166・宮本武蔵「風の巻」「生きる達人(3)(4)」


朗読「166風の巻8.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 56秒

 ――血臭ちぐさいおひと
 世辞せじのない光悦こうえつ老母ははかれのことをさしてそういった。
 おのれのについているにおいというものは、だれでも自分じぶんにはわからないものにちがいないが、武蔵むさしはそういわれて、卒然そつぜんと、自分じぶんかげにこびりついている妖気ようきなまぐささにづいた。そして、この老母ろうぼんだ感覚かんかくに、かつてらない羞恥しゅうちをおぼえた。
武者修行むしゃしゅぎょうどの」
 光悦こうえつは、それをのがさなかった。武蔵むさし烱々けいけいひかっている異様いようまなざしだの、油気あぶらけのない殺伐さつばつかみだの――からだのどこをれてもれそうな様子ようすをしているこの青年せいねんに、かれはなにかしら、あいせるものを見出みいだしているらしいのである。
「おいそぎでなくば、すこしおやすみなさらぬか。まことに静寂しずかでござりますぞ、だまっていても、清々すがすがと、よいもちで、こころそらあおさにけてゆくような」
 老母ろうぼもまた、ともに、
「もすこしんだら、やがて草粥くさがゆいて、馳走ちそうしよう。おきらいでなくば、ちゃいちぷくまいらせようほどに……」
 とこの母子おやこあいだじわっていると武蔵むさしは、自分じぶんのからだにえている殺気さっきとげれてゆくようになごんでくる。他人たにんなかとはおもわれないあたたなのだ。――いつとはなく草鞋わらじいて毛氈もうせんのうえにすわってしまう。
 うちけて、だんだんいてみると、この老母ろうぼ妙秀みょうしゅうといって、みやこでもかくれのない賢婦人けんふじんであるし、息子むすこ光悦こうえつも、本阿弥ほんあみつじ有名ゆうめい芸林げいりん名匠めいしょうで、まぎれもなくあの本阿弥光悦ほんあみこうえつであることがわかってくる。
 およそかたなをさす人間にんげんで、本阿弥家ほんあみけらない人間にんげんはない。けれど武蔵むさしは、その光悦こうえつというひとや、光悦こうえつはは妙秀みょうしゅうというひとを、その先入主せんにゅうしゅにある有名ゆうめいなものとはむすびつけてかんがえられなかった。この母子おやこが、そういう由緒ゆいしょのあるいえがらの当人とうにんであるといても、やはりこのひろ枯野かれの偶然ぐうぜん出会であった、ただのひととしかおもえないし、またそれがゆえにいだいていられるなつかしみやしたしみをにわかに、かたくなってててしまいたくなかった。
 妙秀みょうしゅうは、茶釜かまたぎりをちながら、
「このおは、幾歳いくつじゃろ」
 と、息子むすこへいう。
 息子むすこ光悦こうえつは、
「さあ、二十五にじゅうご六歳ろくさいでもございましょうかな」
 と、武蔵むさしこたえる。
 武蔵むさしくびって、
「いえ、二十二歳にじゅうにさいです」
 すると妙秀みょうしゅうは、さもおどろいたようにをあらため、
「まだそんなにおわかいのか、二十二にじゅうにではちょうど、わしのまごというてもよい」
 それからまた、故郷くにはどこか、両親りょうしんはあるのかないのか、けんだれならったかなどと、妙秀みょうしゅうはいろいろたずねてやまない。
 やさしい老母としよりからまごあつかいにされると、武蔵むさしは、童心どうしんをよびおこされて、ことばづかいまでおのずと子供こどもらしくなってしまう。
 つねに、きびしい鍛錬たんれんみちして、自分じぶん刃鉄はがねのようにきたかためること以外いがいには、生命いのち呼吸こきゅうさせたことのない武蔵むさしだった。いま妙秀みょうしゅうとそうしてはなしていると、ありのままにそこへでもころがって、あまえてみたいような心持こころもちを、ひさしく風雨ふううにばかりさらされてわすれていた肉体にくたいなかに、ふいにおもした。
 だが、武蔵むさしには、それができない。
 妙秀みょうしゅうも、光悦こうえつも、この一枚いちまい毛氈もうせんのうえにっているものは、茶椀ちゃわんひとつまでがみなそらあおさとけあい、自然しぜんひとつになり、小禽ことりともおなじになって、しずかにあそたのしんでいるようにえるが――武蔵むさしひとりは、継子ままこのようにぽつねんとって、その姿すがたはどうしても自然しぜんとはもの存在そんざいとしかえなかった。

 なにかはなしわしているうちはいいのである、そのあいだ武蔵むさしも、この毛氈もうせんのうえのひとたちとって、自分じぶんなぐさめられている。
 けれど、やがて妙秀みょうしゅう茶釜かまたいして沈黙ちんもくし、光悦こうえつ絵筆えふでってけてしまうと、武蔵むさしは、たれとかたりようもなく、また、なにをたのしむすべもらず、おもされるものは、ただ退屈たいくつと、孤独こどくのさびしさだけだった。
(なにが面白おもしろくて――この母子おやこはまだはるあさいのに、こんな枯野かれのて、さむおもいをしているのか?)
 武蔵むさしには、この母子おやこ生活せいかつ不思議ふしぎなものにえてならない。
 ぐさ目的もくてきなら、もっとあたたかくなって人出ひとでにぎわころにもなれば千種ちぐさえているしはないていよう。――ちゃをたててたのしむことが目的もくてきならば、なにもわざわざ茶釜かま茶碗ちゃわんってて、物好ものずきな不自由ふじゆうをしないでも、本阿弥家ほんあみけともいわれる旧家きゅうかである。住居すまいにはよい茶室ちゃしつもあるにちがいない。
くためか?)
 と、武蔵むさしはまたかんがえて、光悦こうえつひろ背中せなかまもった。
 すこしよこへねじって、その光悦こうえつふでをのぞいてみると、先刻さっきもそうであったが、いまもまた懐紙かいしえがいているのは、みずながればかりであった。
 ここからすこはなれている枯草かれくさのあいだに、うねうねとほそ野川のがわみずっていた。光悦こうえつは、そのみずすがたせんあらわそうとして他念たねんもない様子ようすなのである。つかもうとしてもすみとおしてかみのうえへかたちとしてあらしてみると、なにもつかまれていないので、光悦こうえつは、何十遍なんじゅっぺんでも、みずすがたをつかむまで、かずにおなせんえがいているのだった。
(……ははあ? もなかなかやさしくないものだ)
 武蔵むさしはふと、そこへ自分じぶん退屈たいくつあずけて見恍みとれる。
(――てきすがたけんのさきへおいて、自分じぶん無我むがになったとき――自分じぶん天地てんちがひとつのものになったような気持きもち――いや気持きもちなどというものさえくなったときけんはそのてきっている。――光悦こうえつどのは、まだあのみずてきとしてにらんでいるからえがけないのだろう、自分じぶんがあのみずになればよいのだ)
 なにをるにも、武蔵むさしは、けんというものをはなれてはかんがえられない。
 けんからかんがえても、ぼんやりとその程度ていどには理解りかいできる。――けれどなおわからないのは、妙秀みょうしゅう光悦こうえつが、いかにもたのしげにいることだ。母子おやことして、だまって背中せなかっているが、その姿すがたがどっちをても、今日きょうという一日いちにちたのしんで、かないさまでいることが不思議ふしぎでならない。
閑人ひまじんだからだろう)
 かれは、単純たんじゅんにそうかたづけ、
(このけわしい時勢じせいなかに、をかいたり、ちゃをたてたり、こういうひともいるものかなあ。……おれにはえんのない世界せかい人間にんげんだ、親代々おやだいだい財産ざいさんをだいじにかかえて、時勢じせいのそとにあそんでいる上等じょうとう逸民いつみんというものだろう)
 退屈たいくつはやがて、気懶けだるいものをさそってくる。懶気だき禁物きんもついましめている武蔵むさしにとって、そうがつくと、わずかなあいだも、こんなところにいられないがしてくる。
「お邪魔じゃまをしました」
 武蔵むさしは、いだ草鞋わらじをはきかけた。おもわぬひまつぶしでもしたように、その様子ようすにわかってけたようにえた。
「……ホ、おちか」
 妙秀みょうしゅう意外いがいそうにいった。光悦こうえつしずかにふりいて、
「せっかく、ははいま粗末そまつですがちゃをさしあげようとおもって、こころをこめてかまております。まあよいではありませんか。――さきほど、あなたがはははなしていたのをうかがうと、あなたは今朝けさ蓮台寺野れんだいじの吉岡家よしおかけ嫡子ちゃくし試合しあいをなされたおかたでしょう。いくさあといっぷくのちゃほどよいものはない――と、これは加賀かが大納言様だいなごんさま家康公いえやすこうもよくっしゃっていた言葉ことばです。ちゃ養心ようしんです。ちゃほどこころやしなってくれるものはありません。どうせいからしょうじるものとわたしおもう。……まあおはなしなされ、わたくしもご相伴しょうばんいたしましょう」