167・宮本武蔵「風の巻」「生きる達人(5)(6)」


朗読「167風の巻9.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 58秒

 かなり距離きょりはあるが、やはりこのつづきである蓮台寺野れんだいじので、今朝けさがた自分じぶん吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうとの試合しあいがあったことを、この光悦こうえつっていたのか。
 それをりながら、そんなことはまるで、世界せかいさわぎとして、しずかにこうしていたのか。
 ――武蔵むさしは、もいちど光悦こうえつ母子おやこ姿すがた見直みなおした。そして、すわなおした。
「では、せっかくですから、頂戴ちょうだいしてまいりましょう」
 光悦こうえつはよろこんで、
「おひきとめするほどではありませんが」
 と、すずりばこふたをして、反古ほごがとばないようにはこをのせておく。
 光悦こうえつたれてそれがうごいたときあつ黄金こがね白金しろがね螺鈿らでんでくるまれているようなはこおもてが、燦然さんぜん玉虫たまむしからだみたいにひかってたので、武蔵むさしおもわずをのばしてのぞきんだ。
 したかれてあるのをると、そのすずりばこ蒔絵まきえは、けっして、るような絢爛けんらんではない。うるわしいことは、桃山城ももやまじょう豪華ごうかちいさくまとんだほどもうるわしいが、そのうえ千年せんねんったようなにおいのたかくすみがかかっているのである。
「…………」
 かないように、武蔵むさしいっていた。
 十方じっぽう碧落へきらくよりも、四方しほう野辺のべ自然しぜんよりも、武蔵むさしにはこのちいさい工芸品こうげいひんが、いちばん美麗びれいえた。ているあいだだけでも、なぐさめられた。
「わたくしのすさびですよ、おにいりましたかな」
 光悦こうえつのことばに、
「ほ? あなたは蒔絵まきえもするのですか」
 光悦こうえつだまって微笑びしょうするのみであった。手芸しゅげいが、天然てんねんよりも、とうとえるらしい武蔵むさしをながめて、光悦こうえつこころのうちに、
(この青年せいねん田舎者いなかもの
 と、すこしわらっているようなおもむきである。
 そういう大人おとな高所こうしょから、自分じぶんひくられているとはらないで武蔵むさしは、
見事みごとですな」
 となおも、はなたずにいると、光悦こうえつはまた、
いま、わたくしのすさびといいましたが、その構図こうずはいしてある和歌文字うたもじは、近衛このえ三藐院さんみゃくいんさまのおさくで、またおきになったのもあのおかたです。ですから、ありようは二人ふたり合作がっさくもうさなければなりません」
近衛三藐院このえさんみゃくいんというと、あの関白家かんぱくけの」
「そうです、龍山公りゅうざんこうのお子様こさま信尹のぶただこうのことです」
わたし叔母おば良人おっとにあたるものが、近衛家このえけ長年勤ながねんつとめておりますが」
「なんとっしゃる御人ごじん?」
松尾まつお要人かなめもうします」
「ほう、要人殿かなめどのならば、ようっています。毎度近衛家まいどこのえけにあがるので、お世話せわにあずかったり、また要人殿かなめどのもよく、たくたずねてくださるし」
「ア、そうでしたか」
母者人ははじゃびと
 と、光悦こうえつはまた、そのことを、はは妙秀みょうしゅうにもはななおして、
「どこにごえんつながっているかわかりませぬな」
 といった。
「おおそうか。ではこのおは、要人殿かなめどの義理ぎり甥御おいごか」
 妙秀みょうしゅうはそういいながら、風炉先ふろさきのそばをはなれて、武蔵むさし息子むすこまえへすすみ、優雅しとやか茶式ちゃしき礼儀れいぎをした。
 もう七十ななじゅうぢかい老母ろうぼであったが、茶事ちゃじ作法さほうについていて、自然しぜんごなしや、こまやかにうごゆびさきや、すべての振舞ふるまいが、いかにもおんならしく、やさしく、そしてうつくしかった。
 野人やじん武蔵むさしは、光悦こうえつならってかしこまっていた。その窮屈きゅうくつらしいひざまえに、菓子かし木皿きざらかれた。菓子かしはつまらない淀饅頭よどまんじゅうであったが、この枯野かれのにはあたらないあおいていた。

 けんかたち作法さほうなどがあるように、ちゃにも、ほうがあるといている。
 いまも、妙秀みょうしゅうのそれを、武蔵むさしは、じっとていて、
立派りっぱだ)
 と、おもった。
すきがない)
 かれ解釈かいしゃくは、やはりけんる。
 達人たつじんけんってった姿すがたというものは、さながらこの人間にんげんともおもわれない。その荘厳そうごんなものをいまちゃをたてている七十ななじゅう老母ろうぼのすがたにもかれた。
みち――げい神髄しんずい――何事なにごとたっするとおなじものとみえる)
 うっとりとかれかんがえていた。
 だが。
 われにかえってみると、帛紗ふくさせてひざのまえにかれた茶碗ちゃわんを、武蔵むさしは、どうって、どうんでよいものかとためらった。茶事ちゃじせきになどつらなった経験けいけんもないのである。
 そこらのつち子供こどもこねたように不器用ぶきようえる茶碗ちゃわんだった。しかし、その茶碗ちゃわんのいろのなかにたたえられているみどりあわつぶは、そらよりもしずかでふかいろをしていた。
「…………」
 光悦こうえつはとると、もう菓子かしべている。さむよるあたたかいものでもいだくように、両手りょうて茶碗ちゃわんって、それもふたくち三口みくちんでしまう。
「――光悦こうえつどの」
 武蔵むさしはいってしまった。
武骨者ぶこつものです、じつは、ちゃなどいただいたことがないので、むすべも、作法さほうらないのですが」
 すると、妙秀みょうしゅうが、
「なんのい……」
 と、まごでもたしなめるように、やさしくめた。
ちゃるの、らぬのという、智恵ちえがましいさかしらごとはないものぞよ。武骨者ぶこつものなら武骨者ぶこつものらしゅうんだがよいに」
「そうですか」
作法さほう茶事ちゃじではない、作法さほうこころがまえ。――あなたのなさるけんもそうではありませぬか」
「そうです」
こころがまえに、かたらしては、せっかくの茶味ちゃみそんじまする。けんならば、からだばかりかとうなって、こころかたな円通えんつうというものをうしなうでござりましょうが」
「はい」
 武蔵むさしは、おもわずあたまげて、つぎのことばにみみをすましていたが、ホ、ホ、ホ、ホ、と妙秀みょうしゅうはそのわらして、
「わたくしに、けんのことなどは、なにもわかりませぬがの……」
 と、いった。
「いただきます」
 武蔵むさしは、ひざいたいので、かしこまっていたひざをあぐらになおした。そして、飯茶碗めしぢゃわんからでもむようにがぶとんでしたいた。
にがい)
 とおもった。
 それだけのことで、美味うまいなどとは世辞せじにもいえないがした。
「もういっぷく、いかがでございますか」
「たくさんです」
 どこが美味うまいのか、なんでこんなもの深刻しんこくらしく、あじわび作法さほうのというのか。
 武蔵むさしには、せなかった。しかしかれは、最前さいぜんからこの母子おやこった疑問ぎもんともに、一概いちがい軽蔑けいべつにもなれない。茶道さどうが、自分じぶん正直しょうじきかんじただけのものならば、東山時代ひがしやまじだいなが文化ぶんかつうじて、あのように発達はったつしてくるはずがない。――また、秀吉ひでよしだの家康いえやすだのという人物じんぶつが、そのみち隆盛こうせい支持しじするわけがない。
 柳生やぎゅう石舟斎せきしゅうさいも、老後ろうごをそのみちにかくれていた。おもすと、沢庵坊たくわんぼうもよくちゃのことはいっていた。
 ――武蔵むさしは、帛紗ふくさうえ茶碗ちゃわんへ、もいちどおとした。