくそのほうのことはわかりませぬ、あて推量ずいりょうです。失礼しつれいなことをもうして、おゆるしください」
「それはそうでしょう、いい茶碗一ちゃわんひとくにも、一生いっしょうかかるみちですから。けれど貴方あなたには、芸術げいじゅつ理解りかいする感受性かんじゅせいがある、かなりするどい――やはりけんをおつかいになるので自然しぜんやしなわれたでしょうな」
 光悦こうえつ多分たぶんに、武蔵むさし人間にんげんを、こころのうちではみとめていた。しかし大人おとなというものは、感心かんしんしてもくちめないものだった。
 つい、ときつのを武蔵むさしわすれていた。そのうちに、下男げなんが、してくると、妙秀みょうしゅうは、かゆ菜根さいこんいて、これを光悦こうえつづくりらしい小皿こざらり、かめ芳醇ほうじゅんけて、ささやかな食事しょくじはじまる。
 その茶料理ちゃりょうりも、武蔵むさしには、あまりに淡味たんみすぎて、美味うまいとはおもわなかった。かれ肉体にくたいは、もっと濃厚のうこうあじあぶらほっしているから。
 ――けれどかれは、素直すなお大根だいこんのうすいあじあじわおうとした。光悦こうえつからも妙秀みょうしゅうからも、ならっていいものが多分たぶんにあることをったからである。
 ――が何時いつ吉岡方よしおかがたものが、報復ほうふくたくんで、ここへせまってないともかぎらない。武蔵むさし落着おちつかない気持きもち時々駆ときどきかられて、遠方此方おちこちまわした。
「ご馳走ちそうになりました。さきいそでもありませんが、試合しあいおよんだ相手方あいてがた門人もんじんまいると、ご迷惑めいわくがかからぬかぎりもありませぬ。――いずれまた、ごえんがあれば」
 妙秀みょうしゅうは、って武蔵むさし見送みおくって、
本阿弥ほんあみつじへも、おついでのおりになど、ってくだされい」
 光悦こうえつもうしろからいった。
武蔵むさしどの、おりあらためて、たくのほうへ、おください。――ゆるりとまた、はなしましょう」
まいります」
 るかるかとおもっていた吉岡方よしおかがたものかげは、のどこにも見当みあたらない。――武蔵むさしはもういちどりかえって、光悦こうえつ母子おやこあそんでいる毛氈もうせん世界せかいをながめた。
 自分じぶんあるいているみちは、ただいちで、ほそくてけわしいみちだとおもう。光悦こうえつたのしんでいる天地てんちあかるくてひろいことにはおよぶべくもない。
「…………」
 武蔵むさし黙々もくもくと、野末のずえむかって、まえのとおり俯向うつむきがちにあるいてった。