十五少年漂流記(37)

朗読「十五少年8-5.mp3」12 MB、長さ: 約 13分 09秒

つぎから一同いちどうは、ボートの修繕しゅうぜん着手ちゃくしゅした。ふねながじゅうメートルあまり、これを修繕しゅうぜんすれば、立派りっぱ十五人じゅうごにん少年しょうねんと、イバンス、ケイトの二人ふたりせて航行こうこうすることができる。イバンスは、かねて大工仕事だいくしごと得意とくいなので、バクスターそのがこれをたすけた。で、仕事しごと着々ちゃくちゃくとはかどった。そして、ふねなかばまで甲板かんぱんをはりつめたりして、波風なみかぜえるように改造かいぞうした。このころ季節きせつには、波風なみかぜ心配しんぱいすくないが、万一まんいち場合ばあいおもんばかったからであった。イバンスは、スローごうからってきたで、マストと船尾船首せんびせんしゅ三角帆さんかくほ準備じゅんびした。
一月ひとつきばかりののちに、修繕しゅうぜん完全かんぜん出来上できあがった。そんなことにまぎれているうち、少年しょうねんたちのこのしまにおける最後さいごのクリスマス、および、一八六二年せんはっぴゃくろくじゅうにねん元旦がんたんぎた。そのころになると、ドノバンはつえにすがって、洞穴ほらあなそと散歩さんぽするようになった。が、一同いちどうは、かれがもっと元気旺盛げんきおうせいになるまでは、けっしてこのしま出発しゅっぱつしないことにめていた。
正月しょうがつ後半こうはんは、ボートにれる貨物かもつ選択せんたくをすごした。もちろん、彼等かれら第一だいいちえらんだのは金貨きんか、これは帰国きこく途中とちゅうあらゆる場面ばめん必要ひつようだからである。つぎ五六週間ごろくしゅうかんささえるもの、それから武器ぶき弾薬だんやく洋服ようふく書籍しょせき食器しょっき望遠鏡ぼうえんきょう風雨計ふううけいのたぐいから、ゴムふねいとまで、いざという場合ばあい必要ひつようおもわれるものは、全部乗ぜんぶのせた。
じつとどいたものだった。しま不自由ふじゆう生活せいかつが、それをおしえたのだ。
二月三日にがつみっかには、一切いっさい貨物かもつをボートにれた。ドノバンのきずも、いまはまったくえ、航海こうかいえられるようになった。そこで、いよいよ船出ふなで五日朝いつかあささだめた。
出発しゅっぱつまえばん、ゴルドンは動物小屋どうぶつごやとびらひらき、ラマ、ヴィンクンヤ、七面鳥しちめんちょうを、それぞれはなしてやった。彼等かれらあしのおよぶかぎり、羽根はねべるかぎり、四方八方しほうはっぽう自由じゆうんでき、あるいはもりなかかくれた。
恩知おんしらずの動物どうぶつめ!」ガーネットがさけぶと、サービスは、
世間せけんことはみんなそんなものさ」と大人おとなのようなくちぶりで、勿体もったいをつけてったので、みんなどっとわらった。
翌五日よくいつか朝早あさはやくむっくり一同いちどうは、みの支度したくをした。ドノバンは船尾せんびのイバンスのそばにめた。イバンスはここでかじあやつるのである。ブリアンとモコーとは船首せんしゅすわって、担当たんとうする。みんなおもおもいにめ、それぞれ部署ぶしょについて、なわをといた。
なつかしいしまよ!おかよ!もりよ!はやしよ!
一同いちどうはフランスどうむかって、あらためて、万歳三唱ばんざいさんしょうをして、うれしいわかれをげた。ふねはニュージーランドがわり、オークランドおかは、次第しだいきし木陰こかげぼっった。少年達しょうねんたちは、さすがにかなしそうに、名残惜なごりおしそうに、それを見送みおくった。かわながれのゆるいときには、ふねめてやすんだ。スローわんたっしたのは、がもうぼっしたころであった。ドノバンはふね沼沢林しょうたくりんにつながれているときふねなかから二羽にわかも射落いおとした。かれ発砲はっぽう同時どうじに、怪我けがいたみが一時いちどきからだから発散はっさんして、かるくなったとって、わらった。
「さすがは名射撃手めいしゃげきしゅだね」と、ゴルドンがめずらしく冗談じょうだんった。ドノバンが元気げんきになったのを、みなはよろこんだ。ブリアンは、なみだぐんでよろこんだ。
翌朝よくあさ彼等かれらはスローわん出帆しゅっぱんした。船尾せんび船首せんしゅ三角帆さんかくほとをかかげて、みなみをさしてしたが、八時間はちじかんあとには、しま南端なんたんをめぐり、ケンブリッジとうきしあら海峡かいきょうはいってった。それから、アドレードとう浜辺はまべ沿い、南方なんぽうはしってくうちには、なつかしいチェイマンとうは、はやくも北方水平線上ほっぽうすいへいせんじょう姿すがたぼっして、かげえなくなった。さいわい、好天こうてんだったので、二月十一日にがつじゅういちにちには、すでにスミス海峡かいきょうぎ、マゼラン海峡かいきょうくちすすった。あおげば、みぎほうにはセントアトンさんたかくそびえ、ひだりほうにはボウフホルトわんわるところ、ゆきをいただいたみねつづいていた。まえにブリアンが欺瞞湾ぎまんわんから望遠鏡ぼうえんきょう白点はくてんこそ、つまり、このなかひとつの一番高いちばんたかいところであったのだ。
少年達しょうねんたちはみんな健康けんこうで、ドノバンもまずまず元気げんきになった。十二日じゅうににちには、タマルとうたが、タマルこうれはてて、ひと気配けはいもないので、ここを素通すどおりし、さらに、東南とうなんむかった。一方いっぽうはデソレーションとう荒野こうやつづき、一方いっぽうにはクルカー半島はんとう浜辺はまべえる。イバンスはクロワードみさきぎ、ブランスウイック半島はんとう浜辺はまべ沿い、バンターレナまでこうとおもっていたのであった。けれども、必要ひつようはなかった。
というのは、翌十三日よくじゅうさんにちあさ船首せんしゅにいたサービスは、
「みたまえ、僕等ぼくら右舷うげんほうけむりえるよ」とさけんだ。
ゴルドンは、「漁師りょうしだろう」とうと、イバンスは、「いや、あれは汽船きせんけむりだよ!」とった。
そのとき素早すばやく、ブリアンは、マストへさるのようにがった。がりながら、
汽船きせんっ!汽船きせんっ!」と連呼れんこしている。
ああ汽船きせんじつなが間憧あいだあこがれのまとであった汽船きせん!いまや事実じじつとなって、汽船きせんまえあらわれてたのだ。そのふねは、八九百はちきゅうひゃくトンの汽船きせんで、一時間二十いちじかんにじゅっキロメートルをはしっている。少年達しょうねんたち歓呼かんここえをあげあげ、じゅうをとって、そらけて、つるべちに、った。こうの汽船きせん銃声じゅうせいいた。ボートをつけた。十分じゅっぷんのちには、少年しょうねんたちのふねは、汽船きせんしたにつなぎめられた。
汽船きせんは、グラフトンごうといった。これからオーストラリアにこうとする途中とちゅうだった。船長せんちょうロングは、とりあえず少年しょうねんたちを本船ほんせんうつして、その遭難始末そうなんしまつをたずねた。
「えっ、なに?スローごう乗組員のりくみいんですって?」
船長せんちょうはびっくりした。
一昨年いっさくねんスローごう行方不明ゆくえふめいになったことは、当時とうじ英米新聞えいべいしんぶんつたえられていたので、船長せんちょう前々まえまえからよくっていたのである。で、船長せんちょうは、非常ひじょう少年しょうねんたちに同情どうじょうして、自分じぶんはメルボルンへくのだけれど、進路しんろえて、オークランドへ直航ちょっこうし、少年しょうねんたちを故郷ふるさと送還そうかんしてやるとってくれた。
これからの航海こうかいは、平穏へいおん迅速じんそくで、おなつき二十五日にじゅうごにちには無事ぶじオークランドわん到着とうちゃくしたのであった。かえりみれば、この十五少年じゅうごしょうねん一昨年二月二十五日いっさくねんにがつにじゅうごにち、ここをながてから、ちょうど満二年まんにねんになる。
少年しょうねんたちの父母ふぼが、十五少年じゅうごしょうねんのみんな無事ぶじ帰国きこくしたのをったときおどろき、よろこびは、どんな言葉ことばってしても、形容けいようすることができない。彼等かれらは、ゆめかとばかりによろこんだ。新聞しんぶん電光でんこうのように、十五少年じゅうごしょうねんの、一人ひとりけることなく無事帰国ぶじきこくしたことを、内外ないがい報道ほうどうした。
このさいだれきたいとおもことは、十五少年じゅうごしょうねん漂流ひょうりゅうはじめから帰国きこくいたあいだくわしい記事きじであった。そのため、ドノバンは、数回すうかい講演会こうえんかいひらいて、その詳細しょうさい報告ほうこくした。聴衆ちょうしゅうは、毎回会場まいかいかいじょうにあふれんばかりの盛況せいきょうだった。
バクスターがたんせいこめていた漂流中ひょうりゅうちゅう日記にっきは、出版しゅっぱんされた。これはニュージーランドの読書界どくしょかい需要じゅようしたばかりでなく、フランス、ドイツ、イギリス、ロシアの各国語かっこくごやくされ、日本にほんにも、故森田思軒こもりたしけん名高なだかやく十五少年じゅうごしょうねん」によって、はじめてて、それからひろながつたわることになった。
そしてゴルドンの思慮しりょ、ブリアンの慈愛じあい、ドノバンの勇気ゆうき、そのほか一同いちどう忍耐にんたい剛毅ごうきとは、もの感動かんどうをあたえないではおかなかった。
この物語ものがたりは、つまりその日記にっきもとにして地理ちり理科りか時日じじつをも正確せいかくいたものである・・・。
ケイトとイバンスとが、どんなに一同いちどう歓迎かんげいされ、感謝かんしゃされたかは、いうまでもない。オークランドの全市民ぜんしみんは、イバンスのために義捐金ぎえんきん募集ぼしゅうして、一隻いっせきうつくしい商船しょうせんってやった。そしてそのふねにチェイマンごうをつけて、かれおくった。ただ、これをおくとき約束やくそくとして、「かならずオークランドを自分じぶん故郷ふるさととせよ」とことがあったので、イバンスは勿論もちろん、よろこんでその約束やくそくにしたがった。

ケイトのについては、ブリアン、ガーネット、ウイルコクスの父母ふぼが、それぞれ自分じぶんいえきゃくとしてろうとしたが、ついにドノバンのいえながきとめられることになった。それは、ドノバンのいのちが、彼女かのじょ懸命けんめい看護かんごによってすくわれたとっていいからである。
われわれが諸君しょくんともに、この十五少年じゅうごしょうねん漂流記ひょうりゅうきんでまなぶところは、思慮しりょ慈愛じあい勇気ゆうきの、みっつのものが、忍耐にんたい剛毅ごうきとくむすびつくときは、人生じんせいいかなる困難こんなんつらぬくことができるということである。